第8話 追跡 同年同月26日

 国府台合戦から一夜明け、北条氏綱氏康父子は、松戸城より高城胤吉の軍と北条幻庵が東に向かうのを見届けた後、南に向かう。


 扇谷上杉に補給路を封鎖されているとはいえ、兵数では圧倒的な北条軍は焦らずに松戸城から出ていく。

 斥候の報せによれば扇谷上杉は太日川の向こうに4000、国府台城内に2500程詰めているという。現在の北条軍は2万4000、もし全軍をもって奇襲されたとしても負けることはない。

 殿しんがりは氏康と綱高率いる1万、扇谷上杉を警戒しつつ鷺沼、馬加城を経由し江戸湾を回り込むカタチで小弓城を目指していた。



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 上杉朝定は太日川西岸でこれからの動きを熟慮していた。


斥候「報告!北条軍は国府台を避け鷺沼へ向かっております!」


「ふむ…これはどう動くかな?」


渋川「…素直に見れば鷺沼城から北条水軍の舟で横浜港まで逃げるつもりでしょうな」


「なるほどなぁ…」



 うーん、もし北条軍が鷺沼城から江戸湾を渡るなら追撃は無用だ。だが───

小姓「御屋形様、里見の使者を名乗る者が御目通り願っております」


「ん…通してよいぞ」




使者「某、主里見義堯の命により上杉様に言伝を言上したく…」


「申してくれ」


使者「はっ、北条水軍は南下を始め、上総東岸に向かっている模様、至急上杉軍に救援を要請したいと」


「なるほど、敵の狙いは小弓城か木更津港か?」


使者「それはわかりませぬ…が、下総や安房を狙った航路ではありませぬ」


使者「それと、真里谷武田信応も、里見が調略し決戦から退かせ、今は真里谷城におり上総占領の大義名分としております」


「相わかった、大儀じゃ。…北条を追撃してはみることと致すが、あまり期待なされるな…里見刑部殿に宜しくお伝えくだされ」


使者「はっ、失礼致しまする」



「……まずいな、私が北条なら小弓城に赴き足利義明の次男を狙うか、或いは木更津を焼き払い里見や真里谷水軍の拠点にされぬようにする…」


渋川「里見は小弓御所無き今、特に関係ござらん。上総など無視なされればよいのでは?」


「実は密約を交わしててな、起請文まで貰ってしまった…その上、里見や真里谷武田と敵対すれば北条と房総で完全な挟み撃ち、それは避けたい…それに、房総が弱れば北条への対抗策が減る、無視は出来ぬ…」


「致し方ない、北条を追撃するしかないか……出陣の準備をせよ、国府台城には上杉義勝隊を残して北条軍の後を追うぞ!!」


「北条軍はおそらく鷺沼城の次に馬加城を経由するはず、馬加城まで進むぞ!!」




 北条の殿軍でんぐん、北条氏康は負傷した北条綱高から兵を預かり、1万の兵で馬加城付近まで進軍していた。だが、扇谷上杉の追撃を察知、馬加城前に布陣し始めた。




 1万の兵は釘付けに出来たが、追撃に参加している扇谷上杉軍は5500しかいない。まともにぶつかればただではすまない。


「一旦鷺沼城へ入る、氏康が動くまで待つぞ!」


 里見には義理を通したが、小弓御所を北条に落とされると北条が足利の血筋を古河公方足利晴氏と合わせて2つも持つことになりかねない。──それはそれで古河公方の離反を招けるが。


 どのみち今の扇谷上杉には北条を突破できる戦力はない。もう日も落ち、北条氏康も一旦馬加城に入ったようだ。

 とりあえず兵たちを休ませ、明日に備えることとした…。が、来訪者がやってきたようだ。


小姓「臼井景胤殿の使者がやってまいりました。」


「左様か、広間に通せ…この城の広間って何処だ?」


 …臼井景胤とは、千葉氏の一門である──が、千葉氏とは距離を置き、今回も小弓公方の要請に応じて参陣していた国衆、下総南部にある臼井城主だ。


「此度、臼井殿がお味方した小弓が倒れるとは災難であったな、して何用で参られたのかな?」


使者「はっ、我が主臼井景胤は、臼井城と共に扇谷上杉家に降り、千葉と対峙できるよう助力願いたいと考えております」


「ふむ…千葉に降らぬのは、印旛沼の支配を巡って千葉と因縁深いからかな?」


使者「……その通りに」


「よかろう、本来であれば人質が欲しいところだが…千葉と対峙するためじゃ、そのまま臼井城におればよいと伝えてくれ、私の傘下に加わるは一旦情勢が落ち着いてからでよいかな」


使者「はっ、主に伝えまする」


「すでに夜になっておる、臼井城までお気を付けて」


使者「お気遣い痛み入りまする」



太田資正「ほお、臼井城まで味方に付けたとは、後は馬加城を落とせば下総西部は完全に我ら扇谷上杉のものですな」


「意外と早く勢力拡大できたな、だがまだ北条との戦は続いておる、兵どもも幾つもの城を手に入れ勝ち戦と思っておる、士気は高いが崩れやすいぞ」


 勝ち戦で死にたい人間などいない、物事を上手く運んでいるときこそ油断はできない。とりあえず北条には房総をいち早く出ていって貰いたいが……。


太田資正「そうですな、可能な限り真正面からの衝突は避けねばなりますまい」


「後は…里見と真里谷に北条氏綱を止めて貰うしかないな」


難波田憲重「兵数としては厳しいでしょうが、里見や真里谷からすれば小弓城は絶対に欲しいでしょうからな。なにせ、国王丸ぎみがいるだけで後々大義名分に出来ましょう」


難波田定重「全体的なカタチとして北より扇谷上杉、北条氏康、北条氏綱、真里谷、里見と北条を挟めています、不利とまでは言えないかと」


「ふむ……讃岐守も戦略が分かって来たなぁ」


定重「こ、光栄です」


「…まぁ、今の我らにできることは周辺の土豪、地侍共を治めやすいよう話を通しておくこと位なものだ。皆、明日に備えてくれ……私も戦で疲れ、眠たい…ふわぁぁ、すまんが奥の間で寝るとする…」


資正「行ってしまわれましたな」


憲重「…まだ13だからな、お主ら小僧どもよりいっとうお若い…戦続きだった故、眠くもなろう」


定重「しかし、御屋形様が当主になってから随分と扇谷上杉は強くなりましたね…まだお若いのに」


資正「定重殿も若いであろう…某も15まだ15だ…だが、御屋形様のおかげで確かに扇谷上杉の勢力が西下総まで広がった故、またどこぞの城でも貰えるかな」


憲重「資正よ、太田信濃守殿は小金城と根木内城を奪った、太田家に戻ればどちらか貰えるのではないか?」


資正「嫌で御座る。兄に頭など下げとうないのです」


憲重「まだ15なのに頑固よのう…それとも意地を張るのは青い証拠か」


定重「私も眠くなってきました、寝てきます」


憲重「夜襲が来るかも知れぬ故、ちゃんと準備して寝ろよ?」


定重「はっ、承知しました……」




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 北条氏綱隊は、馬加城と小弓城の丁度中間程で野営していた。上総からは江戸湾を眺望でき、細い月が雲の少ない夜空を照らしている。

 北条氏綱は、夜空の下営内で戦略を練っている。


 さて、小弓城まで大分近付いたがここからどうすべきか。氏康の隊から離れすぎるのも危険であるし、小弓城に向かうのが遅れるのも問題だ。だが、小弓城を落とせずとも里見、真里谷、扇谷上杉を牽制できれば十分、敵地よりいつでも撤退できるよう準備させしていれば北条として大きな問題ではない。


 …しかし、国府台での合戦で足利義明を滅ぼしたというに、今回の遠征では得るものがあまりなかった…というより、上杉朝定に邪魔されたな。古河公方足利晴氏より関東管領の地位は得られるであろうが、なかなか上手くいかぬものよ…。

 そう考えながら、書状を書く。土気城の酒井胤治へだ。小弓公方方の地方領主だが、土気城は小さな城ではない。ここは、味方につけておきたい──。


 関東最大の大名は、敵地房総にあっても謀を巡らせていた。



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