第9話 千葉攻め・畿内 天文7年(1538)1月5日
前世の記憶が蘇ってから初の年越しを終えた。かれこれ3ヶ月近くになる在陣である。冬の寒さも応え、いよいよ両軍の士気は低下していた。
千葉氏侵攻の準備は寝返った高城胤吉によって綿密な計画を練られ、整った。死に体とはいえ北条の相手をする片手間に名門の武家を潰すのだ、生半可な備えでは想定外の事態に対処出来ない。
「正月の少し緩い気分になっている今こそが好機だ。美濃守の武勇、関東に轟かせて参れ」
太田資正「ははっ!」
太田資正に2000の兵を付けて出撃させる。太田資顕や臼井景胤の兵力を加えれば5000ほど、十分な兵力だろう。
兵力が減った隙に北条が奇襲してくるかもしれない、まだまだ気を抜いてはいけないな──
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深夜に出発した太田資正の隊は、葛西城まで前進し舟に乗って移動した。季節は真冬、川に入れば命に関わる。
国府台城を経由して太日川を遡り、小金城に到着する頃にはもう日が昇って昼前であった。
太田資顕「源五郎よ、久方ぶりだな。悪いが休まずに臼井城に向かうぞ」
太田資正「…兄者に申されるまでもない、さっさと向かうぞ」
高城胤吉「お初にお目にかかる、高城胤吉と申す。此度は某が案内いたす」
資正「では、お頼み申す」
千葉氏の本拠、本佐倉城は臼井城から
太田資顕、資正が率いる5000の兵は、臼井景胤率いる500と合流し印旛沼を反時計回りに迂回、本佐倉城の東に陣取った。
太田資顕「敵の本拠は目の前だ!!攻めかかれ!!」
本佐倉城は空堀と湿地帯に囲まれた要害であり、そうやすやすと落とせる城ではない。だが正月で油断し、西からの侵攻を想定している城兵には簡単な迂回さえ有効打となる。
千葉昌胤「な、何事か…東なら佐竹か岩城か?」
小姓「扇谷上杉と太田の旗にございます、数は5000と少し、この本佐倉城を落としに参ったのだと思われます」
昌胤「それはいかん…いずこに落ち伸びるべきか…いや、北条は無理としても、古河御所を始め結城、小山、小田に酒井に救援を求めよ!!」
奇襲によって不意を突かれたが、千葉昌胤は冷静に対処する。
昌胤「利胤!利胤はおるか!?」
千葉利胤「はっ、父上!」
昌胤「お主は海上九郎と民部卿丸を連れて北に逃げよ!長沼城に行き、その後西に逃げよ、まだ千葉の家臣の原、
利胤「しかし!!某も父上と共に戦いとうございます!!ここ本佐倉城は山城の要害、たかが5000など跳ね除けられまする!!」
昌胤「士気も低く周辺に救援できる家臣や国衆はいない、どんな堅城でもいずれ落ちるわ!!今すぐ兄弟を連れて落ち延びよ!!」
利胤「…し、承知仕りました…ち、父上はいかがされるのですか?」
昌胤「お主らが逃げ延びる時間を稼ぐ!!さあ、はよう落ちよ!!こんなところで千葉の命脈を絶ってはならぬ!!」
千葉利胤とその弟達は、扇谷上杉軍に見つからないよう僅かな供回りを連れ、北に落ち延びていった。
昌胤「行ったな…皆、急げ!!館は捨て城に登れ!籠城するぞ!!」
近隣の千葉兵達は、城下から大慌てで城に入り門を閉める。
いよいよ太田資顕、資正、臼井景胤の千葉氏本拠、本佐倉城攻めが始まった。
太田資顕隊が城の周囲を取り囲み、太田資正隊が門に取り付く。尤も、木でできた小口は簡単に破壊できる。山城の恐ろしいところは、ここではない。
太田資正隊が門を破壊し、曲輪を登ろうとする。しかし、上の曲輪から矢が飛び交いなかなか近付けない。山城が堅固な理由は地形なのだ。
太田資正は一度隊を退く。追撃の無いように隊列を崩さず慎重に撤退した。
資顕「おい!!何をもたもたしておる!」
資正「何だと!?」
高城胤吉「まあまあご両名、落ち着かれよ。
…正面からであればこの堅固な城を落とすのは難しいでしょうな。故にこそ、火攻めをします。」
資顕「しかし、火攻めでは城が燃えてしまう。この城を奪取した後に利用できるようにしたいのだが…」
高城胤吉「問題ありませぬ、この城の強みは防御施設ではなく自然の地形を整えた曲輪でございますれば…全て焼き払ってしまっても構わぬでしょう」
資正「なるほど…こちらを見渡せるように木々も切られている、延焼の恐れもない、か」
臼井景胤「焼け落ちて敵兵が逃げたところを討ち、城を奪う訳ですな」
資顕「ではそれでゆこう、弓隊よ!散開した後、火矢を用意せよ!!」
資正「我らは城の出口に布陣し、逃げる兵を切る!千葉一族の首を取ったものは一番の軍功だぞ!」
臼井景胤「我らは裏口に参る、存分に攻め立ててくだされい!!」
資顕「よし、準備は整ったな、火矢を構えよ!!放て!!」
火攻めが敢行された。木でできた塀や櫓に次々に火矢が刺さり、少しづつ、着実に燃えていく。
山城に井戸は少ない。城兵は僅かな水で消火しようとするが、追いつかない。もはや木造の物を壊すしかないが、判断が遅れたようだ、既に幾つもの曲輪に火が着いている。
──パニックになった城兵が次々に出てきた。
資正「ここが好機ぞ!!全て討ち取れ!!」
───その後は一方的であった。組織だった抵抗が出来ずに、次々と城兵が討たれてゆく。
臼井景胤「裏口から攻め上り、千葉昌胤が首、討ち取り申した!!」
資正「おお!!よくやりましたな、御屋形様も喜ばれるであろう!!」
資顕「確か千葉昌胤には嫡男含め男子がおったはずだが…」
臼井景胤「若い武者はおりませなんだな、おそらく逃げられたか」
高城胤吉「ここから最も近い千葉派の城は北の長沼城、千葉家臣の長沼氏が詰めております。そこに逃げたか、西方に落ちたか…」
資顕「…致し方ない、取り敢えず館に入るぞ、その後北の長沼城を攻める」
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蕨城に詰める上杉朝定に、伝令がやってきた。
伝令「太田信濃守資顕殿より、本佐倉城陥落、千葉昌胤の首を取ったとの報せが」
足利義勝「おお、千葉の当主を討ち取ったか」
「…上々だな。一族の者は?」
伝令「はっ、嫡男含め、逃げ延びた模様にございます。」
難波田憲重「ふむ…嫡男は落ち延びたか」
伝令「このまま北の長沼城を落とし、太田美濃守資正殿は再びここ蕨城に戻るとのことです」
「そうか…大儀」
渋川義基「取り敢えず、狙いは遂げましたな」
「うむ。これで北条の士気が少しでも下がれば良いが…」
小姓「御屋形様!今川からの使者が参りました!」
「ん?ああ、相模守殿の婚儀のことか。
ここに通してくれ」
暫し待つと、利発そうな僧侶が現れた。
雪斎「お初にお目にかかります。
あ、太原雪斎か。今川義元を補佐し、ブレインとして今川家の最盛期を築いた名将だ。僧侶だが水軍も指揮する武闘派でもある。
義勝「吾は足利相模守義勝じゃ、よしなに頼む」
「よくぞ参られた、私は関東管領の扇谷上杉修理大夫朝定である…此度は、相模守殿の婚儀のことだな?」
雪斎「左様…しかして、すぐに今川の姫を嫁がせる、という訳には参らぬこととなりました」
義勝「…な、何?」
どういうことだ?
「何ぞ、問題でもおありかな?」
雪斎「それが…実は、九条家が口を挟んできたのです」
「九条家…
九条家とは、公家の最高峰公卿の中でも頂点に立つ摂関家の一つだ。摂関家とは摂政、関白になれる家柄で五つあり、
雪斎「ええ、正確には摂関家の九条家のみならず、同じく五摂家の一条家、二条家も口を挟んできました。
東国では畿内の情勢はあまり届きませんが、厄介なことになっているのです。
簡単に話しますと…五摂家で二つの派閥に別れているのです」
義勝「五摂家とは確か、近衛、
「近衛家の分家が鷹司家、九条家から分かれたのが一条家、二条家でしたな。五摂家でも関白の位を争いあっているのは存じておるが…」
雪斎「その近衛派と九条派の問題なのです。
足利将軍家は代々日野家から妻を娶っておりましたが、今の室町殿は足利義晴様は近衛家の姫を妻とし、昨年に嫡男まで生まれました。
これにより足利と近衛の協力体勢が出来、近衛派の権勢に追われ九条派の公家は細川家や平島源公を名乗る足利義冬、武家公卿の大内義隆はじめ西国の大名に助力を乞うて京を出る始末なのです。」
「なるほど、近衛稙家は北条氏綱と鶴岡八幡宮の件で誼がある。それに対抗して九条様は今川殿に声をかけ、ついでに河越御所に繋がりが欲しいと。
そういえば、武蔵には九条様の荘園がありましたな。もはや荘園制度は機能して無いとはいえ、繋がりはある。」
雪斎「そのようです。
正確には、朝廷の実務を担当している
つまりは、近衛─足利将軍─北条の体制に対抗して、朝廷─九条─今川─河越公方─上杉の体制を作りたい訳だな、納得した。
「朝廷も近衛派一強は避けたいのかな?事情は分かり申した。
して、どのようにせよと?」
雪斎「それが…九条、二条、一条によい年頃の娘がおらぬようで、土佐の一条家より一条房家様の娘を娶って頂きたいと…」
土佐一条家は一条家の庶流であり、戦国公家大名などと呼ばれることもある勢力だ。
与えられた官位も高く、一条房家は正二位だ。関白でも従一位だから、それに次ぐ位であり、とてつもなく高い。
義勝「ふむ。…吾はよいと思うぞ?
年頃は幾つかな?」
雪斎「数えで21…いや、新年を迎えましたから22ですね」
義勝「それなら、まあ、問題なかろう」
雪斎「そして、今川の姫は婚儀の後側室として輿入れいたします。
流石に一条家の姫君を差し置いて正室にはできませんから…」
「…では、そのようにお願いします」
義勝「今川殿にも、よしなに」
雪斎「はっ、伝えておきます…ではこれにて、失礼──」
「──暫し待たれよ」
雪斎「…?なんでしょう」
「…和睦の調停を頼みます。
先ほど、千葉昌胤の首を取り本拠本佐倉城を落としました。
北条は士気が落ち、和睦の方法を模索するでしょうが、当然ただでは和睦できません。北条氏康も不利な条件は飲みたがらない上家臣を納得させつつ新たな当主としての格を落としたくはないはず。
おそらく、近衛家の伝手を使って室町殿に和睦を頼み込むつもりでしょう。
そして室町殿は受ける。将軍家の権威を保つ為、和睦の仲裁は体のいい仕事ですからね。
これは近衛家の利得になります。ならば…」
雪斎「…なるほど、やるべきことは見えましたな。では、山科内蔵頭様に頼み、九条派を絡めて朝廷に和睦の仲裁を斡旋します。」
「これで
雪斎「お見通しですな。まだ年若いというのに…
無論、今川家も一枚噛ませてもらいます。
扇谷上杉様も、朝廷に献金されますかな?」
「無論、北条に対抗するには打てる手は打っておくべき故。」
…但し、あまり銭の余裕はないので無理はすまい。
雪斎「ではその件も任されました。いやはや、扇谷上杉様は軍略のみならず、政略にも通じているのですなぁ」
「…まだ若輩の身故、お知恵を借りることもあるやもしれぬ。
今川殿にも北条氏綱を釘付けにして頂き、感謝いたす」
雪斎「…では、早速京に連絡しに駿府に戻ります」
義勝「お気を付けられよ、北条は何を企んでおるか分からぬからな」
雪斎「はっ」
太原雪斎との会見は想定外だったが、得られるものは多かった。しかし、中央の情勢は複雑だが活かせば大きな利になる可能性もある。関東のみならず、西にも目を向けねば…。
義勝「しかし、何やら難しい話になってしまったな」
「まあ、畿内周辺の情勢はここ関東よりも複雑な上遠い地故情勢も来ない。…なかなか思索が及ばぬ」
和睦の目処がいよいよ立ってきた。この長陣もようやく終わり…。
この真冬、寒い中北条の侵攻を跳ね除けたことは大きな収穫だ。
後はさっさと天文の飢饉に備えねば…。
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