第5話 奇襲 同年同月25日
夜が明け、杉山城より山内上杉軍が出撃を始めた。市野川より僅かに霧が出たが、日が昇る頃には収まっていた。
萩野谷全隆は、ギリギリになって到着した。
「おお、やっと来たか…」
萩野谷全隆「申し訳ないんでさぁ…。松山城の連中、出撃を渋るもんで…」
「ふ、では松山城の者共に戦勝の報を伝えるべく戦うとしよう。
火縄銃の用意はよいな…火薬は湿気てないか?」
萩野谷「へい、いつでも撃てます」
「では、下山の後右翼へとまわれ。敵の後方から来る救援を火縄銃と弓隊で防げ。本隊を潰し次第そちらに典厩殿を向かわせる故、必ず戦線を維持せよ」
萩野谷「へぇ!」
伝令「伝令!山内上杉軍は先陣が
太田資正「御屋形様、そろそろ山を降りれば頃合いかと」
「─うむ。
皆々、準備はよいな?では、山を降りよ…音は立てぬよう、気をつけよ。朝日に紛れて動くこととする。
さあ、急げ!」
扇谷上杉軍は二ノ宮山を降りる。…山内上杉軍は未だ気がつかぬようだ。一列で行軍を続けている。
「…これでおよそ下ったか?」
小姓「はっ…」
武田信繁「…上杉様。上杉憲政の隊を見つけ申した。あの長尾の旗の間がそうかと」
…見えた。確かに山内上杉の旗が見える。扇谷上杉と同じ竹に雀の紋だが、よく見ると家紋の意匠が大きく異なっている。
「ほう…まさに好機。距離は7、8
──では、鬨の声を挙げよ!!法螺貝と陣太鼓も鳴らせ!!
上杉憲政の首を狙うぞ、突撃せよ!!」
「「「おおおお!!!!」」」
扇谷上杉軍は雄叫びと共に突撃を始める。
陣形は魚鱗の陣に近い、三角形になっている。先頭に太田資正隊、続いて武田信繁隊が追う。それを支えるように萩野谷隊は右翼、私の本隊は左翼から上杉憲政隊を叩く。
左翼は敵が反転しなければ攻撃されないが、右翼は後続の敵の攻撃に晒されるため、この布陣としている。
突撃によりあっという間に距離を詰め、戦闘が始まった。態勢の整わない山内上杉軍は、隊列を組み直す間もなく鎧袖一触で崩れる。
太田資正「うおおおお!!!上杉憲政は何処か!!憲政が首を討ち取れぇ!!」
油断し隊列の伸びている山内上杉軍は、対応が遅れていた。まともに反撃しようにも、局所的な兵数差があまりにもある。もはや勝敗は決した。
──切れた糸のように、次々にほつれていく。
上泉信綱「御屋形様、伏兵…いや、この数は全軍を挙げた奇襲かと。扇谷の攻勢でありましょう、はようお逃げあれ!!」
上杉憲政「ま、また逃げるのか…此度も逃げれば関東管領たる威厳が…」
上泉信綱「もはやこの数ともなれば、拙者とて流石に捌ききれませぬ。共に退きましょうぞ!」
伝令「申し上げます!!前方の総社長尾隊、後方の白井長尾隊との連携、途切れ申した!」
上杉憲政「え、ええい。まだこんなにも居城が近いというに退かねばならぬとは……一度西方に退き、その後白井長尾隊と長野隊と合流する!急げ!」
上杉憲政は慌てて撤退を始め、それにより太田資正隊が残存兵を次々と、無慈悲に殲滅していく。
──突如乾いた破裂音が聞こえてくる。隊列の後方からだ。萩野谷全隆隊が火縄銃を撃ち、白井長尾隊を食い止めている。弓隊との連携により、突破に苦慮していた。
白井長尾憲景「なっ、何事かっ!!」
伝令「伏兵が前に現れ、矢と…何か爆ぜたような音のする武器を放ってきております!」
長尾憲景「爆ぜた音…火槍か何かか!?ええい、こうしている間に本隊が崩される、はよう突破せよ!印地など投げぬで良い、損害覚悟でかかれ!」
長野業正「白井殿ーっ!前方の騒ぎ、何事かーっ!」
長尾憲景「…おお、長野殿、行軍中の御屋形様の隊が襲われたようじゃ、急ぎ救援したいのだが…見ての通り、敵兵に阻まれておる」
長野「…白井殿は一度態勢を立て直し、右方より迂回されたし。我が長野隊はこのまま突っ込む!!」
──後方が突破を試みる頃には、既に山内上杉本隊は瓦解していた。それでも萩野谷隊の守りは堅く、未だ切り崩せていない。
その頃上杉朝定本隊は、敵本隊を押しのけ、後方を突かれ本隊との連携の絶たれた総社長尾隊を崩しにかかった。
「敵の隊列が整う前に叩きのめせ!!
──指揮系統が混乱し、隊列を整える暇もなく後方から襲撃を受けた総社長尾隊は、数の上でも上杉朝定本隊に劣っている。
どうにか兵が集まろうとしているのが馬上から見えた。しめた、これは一本貰ったな。
「そこに兵が集っておる!!!名のある将がいるはず、首を取り手柄とせよ!!かかれ!!」
「「応!!」」
指示した方向に味方が一気に群がる。手柄が目前となれば士気は更に上がり、勢い付く。
長尾景孝「これは…どうにか堪えよ!すぐに藤田隊と足利長尾隊が救援に来るはず!」
長尾景総「な、兄上!これではもはや退くしかありませぬ!急ぎ撤退を!!」
景孝「おおおお!!我こそは上野守護代の子、総社長尾家当主、長尾左衛門佐景孝なり!我に続けーっ!!
……ぐあああっ、ぬうぅぅぅ…。がっ…。」
──長尾景孝は、僅かな兵とともに突撃して袋叩きにされ、戦死した。
景総「兄上!…これではもはや隊を纏め立て直すことも出来ぬか…。残りの兵は、こちらについてこい!一人でも多く撤退するぞ!!」
かくして、総社長尾隊の敗走が始まった。
伝令「総社長尾当主、長尾景孝、討ち取ったとの由!」
「よくやった!!
…追い討ちの準備をさせよ。敵の先鋒隊は?」
伝令「はっ、未だ引き返しておらぬようでござる!」
…なるほど。調略が効いたかな。では心置きなく目前の敵を討つとしよう。
伝令「御屋形様!!太田美濃守隊、山内本隊を突破したとの由!」
「大儀!!
…では武田典厩隊にも伝えよ。これより我が本隊を二手に分ける!
武田典厩の隊と本隊の一方は合流し萩野谷隊を救援に後方に向かえ!
残りは私と総社長尾を追撃せよ!」
──
前方の藤田隊、足利長尾隊は引き返したが、戦場までは進まず足を止めている。
「よし、前方はもう問題ない。急ぎ反転し後方へ向かえ!!」
太田資正「御屋形様!申し訳ござらん、上杉憲政の首は取れませなんだ、逃げられたようでござる!」
「…致し方なし!このまま共に、後方の武田隊と萩野谷隊の援護を致せ!」
後方に急行し、到着して尚激戦が繰り広げられていた。…だがそれも、指揮系統の乱れた山内上杉軍では徐々に押されていく。敗走は時間の問題となった。
長野業正「ぐっ…敵兵を突破出来ぬ…早く本隊に参らねば御屋形様が討たれてしまう」
伝令「本隊は完全に潰走、総社長尾隊も長尾景孝殿が討死し敗走致した模様!!」
長野業正「ま、まずい…一旦杉山城まで退き、態勢を整えよ!!その後平井城まで退却とする!」
長尾憲景「長野殿!!どうにか御屋形様を救い出せ申した!!しかし、敵の攻撃が激しい故、撤退の援護を頼みまする!」
小幡憲重「左衛門尉殿、我ら小幡勢只今より加勢致す故すぐに退かれよ!」
倉賀野行政「我ら倉賀野隊も助太刀致す!ささ、はよう!御屋形様をお頼み申す!」
長尾憲景「かたじけない!」
「今度は新手か!」
武田信繁「上杉様、長尾の隊と長野隊は撤退しております。ここで退いても問題ないかと」
戦の趨勢が決まれば皆戦わなくなるものだ。勝ち戦で死にたい者はそうはいないし、負け戦でリスクを負いたい者もいない。
少なくとも、山内上杉との戦闘は終わったな。
「では反転を開始する!!太田隊を
両軍が撤退を開始した。小幡、倉賀野隊は追撃をせず杉山城まで退く。
その頃、前方より使者がやってきた。足利長尾、藤田隊からのようだ。
使者「我が主長尾憲長と藤田康邦は、鬼鎮神社まで引き返しました。しかし既に山内上杉軍が敗北したと知り、敵中に孤立したことにより降伏を望んでおります。鬼鎮神社にて交渉の場を設けておりますれば、ぜひご一考されたく」
「…よかろう。全軍、鬼鎮神社まで進め」
到着すると、長尾憲長と藤田康邦がいた。手近な地に簡易な陣を張り、こちらに来るよう要求する。
暫し待ち、僅かな供回りと共にこちらの陣へやってきた。
足利長尾憲長「足利長尾家の当主、長尾但馬守憲長と申しまする」
藤田康邦「お初にお目にかかる、藤田右衛門佐康邦と申しまする」
「お二人ともよう来られた。…早速だが、降伏ということは…山内上杉を敵に回すとのことか?」
長尾、藤田「はっ…」
「よかろう。まずは藤田殿。この場で兵を解き、人質を差し出すように。後に家族を河越に送れ。さすれば領地は安堵とする」
武田信繁「もし山内上杉とことがあれば、我ら甲斐武田も駆け付ける手筈となっている。ご心配召されるな」
藤田「ははっ。…承知致しました、感謝の言葉もございませぬ」
太田資正「…御屋形様、寛大な処置は構いませぬが、いささか条件が甘くはありませぬか?」
「よいのだ。藤田は武蔵の中では意外と兵力があり、上野に圧力をかけやすい。そのまま味方に出来れば儲け物よ。
そして長尾殿…お主は山内上杉の家宰よな?かような人物、なかなか生かしてはおけぬが…いかにして降伏するおつもりか」
長尾「はっ……。それは…成田殿を仲介に…」
「成田は寝返っておらぬぞ。少なくとも今はまだな」
長尾「なっ…」
「はは、騙されたか…。では人質を取り、お主を成田への使者として送る。深谷上杉との交渉に使ってもよいな…。
して…その後はお主の首をはねずに幽閉としようか。領地だが、足利のような地を長尾一族に任せるわけにもいくまい、どうしたものか…」
長尾「…い、諱を変えまする!
憲長の憲は山内上杉に継がれる字を頂いたもの、これを変えまする」
「ふむ…よかろう、では…太田美濃守資正よりとって
長尾正長「はっ…ありがたき幸せ」
「おっと…、まだ満足しては困る。字を変えただけで足利の地、与えられると思うな」
長尾「……で、では…我が娘を差し出しまする。17の娘がおります、どうか扇谷上杉様の妻にしてくだされ」
──え、ええ…想定外だなぁ。あんまり嬉しくないっていうか…。
「しかし、正室が既に──」
長尾「側室でも構いませぬ!!もしこれでも駄目であれば……扇谷上杉様と一戦仕り、討死する所存!!」
め、面倒くさい…。でも戦は勘弁してくれ。兵を動かすのもタダじゃないんだ。
「……あー、わかった。もう良い、藤田のように致す。降伏を認めれば良いな?」
長尾「あいや、暫く…」
武田信繁「…娶られては如何か、上杉様?」
「な、何を申される、典厩殿……いやに急では?それに、私はあまり乗り気ではないのだが…」
…信繁まで何を言ってくれるんだ。
あまつさえ、現代の価値観だと21の私では16の千佳と結婚するのはNGなのだ。16とはいえ数え年、実質15歳との結婚など昭和でも法律的に出来ない。…それに加えて17歳の側室って…いくらなんでも倫理的に駄目じゃないか?
信繁「私の武田家では、兄上も父上も妻を多く娶っているのです。その分一門が増え、兄弟姉妹も多く…身内争いさえ避けられれば、親類というのは頼もしいものです。まあ、まだ妻のいない私が申すのもなんですが。
上杉様は頼れるご親族が居りませんよね?…ならば、妻を増やすというのは…良い手では?」
「うーむ…」
うーん…流石に武田信繁ほどの人間に言われると弱い。
確かに頼れる身内がいない分、色々大変ではあった。直接の解決策にはならずとも、将来的なことを考えれば荒唐無稽ではない。
ならば妻を娶るのも…。しかし、千佳に怒られそうだ。
「……こんなところで考えても致し方ない、それについては後で決めよう。
それと…この首の首実検を頼む。長尾景孝と名乗っておったらしいのだが」
足利長尾「…総社長尾の左衛門佐景孝で間違いないないかと」
「左様か。本来であれば上杉憲政の首が欲しかったのだがな…。まあ、寡兵で勝てたのだから良いか。
では、以上とする」
足利長尾、藤田の両名は一部の供回りを連れ、家臣らや土豪、地侍らはバラバラに帰っていった。
そして我々は人質を取り、南へ向かう。一旦河越城まで帰還するのだ。
松山城で一先ず昼休憩したとき、城の者は驚いていた。やはり萩野谷の言う通り、無謀と思っていたらしい。1万数千の大軍だ。6000程の援軍では心許ないのも当然ではある。
何はともあれ、山内上杉に勝ったのだ。尤も、北条の方はまだ決着がついていないが…。
松山城から3、4時間かけ河越に戻った。今後すぐに江戸城方面に動く予定の為、解隊はしない。人質を河越に留め、情報収集の後北条とどう相対するか考えるとしよう。
「萩野谷、お主の隊は解隊して良い。再び新兵器の開発に戻れ。万が一必要になれば再度出陣させる」
萩野谷全隆「へぇ」
「太田、すまんが一度岩槻城に戻ってくれ。忍城の成田がこちらにつかぬことには、北武蔵の守備を誰かに頼まねばならぬ」
太田資正「はっ。北はお任せあれ」
「…典厩殿、此度の戦、ご助力感謝致す」
武田信繁「ははっ。上杉様のお陰で、勉強になりました。ときに…萩野谷殿の隊で使われていたアレは…」
あー、火縄銃のことね。
「典厩殿はまだご存知ないか。種子島より習い、作らせてみたのだ…火縄で火薬に火をつけ、鉛玉を飛ばす武器よ」
信繁「ふむ…。それは武田でも使えますか?」
「うーむ…。利点も多々あるが…雨にも弱く、弾薬を供給出来なければ無用の長物。まあ、一丁お渡しするか。様々な武器を合わせてこそ戦が出来るというもの…」
信繁「い、頂けるとは思いませんでしたが…」
「なあに、援軍を頂けた上、典厩殿と知己になれたのだ。土産にこれくらいはよかろう」
信繁「…かたじけない」
「…甲斐にはいつ戻られるのかな?」
信繁「はっ、江戸城を陥落せしむるまで滞在したいところですが、諏訪を空けて置くわけにも参りませんから、お暇致します」
「左様か。では、気を付けて帰られるが良い。またいずれ、会うことを楽しみにしておるぞ。
武田殿にもよろしくお伝えあれ」
信繁「はっ」
信繁と別れ、河越城の本丸に戻る。
小姓に尋ねるとまだ江戸城方面は動きが無いようだ。北条も山内上杉敗退の報せが届き次第、動きを見せるはずだが…どう動くかはまだ分からんな。
千佳「…五郎殿!戻られたのですね、お待ちしておりました!
ご無事で何よりです。戦でお疲れになったことでしょう。奥の間でゆるりとお休みしてください」
「え、ええ…山内上杉をどうにか追い払えました」
千佳「五郎殿に守られて、私は幸せ者です…。
これでやっと、ふたりっきりでゆっくりできますね…」
「あ、えーと…多分また出陣します。
山内上杉を退けたので、再び北条と戦わねば」
千佳「え、そんな…。
五郎殿…、婚儀の後から戦の準備、戦に出て帰ってきてもまた戦とは、いくらなんでも忙し過ぎです!!」
「あはは…武家など、そんなものですよ。
それと、もう一つ伝えねばならぬことがあります。実は…調略した足利長尾家より、側室を娶らぬかと──」
千佳「────ぜっっっっったいに、駄目っっ!!!」
あーらら…。顔を真っ赤にしてらっしゃる…。かわいいが、相当嫌らしい。かわいいが。
千佳「…五郎殿は、私では不満なのですか?」
「いやいや…そういう話ではなく。
武田典厩殿より、身内が少ないならば増やしてみては如何かと申されたのです。実際、親も兄弟もいませんから」
千佳「ご!ふ!ま!ん! なのですかっ!?」
「お、落ち着いて…不満なんてないですよ、落ち着いてください」
千佳「はい……」
──うわっ、急に落ち着かないで…。
千佳「……どうしてもと言うのなら、皆様の力をお借りして──」
「あーあーあー!!!分かりましたから、側室の話はやはり、無かったこととします」
千佳「やった♪もう、五郎殿…側室なんて、駄目ですよ?」
「あ、あははは…」
結局、こちらが折れることとなった。万が一家臣達を扇動でもされたら内乱だ。…親戚もおらず当主権力も脆弱じゃないのに内乱が起こるなど、実に馬鹿馬鹿しいことは避けたい。
──戦国時代の女性って皆こんな感じなんですか…?──その虚しい問は誰に届くこともなかった。
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