第4話 両軍動く 同年同月24日
岩槻城に到着した扇谷上杉軍は、山内上杉の動きを注視しながら戦に備えていた。
松山城にはすぐに萩野谷隊を送り、守りを堅めさせた。これで山内上杉が松山城目掛けて攻めようが、簡単には落ちないはずだ。
朝餉を取り、これからの策を伝える。
「…どうやら今川は軍を動かし、富士山麓から北条を見張るようだ。甲斐も近い、武田の仲介で和睦するといったところか」
信繁「ええ。
仲介の使者は私となる予定だったのですが、武田の利益に直接関わることではないので弟の信廉に任せました。
しかし、和睦が成ってしまうと困りますね」
「それ故、早く山内と決着を着けたい。策は昨夜、寝ずに考えた。…離間の計だ。」
太田資正「…御屋形様、言われた物の準備は出来ておりまする」
「…よし、これでよいかな」
信繁「これは…?」
「──偽の書状だ。」
太田「ここ岩槻は太田の本拠、太田は成田ら山内上杉家臣らとは縁がある故、書状はたんまりありまする。
似せて書くのは難しいですが、幾度も書き直しを繰り返せば…」
「…悪くない出来だ。慣れぬ仕事だったろうに、大儀じゃ」
信繁「これは…成田から足利長尾に藤田、深谷上杉への書状…それに、足利長尾から成田へのものも…」
「昨日1日でおおよその武蔵の山内上杉の家臣らの動きは掴めた。成田は慌てて城の防備を整えている上、足利長尾の隊は西に発ち平井城へ向かった。忍城に向かったならば岩槻城を狙っているか松山城を狙っているか分からぬが…。
…平井城からならば森を抜けて松山城を攻める腹つもりなのが丸わかりよ」
太田資正「それ故、成田へは足利長尾を騙って
『我らは扇谷上杉に通じている、
城の守りを堅めても援軍は間に合わない、扇谷上杉に内応を打診すべし』
との書状を送りまする。
足利長尾へは成田から
『我ら成田は太田殿に仲介を頼み扇谷上杉に降る、足利に侵攻するのに忍城を経由し向かうことだろう。
東の佐野は足利を狙っているし、西の横瀬は主君を手に掛けるような不忠者、扇谷上杉に寝返る手土産に足利を攻めるかもしれぬ。扇谷上杉に寝返ってはどうか』
との書状を送りまする」
「そして、私が成田と足利長尾に寝返りを提案する書状を送る。領地は全て安堵、人質さえ出せば傘下として保護するとな。
そして藤田には…成田から寝返りの催促と、私から成田と足利長尾の寝返りを伝える書状を送る上…そこからは典厩殿のお力をお借りしよう」
信繁「なるほど、藤田には武田が秩父道を通って上野を攻める予定があるから、武田か扇谷上杉に寝返るよう──書状を書くのですね。
まあ、甲斐より距離があるので寝返るなら扇谷上杉でしょうが」
「左様、嘘かもしれないと思っても、そうなると我らに寝返らずとも居城に詰めたいはず。
上杉憲政からすれば怪しい動きになる上、藤田にとっては武蔵が窮地になっても目先の城攻めしか見えていない
深谷上杉には成田から
『足利長尾と藤田、横瀬が内通している、その証拠に成田が内通していると口裏を合わせ陥れようとするであろう。急ぎ深谷に戻り、守りを堅められよ』と送ればよい」
信繁「真実と虚偽を織り交ぜた複数の書状、此方の謀は単純なのに見抜くのは難しいですね…これならば離間の計は成るでしょう、おそらく成田、足利長尾、藤田の三つの家のうちどれかは寝返る上、露見しても山内上杉の統率が乱れるだけでしょうね」
「山内上杉は急ぎ挙兵しないと北条との密約が意味を為さなくなる、今日か明日には挙兵し松山城に向かうはず。そこを崩す。
山内上杉が崩れればいよいよ寝返る者も出よう、そうなれば勝ちだ。我らも書状を送り次第、敵を阻みに向かう。
太田美濃守、お主は松山城にいた時間も長い、この周辺に詳しいだろう。軍を展開するのに良い地はあるか?」
太田「では今宵、二ノ宮山まで案内しましょうぞ。平井城から松山城に向かうのであれば杉山城を経由するはず。周辺は丘陵が多く見晴らしが悪いですが、二ノ宮山からならば山内軍の全貌が見渡せまする。
上杉憲政を見つけ次第…山から駆け下り横腹を突き崩せば、寡兵でも勝てましょう」
「よし、それで行こう。松山城に入らせた萩野谷も向かわせ、総勢でかかる」
信繁「これで山内上杉を潰す算段が付きましたね。
では、急ぎ書状を書いて送るとしましょう」
各々必要な書状を書き、送る。もし万が一上杉憲政に見つかり、読まれてしまっても問題ない、敵の結束に楔を打てることに代わりは無い。
──謀は、急激に山内上杉を侵食していく。
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上杉憲政は平井城にいた。足利長尾、長野、白井長尾、総社長尾、小幡、倉賀野、藤田らの軍勢が集結している。深谷上杉や由良成繁は出陣せず、援軍が500ほどずつ送られた。
山内上杉の総勢はおよそ1万6000、未だに北条や扇谷上杉に次ぐほどの兵力を捻出しており、関東管領の名に恥じない大軍であった。
上杉憲政「よし…必要な将兵は揃ったな。ではこれからの動きを決める」
長野業正「杉山城を経由して松山城に向かい、これを攻める。城が落ち次第南下し、手薄な河越城を奪う。これで良いのではないかな」
足利長尾憲長「お待ちあれ。当主上杉朝定率いる扇谷上杉軍6000余りが岩槻城に入っておる、これが救援に向かうは明白。
こちらの3割ほどとはいえ、無視は出来ませぬ」
白井長尾憲景「臆されたか、かような数であれば蹴散らすのは容易い。6000では忍城すら落とせまいて。
そも松山城が攻められると分かっていれば、岩槻城ではなく松山城に入るはず。おそらくは岩槻城を攻めると思っていよう。そこを突いて松山城を奪えばよい」
藤田康邦「しかし…成田が寝返ったとすれば如何か。上杉朝定は謀略に長けていると聞きまする、岩槻城から北上し忍城を奪われれば本拠平井城まで一直線に向かってくるやも…」
総社長尾景孝「いいや、それはなかろう。
仮に忍城を突破しても山内上杉の盟友たる深谷上杉がいる深谷城がある、それに平井城から松山城まで丘陵に囲まれており、行軍している横から邪魔も出来まい。さっさと河越城を奪い、扇谷を滅してしまえばよい」
憲政「…うむ。扇谷の本拠河越城を奪えば武蔵の大部分は山内上杉のもの、関東一の勢力となる。そうなればもはや関東管領の意に背く者などおらぬようになるはず…よし、ではこれより南に発つこととし、今夜は杉山城で過ごす。明日松山城を攻めることとしようぞ!」
長野「はっ…陣容は如何いたしましょうや」
憲政「ふむ…真ん中はわしとして…出陣に消極的な者から先陣とすればよいのでは無いか?先に藤田、足利長尾隊。続いて深谷と由良の援軍、総社長尾、わしの本隊。その後白井長尾、長野隊で…最後に小幡、倉賀野隊とする。
松山城は着いた者から攻めよ、本隊と総社長尾隊は岩槻城を睨み、扇谷に備える。これでどうか?」
長尾憲長「…家宰は某だというに、白井と総社が御屋形の近くとは…」
長尾憲景「左衛門佐殿はご不満のようだが、既に山内上杉家で良い地位に就いているのだからあとは城攻めにて功を挙げよとの御屋形様のご配慮にも気付かぬとは…情けなきことよ」
小幡「長野の後につけねばならぬ某を見ても同じことが申せるのか?そもそも、足利という重要な地を任されているというに、戦に及び腰など…」
倉賀野「皆々方、落ち着かれよ。どのみち扇谷との戦はいずれ避けられぬ。北条とやりおうておる今が千載一遇の好機、ここはすぐさまに攻めるのが上策ではござらぬか?」
憲政「…決まったようだな。時は満ちた。偽の関東管領を潰す好機、逃すでないぞ!…では各々、出立致せ!」
山内上杉軍は大軍を率いて昼過ぎに平井城を出、夕焼けに照らされつつ杉山城に入る。
結束の緩んだ山内上杉軍ではあったが、遅延なく行軍し、日没前に到着した。
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扇谷上杉軍は岩槻城を出陣し、市野川を遡って北西に進む。山内上杉に悟られぬよう、慎重な行軍であった。
日没前、二ノ宮山に登った。兵達に明日山内上杉軍の通過を待ち、上杉憲政の陣に突撃することを伝え休ませる。
「…ようこんな場所、知っておったな」
太田資正「はっはっは…松山城に預けられていた折、稽古の合間に抜け出し、歌を詠むのに丁度良い自然豊かで見晴らしの良い場を探しておったのです。さすれば、この地に伊古の神社があり、そこの者より教えて貰ったのです。
ここは見晴らしが良い…人里より遠く、山城も無い。乱世の中でも落ち着ける、良き山ですな」
「ふむ…確かに、良き地だな…。
見よ、花が咲いておる。これは──
武田信繁「躑躅ヶ崎でもそう多くは見ないのですが…立派ですな」
太田「はは──戦の前夜に見る花も、実に良いもの。
僅かな月明かりでも燃ゆる、躑躅の花、か…風情がござらぬか」
下弦の半月が照らす赤は夜闇の中でも煌めきを見せていた。
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