第6話 両軍相見えず 同年6月8日

 山内上杉軍を蹴散らし足利長尾、藤田らを降伏させた上杉朝定は、河越にて態勢を整えていた。


 山内上杉家当主、上杉憲政は松山城に程近い平井城は危険と判断し、総社長尾の本拠、蒼海城総社城に入った。長尾景孝戦死を受け、総社長尾は弟、長尾景総が継いでいる。

 又、家宰たる足利長尾の寝返りにより、家宰は白井長尾憲景が任じられたという。


 内応を呼び掛けた成田は、暫しの協議の上調略に成功した。人質には当主成田親泰の三男、成田泰季を送ってきた。これで一先ず北は安心だ。深谷上杉は未だ動きを見せておらず、油断は出来ないが成田が忍城にいれば即座に問題にはならないはずだ。


 …対して南、北条は不気味なほど動きを見せない。北条綱成等が挙兵して志村城や石浜城を奪還する動きを見せても良さそうなものなのだが…、動く気配が無い。

 江戸城への物資補給の為、北条の水軍が動いているのは確認している。どうやら北条氏尭に代わり、大道寺盛昌が江戸城守備の任に就き、城兵を増やしたとも聞いた。

 水軍を用いて小競り合いが起き、品川湊の奪還はされてしまったが、軍事行動はただそれだけだ。

 北条氏康という男が一体何を狙っているのか…堅守の姿勢しか読み取れない。今川との和睦交渉も、慌ててやっているようでは無さそうだ。


 何はともあれ、武将達に軍令を出さねばならない。

 一門とはいえ若年て経験の浅い者よりも譜代で歴戦の者を江戸城に詰めさせたのは明らかに持久戦狙いだ。兵を増やした分兵糧もたんまり用意したであろうことは想像に難くない。

 もちろん当初の予定通り本格的な兵糧攻めをしても良いのだが、兵糧攻めは兵を損耗させない代わりに懐事情に影響を及ぼしてしまう。その上、長期戦で士気の下がったところに奇襲を喰らわせてくるかもしれない。丁度史実で河越夜戦があったように──北条氏康はその手を狙っている可能性は高いと見た。

 では、どうすべきか…。悔しいが、もう一つの新兵器の開発が済むまでは手を引くしかないか…。


 悩んだ末、石浜城の上田朝直、集結させた水軍衆、それに志村城を難波田広定に任せ、それ以外は全て陣を払うよう指示を出した。武将達は指示通り、6月に入ってから徐々に撤退し始めている。




 そして、一つ問題が発覚した。話は山内上杉を追い払った後、河越に戻った後に遡る。


「萩野谷、話とは何だ?」


萩野谷「へぇ、実は…御屋形様が申された新型、大して良く当たらないんでさぁ…」


 ──火縄銃にライフリングを付けたはずなのに、命中精度が向上していないことが判明したのだ。実際、白井長尾隊と激突して乱戦となり、萩野谷隊の負傷者数も少なくなかった。この改善は急務とすべきか。


「…先ずは確認せねばなるまい。元の火縄銃と新型、三つずつ揃えて撃たせ、集弾率を比べてみよ」


萩野谷「へい、少々お待ちあれ」


 対照実験を行い、命中精度を確かめてみる。本来の効果が発揮されていれば明らかな差となるはずだが…。




萩野谷「こいつを見てくだせぇ」


「………確かに、あまり変わらないな。なぜだ…?」


 暫く考えた後、一つに気付いた。それは…。


「…あっ……弾を変えてない」


 …そう。球状の弾のまま撃っていたのだ。ライフリングを付けたところで、銃腔内に密着し回転運動を受けなければ全く意味が無い。

 前世はミリオタを自認していたが、ライフリングについての認識があまりにも低過ぎた。あまつさえそのまま実戦投入してしまうとは…不覚のいたりである。


「弾は、そうだな…。どんぐりのような形にして、横に溝を切ってくれ。底には穴を開け、小さな鉄球を一つ詰めてみよ」


「へい、わかりやした…鋳型を作るのに少々待って頂きやす」


 これはミニエー弾…の簡易版である。これくらいならこの時代でも量産出来るはず。

 これで新型銃が上手くいくといいが…。試行錯誤して正解を探し出すしかないな…。




 2日ほど経ち、萩野谷が弾薬を完成させてきた。萩野谷が言うには比較にならないほど変化があったという。早速、実際に撃ち比べさせてみた。


 「おお…、これはすごいな。的を見ると、確かに精度が良くなっている」


萩野谷「この弾は良く当たるだけでなく遠くまで飛びやす。これなら前の戦のような激戦になっても安心でさぁ」


「ふむ…この性能なら文句なかろう。少々手間がかかるだろうが量産を頼む」


萩野谷「へい、承知しやした」





 ──武器開発、山内上杉との戦の戦後処理、預かった人質の管理、そして北条の情報収集が落ち着いてきた6月8日、冷泉権大納言為和と甲斐武田家の仲介で、今川家と北条家の和睦が成立した。

 そして、ようやく江戸城攻めの兵の撤退が完了した。足利義勝も河越に帰還している。


「長陣となるはずが、短くなってしまったな」


足利義勝「あのまま江戸城を力攻めすれば良かったのではないか? 大軍で囲み、攻め続ければいずれ落ちよう」


「そんな訳なかろう。補給ありで大道寺盛昌まで入った江戸城を、力攻めで落とすとなると犠牲がどれほど出るか分からん。最悪攻めあぐねて負けるぞ。

おとなしく、が実戦投入出来るようになるまで待ってくれ」


義勝「ふむ、ならば致し方なし…。しっかし、真に妙よな。北条は結局動かなんだ。お主がおらぬ間に吾の首目掛けて大挙して押し寄せてくると思うておったのだがな。城将を変えたということは、戦を視野には入れていたはず。臆したという訳ではあるまい」


 確かに、また北条との直接対決は起きなかった。いや、北条が起こさないように意図的に誘導したか?それにしても狙いが読めないが。


「一体、奴らが何を企んでおるのか…。探らせてはみるが、どのみち油断は出来んな」


義勝「今川と北条との和睦も成ったと聞く。その後に決戦を挑んで来るのでは無いか?」


「その可能性もある…が、相模で兵を集める動きが無い。少なくとも正面から決戦を仕掛けはすまい。されど…、考えが読めぬな」


───────────────────────


 北条氏康、北条幻庵は今川との和睦の為駿河より完全に手を引き、小田原城に戻っていた。真夜中に本丸の一室にて、北条一門のみを集め、ひっそりと密議を行っている。


北条氏康「皆集まったようだな」


北条綱成「…氏康よぉ、駿河の件は今川に兵を割かなくて済むように和睦したのは分かる。だがなんで俺等を江戸城に向かわせなかった?当主のいない扇谷上杉軍など、一捻りではないのか」


北条幻庵「綱成殿。包囲に夢中になっているのならともかく、城に詰めている大軍を破り続けるのは互いに不可能ですよ」


氏康「それに、此度の真の狙いは上杉朝定。奴がおらず、山内上杉が破られた以上、動かずとも良い。もし志村城、石浜城、蕨城を落としたとて奴が居ればすぐに奪還されよう」


北条氏尭「では…、上杉朝定が江戸周辺に留まらない以上、此度は失敗したと?」


 氏康の顔に笑みが浮かぶ。燭台の火が揺らめいている。


氏康「いいや…、これが狙いよ。上杉朝定が江戸城攻めを続ければ話は単純だったのだが、やはり警戒しているのだろう。そもそも、我らは時間を稼いでいるのだ。時が満ちれば、直接手を下さずとも扇谷上杉は崩れよう」


綱成「そんな手があるのか?」


幻庵「ええ。今川と和睦したことも、山内上杉が破られ北武蔵の大部分が扇谷上杉のものとなったのも布石に過ぎません。

伸るか反るか、博打を打つ必要は無いのです。彼らが勝っても負けても、こちらの罠に嵌まるよう考えてあります」


氏康「その通り。そして、これから幻庵叔父上には京へ向かって頂く。今川との和睦は京への道を確保する意味もあるのだ」


綱成「京へ? 何しに行くってんだ、細川の内紛にでも首を突っ込むのか?」


氏康「まさか。…詳しくはまだ言えんがな、簡単に言えば中央の力を借りるだけのことよ。室町の政所執事は伊勢貞孝、北条家臣の伊勢貞辰さだときの子だ。幕府を動かしてもらうこと、そう難しくはない。

とにかく、我らは機を待たねばならぬ。それまでは今川と関係を修復し、甲斐武田との関係を維持しながら武蔵侵攻の準備をせねばなるまい」


綱成「じれったいなぁ…。決戦で扇谷上杉と雌雄を決したいとは思わんのか?」


氏康「相手が野戦が下手な大将ならばそれでも良いが、そうではないだろう。もはや国力では北条と扇谷上杉は然程差がない」


氏尭「兄上に叔父上、どれほど待てば機が熟すのです?」


幻庵「どんなに早くても来年にはなるでしょうね。しかし案ずることはないでしょう。謀が成れば、北条軍を動かさずとも扇谷上杉を潰せます。…尤も、武蔵は頂くことになるでしょうが」


氏康「左様。果報は寝て待て、ということだ。百戦百勝は善の善に非ず、戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。…綱成、お主も孫子の兵法を学び直してはどうか?」


綱成「げえっ…外交はともかく、騙し合いは得意じゃねえ、やめてくれよ」


幻庵「ははは。では私はすぐにでも京へ参ります。綱成殿、氏尭殿、よく氏康殿の言うことを聞くのですよ」


氏康「幻庵叔父上、和睦したとはいえ今川とは今まで敵であったのだ、お気をつけなされよ」


幻庵「ええ。北条家の今後を切り開いて参ります」


 幻庵は席を立った。戸を開けると上弦の月が照らし、薄暗い部屋が明るくなる。




氏康「────まだまだ…、まだまだよ。関東はいずれ、自ずと北条の物となろう。それまで武蔵は上杉朝定に預けてやるとしようか」

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