第11話 硝石 同年5月30日
北条軍との和睦から3ヶ月。田植えを終え(この時代品種的に初夏に田植えをしている)、夏至から一週間が過ぎた。
足利義勝の婚儀もつつがなく終わった。彼の妻は三の丸改め
それからというもの、義勝は八幡曲輪に幾度も向かっている。夫婦仲がよろしいようで、結構なことだ。
この時代、輿入れした姫は、居所にちなんで呼ばれることが多い。その為呼び名は『八幡曲輪殿』か『八幡殿』だ。中世の人、呼び方安直じゃない?とも思うが名前を呼ばないのが敬意を表す、ということなのだろう…文化とは、面白いものだ。
上杉朝定は梅雨の名残を感じつつ、新たな事業を展開しようとしていた。
新たな事業とは…そう、火薬作りである。
火縄銃は、天文12年に種子島に伝来した…とされているが、複雑な発射機構を持たないものは既に西国に伝播している。つまりは、既に日本に火薬はあるのだ。
──とはいえ、ここ関東にはまだ火器は無い。火縄銃が各地の戦国大名に広がる前に、いち早く火薬を大量生産するための準備をしておきたい。
無煙火薬が登場するまで、火薬といえば黒色火薬だ。黒色火薬の原料は硫黄に木炭、そして硝石だ。
この硝石がネックだ。硫黄は少量で済む上日本中沢山ある硫黄泉から湯の花のように手に入れることができるし、木炭は木さえあればいくらでも作れる。
…だが、硝石は火薬の8割ほどの量が必要…そのくせ日本ではほとんど採掘出来ない。それ故に海外からの輸入か、ちまちまと生産するしか入手方法がない。
硝石が溜まっている洞窟や乾燥地帯がほぼ無く、硫酸や硝酸を工業的に生産する技術なども無い以上、中世らしい作り方しかないのだ。こればかりは私の前世が化学者だったとしても、肝心の技術がなければ難しいだろう。やっぱり、産業革命って大事なんだな…。
話を戻す。中世日本では、古土法と呼ばれる方法で生成していた。住居の床下で時間をかけて硝酸イオンと木灰のカリウムを元として煮出すのだ。…しかし、収量も少なく時間もかかる上、品質も悪い。これでは駄目だ。
だが、まだ方法はある。五箇山や白川郷で用いられた培養法だ。培養法は蚕の糞や草を家屋の床下に埋め、4、5年かけ反応させる方法だ。
この方法は時間こそかかるが収量は比べ物にならず、効率がいい。この方法を完全コピーは出来ないが、アレンジなら可能だ。
まず、水捌けのいい高台を選定する。関東ローム層は粘土のようだが、粘土性の割には透水性が高い。多摩方面は水捌けが悪いので、河越城より北の松山城方面の耕作されていない土地に選定した。
次に穴を掘る。後々掘り返しやすいように、長方形に掘った。ぱっと見は城の堀だ。
そして、窒素固定する豆類の根とその周辺の土、追加で
カリウムも忘れてはならない。蚕の糞は桑の成分を濃縮しており、とても良質なカリウム源だが蚕なんて領内にはいない。植物にもカリウムはそこそこ含まれるが…もっと効率を良くしたい。
そこで使うのが海藻だ。江戸湾に行けば獲れるし輸入も簡単、将来的にも入手は容易い上この先の飢饉でも無くならない。おまけにカリウム含有量が多いときた。適任だ。
最後に海藻や枯れ草を刻んで埋めれば完成、後は雨除けの屋根を付けて時々掘り返し、屎尿や灰汁を足してかき混ぜればよい。4、5年後に煮て溶解度差を用いて析出させれば大量の硝酸カリウムが手に入るはずだ。
……意外と手間がかかるが、硝酸カリウムはどれだけあっても損は無い。先行投資として地道にやっていこう。
そんなこんなで硝酸カリウムの生産にも着手しつつ、検地や地図作成、武蔵と下総の領地経営等に勤しんでいた。割と忙しいが、どうせ飢饉になれば何も出来ないのだ。なる前に打つべき手を打っておかねば…。
小姓「御屋形様。臼井景胤殿が、大台城の
「おお、いよいよ千葉も虫の息だな、残りの城は小さいのが3つほどか、よい調子だな」
本佐倉城攻めからどんどん千葉氏の城を奪い、もはや下総西端部に残党が残るのみとなってしまった。千葉利胤が命脈を継ぎ苦し紛れの抵抗をしているが、かつて下総を席巻していた大名千葉一門は、もはや国衆クラスに落ちぶれている。
寝返った高城胤吉も功を挙げ、小金城を与えている。代わりに太田資顕には落とした本佐倉城を拠点に追加で長沼城を任せた。下総も広大だが、凄まじい勢いで占領が進んで嬉しい限りだ。
「臼井景胤には大台城を任せると伝えよ。下総介も名乗ってよい。印旛沼の利益は私が3割、太田が3割、臼井が4割とする」
小姓「はっ、祐筆殿に伝えて書状を送ります」
「待った。…それと、下総の侵攻は一旦中止とせよ。暫く内政に注力し、力を蓄えるようにと」
小姓「はっ、承知しました」
あまりに領土が広すぎても、飢饉で対応しきれない。行政能力がパンクしないよう注意が必要だ。萩野谷全隆や上田朝直を中心に官僚制の基礎を整えてはいるがまだまだ実務には程遠い。
だが、内政はいずれ力になる。改革は必須だ。戦で勝つだけが大名の資質ではないのだ。
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