第9話 吉良攻め 同年同月19日
予定通り、明朝に品川を出立した上杉朝定ら率いる兵5000は東に向かった。目指すは世田谷城だ。
世田谷城は三方を川に囲まれた丘に築かれた平山城である。北条の傘下ではあるが足利御一家の吉良頼康の居城の一つであり、ここを落とせば多摩川以北はほぼ扇谷上杉の領地となる。
城に到着し、すぐさま東方に迫撃砲の部隊を展開させる。展開の速さも迫撃砲のウリだ。
城を眺めると北部が居館になっており、南部が
「よし、準備は良いな?
──南の詰城を狙って砲撃せよ。敵を戦意喪失させ降伏を促すこととする」
命令を受けて即座に砲弾と発射薬に点火され、装填される。数瞬の後、黒煙と共に砲弾が発射され、土塁に着弾した。
他の迫撃砲も次々に砲撃を始め、柵ごと土塁を崩し始めた。江戸城すら保たなかったのだ、防ぎきれる筈もない。
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世田谷城主、吉良頼康は決断を迫られていた。扇谷上杉勢が当主自ら攻め込んできているのである。
既に詰城はボロボロだ。館にも流れ弾が飛んできており、安全とは言えない。
取れる選択肢は三つ。堅守を選び、北条の援軍を待つか、総崩れの危険を冒して撤退するか──或いは、降伏するか。
堅守を選べば、まともに扇谷上杉の攻撃を受けてしまう。援軍が多摩川を越えるまで砲撃に耐えられる保証は無く、江戸城を半日で落とした敵を防ぎきれるとは思えない。撤退ならば尚更であり、そもそも多摩川を越えるところで殲滅されるのは免れまい。
しかし、養子に取った遠州今川と北条の子、氏朝がいる。降伏すると北条を敵に回し、真っ先に狙われるのは必定。
吉良頼康「…一体どうすれば良いのじゃ。これでは打つ手は無いではないか!!」
吉良氏朝「ここは引いて蒔田を本拠とするより他ありますまい。北条勢と合流せねば、防ぎきれませぬ」
頼康「しかし、追撃をかわすことなど叶わぬだろう。
それに、吉良家ほどの家が逃げて居城を失ったとなれば威信は失墜する。降伏する方が幾分ましであろう…。
だが、降伏すれば北条の血縁のお主が危ない。どうあれ吉良家は扇谷上杉か北条に潰されてしまう」
氏朝「…では、某は少数で落ち延びましょう。吉良家の者として、蒔田より再興を図りまする。
義父上は抗戦するなり降伏するなりして下され。
…今まで、世話になり申した」
頼康「すまぬ…達者でいるのだぞ…」
吉良氏朝は、砲撃を避けて南に落ち延びていった。
頼康「すぐに降伏の使者を送る!
扇谷上杉と交渉せねばならぬ…急ぎ使いを出せ!!」
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攻撃を命じてからおよそ10分、これまでひっきりなしに砲撃を続けていたが、徐々に止み始めた。
「手が止まっているようだが、いかがした?」
萩野谷「御屋形様、…これは弾切れでさぁ、500は持って来たはずが江戸とここで使い切っちまったんでさぁ」
「…!! そうか…連射がきく分、多くの弾薬を用意してきたつもりであったが、それでもこうも早く撃ち切ってしまうとは…。
…では、火縄銃隊に切り替えよ。館に攻め込む準備とする」
伝令「御屋形様、城内より使者が参り申した」
「…丁度良い。ここに通せ」
使者「吉良家の名代として、扇谷上杉家へ降伏を申し出に参りました」
「左様か。条件はあるか?」
使者「はっ。吉良家を残すことと臣下にせぬことでございます」
吉良は足利一門でも破格の家柄、さもありなんか。
「では、それで良い。扇谷上杉家の食客として迎い入れることとする。
子息を人質として貰い受け、後に起請文も頂くこととしよう。
世田谷城は一旦放棄とするが、いずれどこぞの城をお渡しすることと致そう。
それでよいか?」
使者「ははっ。感謝の言葉もございませぬ。
して、城を放棄されると申されましたが、我が主君吉良左衛門佐とその一族はまず何処へ?」
「共に江戸城へ参られよ。ご不満であれば河越でも良い。
出立まで一刻待つ。その後城と館に火を放つ故、急がれよ」
使者は急ぎ館に戻っていく。交渉の内容を聞いていた足利義勝が尋ねる。
義勝「のう、城に火をかけて良いのか?」
「ああ。今さっき、弾切れになったときに気付いたが…西の雲が暗い。暫し待てば雨が降り、火縄銃も使えぬようになる。
それに───北条の動きは掴めておるか?」
小姓「はっ。玉縄城等から兵を集め、枡形城と小机城に兵が集まっているようで。兵は7000とも8000とも」
「だ、そうだ。積極的に戦う気は無さそうだが油断は出来ぬ。こちらの数は5000、迫撃砲も火縄銃も使えぬのなら数で不利な我らに勝ち目は無い。
何にせよこれで多摩川以北は西部を除けばこちらのものだ。」
義勝「吉良の勢力圏、蒔田はどうか?」
「無理だろうな。小机、枡形から出撃されれば挟み撃ちにされる。
それに北条水軍の動きが読めぬ以上、海岸沿いの蒔田は攻められぬ。そして単純にここから
義勝「左様か。で、あれば…此度の戦はここまでとして、退くべきか」
「撤退とするのが良いだろうな。吉良一族を護送しつつ退却する。幾ら綱成でも迂闊に渡河して追撃はせぬだろう、ここからの道のりであれば水軍での奇襲も警戒せずとも良い。
皆の者、江戸城に戻る準備を致せ」
吉良一族が揃ったことを確認し、城と館に火をかける。少し勿体ないが、北条が一気呵成に攻めて来れば多摩川を越えた
江戸城に帰還する最中、輿に乗った吉良頼康が近付いてきた。挨拶する間も無かったからか…。しかし、江戸城で話せば良いと思うのだが、何故なのだろうか。
吉良頼康「お初にお目にかかる、上杉修理大夫殿ですかな」
「いかにも。吉良殿、馬上から失礼致す。
──行軍を止めて下馬した方が良いですかな?」
吉良「気を遣わずとも良い、吉良の家格が無くば城ごと消し飛ばされておった敗軍の将ですからな」
「はは…江戸城に着けば、客人として可能な限りもてなしましょう。……然れども、砲撃で大部分が壊れてしまった故少し不便でしょうが…。
突貫工事で屋敷を建てさせる故、どうか辛抱あれ」
吉良「む…屋敷一つも無いのか、それは些か、いや流石に…」
「国府台にて同じ足利御一家の渋川の世話になりますかな?」
吉良「………」
滅茶苦茶嫌そうな顔をしている。内心格下だと思っているであろう渋川の世話になどなりたくないのだろう。これだから家格秩序は厄介なのだ。
「…これは失敬、吉良殿を渋川右兵衛などに預けるは無礼というものですな」
吉良「では、何処に?」
「河越でも構いませぬ。江戸城の再建か成れば江戸に移られよ」
吉良「…敗けたと言うに、注文が多くて申し訳無い」
「では、こちらも一つ注文を。直接の臣下では無いとは言え、傘下に入る以上は扇谷上杉の法度に則って頂きたい」
吉良「相分かった」
「では、私は先に江戸城に向かうことと致す。吉良殿はゆるゆると参られよ」
馬の速度を上げ、江戸城への路を進む。距離にして
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燃える世田谷城を背に、脱出した吉良氏朝が多摩川まで差し掛かっていた。扇谷上杉勢に捕捉されればどんな目に遭うかわかったものではない。急ぎ、北条の勢力圏まで落ち延びようと歩みを進める。
???「…そこの御方、お待ちあれ」
多摩川を渡河しようとしたところ、後方から声をかける者が現われた。杖をついている、年老いたひとりの農民だ。
吉良氏朝「何用か。此方は急いでいる、相手している暇は──」
瞬きの間に、老年の農民の姿が壮年の武士の姿になる。袴には後北条の横長の三つ鱗が見える。
某、北条家臣風間出羽守と申す。任されるのは乱破としての仕事ばかりですがな」
吉良氏朝「!!!
……物の怪かと思いましたぞ。乱破とはそのような技も持ち得るものですかな」
風間「これは序の口、変わり身ならば幾らでも…、おっと、本題を逸れましたな。乱破として扇谷上杉の軍容を調べし後、都合良く貴殿を見かけた故声を掛けた次第にて。
渡河を手助け致し、枡形城まで案内しましょうぞ」
吉良氏朝「有り難い話なれど、蒔田に向かいたいのだが…」
風間「相わかり申した。しかし、扇谷上杉がまたいつ攻め寄せるか見通しは立たぬ、ならばこそ枡形城を経由すべきだと思いますが、いかがか」
吉良氏朝「では、お主に任せよう」
風間出羽守が懐から外套を出したかと思えば、船頭の格好の男となった。杖が伸びて、櫂として使えるようになっている。
風魔小太郎「では、此方に。枡形城まで舟で向かうと致しましょう」
吉良氏朝「め、面妖…」
風魔小太郎「はーっはっは!!
面妖な技と申されるが、変わり身を見られなければそこらの者と見分けはつかぬもの。
乱破には褒め言葉ですな」
吉良氏朝「しかし…乱破が来たということは、北条勢は扇谷上杉を追い払うのか?」
風魔小太郎「ふむ、御屋形様の考えは大まかにしか聞いておらぬが…今すぐにとはいかぬでしょうな」
舟に乗り、多摩川を遡る。枡形城は、世田谷から僅か
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江戸城に着く頃には既に夕刻、雨雲で夕暮れも見えない天気だ。穀雨の季節、春雨がしとしとと田畑に降り注ぎ、生長を助けている。
砲撃で破壊され、三の丸からの登城は難しくなってしまっている、敢えて東側に回り込み、外郭から登城する。いわゆる将門塚の横を通っているが、小さな盛り土しか見当たらない。江戸城の再建が成ったらついでに建て直してちゃんと祀ってあげるか。
外郭に着き、上田朝直と会う。小屋で雨宿りをしていた。
上田朝直「御屋形様、お早いお帰りですな」
「…品川と世田谷までしか進めなかった。武蔵東部は多摩川までが我らの領分といったところか?」
上田「良い成果ではありませぬか、江戸城奪還は朝興様の悲願でしたのですぞ」
「それもそうだな。
江戸城の方はどうだ?」
上田「はっ、外郭はおおよそ解体出来申した。二の丸三の丸は終えるまでもう少々かかるかと」
「再建は外郭より二の丸三の丸を優先せよ。北条の攻撃にも備えて置くように」
上田「ははっ」
「…相模守殿、河越には明日発つのか?」
足利義勝「うむ、今夜は江戸城で夜営し、明日河越に向かうとするか」
「そのことだが…私は江戸城に残る」
義勝「そうなのか?
まさか、江戸城を新たな居城とするのか?」
「気が早いがいずれはそうなる。江戸は良い地だ。お主には河越を任すことにする…まだ江戸は北条に近い、危険も伴うからな」
義勝「なるほど、そうなれば吾も一城の主よな」
「左様。
それまで江戸城を拡幅し、より大きな城とせねばな」
義勝「お主がいない間は、領地の差配はいかがする?」
「河越周辺は任せる。…専横はするなよ?
他の武将は私の差配に従ってもらう」
義勝「よかろう」
「それと…明日は河越に吉良一族を連れていき、食客として迎えよ。江戸城再建に必要な建材の調達も頼む」
義勝「心得た。…詳しいことは太田美濃守と藤田右衛門佐に任せるが…」
「それで良い、分からぬことは任せ、人に聞け。分からぬままは良くない」
義勝「相分かった。
それはそれとして、河越に戻らぬのなら
「あっ…失念していたな…。領内の安定も兼ねて河越に行き来するとするか」
夜は更け、雨は続く。江戸城は戦の傷を癒すように雨に打たれ、まだ見ぬ未来に備えていた。
───扇谷上杉に待つのは春の陽気か、或いは春雷か。星の無い夜に、先を見通す術は無い。
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