閑話 夕餉 同年8月3日

 上杉朝定は河越城に帰還した後、諸将を城に配置させつつ、新たな客人足利千佳及び足利晴直を河越城に住まわせた。足利千佳は本丸の屋敷に、足利晴直は三の丸の先、中曲輪屋敷の一部を居住区画とした。


 三の丸屋敷は再建中だ。城外と直結しているため櫓と共に作らせている。あまり豪奢ではないが、そのうち江戸城を奪還する為だ、豪華にする意味はあまりない。致し方なし。


 城の外には屋敷は造らない。というか、洪水対策として城の中を避難区画として使用できるよう考えている。天文の飢饉の前触れから、減災を図っていくつもりだ。




「御屋形様、千佳姫様がお呼びです」


「何用かな…?相わかった」


 本丸まで向かう。現代には本丸に御殿が残っているが、今はまだ無い。たしか、江戸後期に建てられたんだったか…。いつか、余裕が出来たら豪華にしても面白いかもしれない。…戦国時代に余裕があるかは分からないが。

 本丸に登ったら奥に案内された。屋敷の奥にいるらしい。


「千佳殿、何用ですか?」


千佳「!!五郎殿っ、聞いてください!!」


「…なんでしょう」


千佳「本丸屋敷に私一人では!!広すぎます!!…何故いつも二の丸屋敷にいらっしゃるのですか!?」


「…亡き父は二の丸屋敷で療養しており、それに合わせて…ですな」


千佳「……す、すみません…」


「いえ、お気になさらず。しかし、足利左馬頭足利晴直殿と一緒にするのもと思いまして」


千佳「では…、では、本丸屋敷に住まないのですか?」


「いくら広いとはいえ、嫁入り前の娘と二人で住むのは…」


千佳「…小姓や女中はいるのです、二人きりではないでしょう?」


「それをいうなら別に一緒でなくとも…」


千佳「……五郎殿は、私と一緒は嫌、ですか?」


 うっ……。

 そんな綺麗な目で言われると断れない……。


「……わ、分かりました。では、用向きがないときは広間近くの間や書院にいますね。」


千佳「それでお頼みしますね。そ、それと…」


「まだ何かご不満が?」


千佳「いえ、不満ではないのですけど…、いつも兄上や国王丸と共に朝餉や夕餉を頂いていましたので、五郎殿と共にお食事を食べたいと思い……」


「な、なるほど…分かりました、飯時になれば向かいますね」


 こうして、普段2人でご飯を食べるようになったのであった………。姫と2人で食事って…どうしてこうなった。





 夕方になった。夕景が美しいが、日没も近い。そろそろ夕餉だ。

 本丸奥の間に行き、千佳と共に夕餉を待つ。聞くところ、エボダイというものが出るらしい。疣鯛イボダイのことであろう、秋になり始めの今、旬の魚だ。


 夕餉の御膳として刺し身と塩焼きが出てきた。白身の淡白な魚だが脂が乗っているのがよくわかるほど、美しい身だ。煎り酒を付けて頂く。

 煎り酒とは、煎った酒ではない。日本酒に梅干しを入れ、半量ほどになるまで煮詰めた後鰹節で出汁をとったものだ。酸味、塩味、うま味を足せる調味料だ。醤油が普及するまでは、ポピュラーな調味料であった。



 刺し身を一切れ、煎り酒に付け口へ運ぶ。

 煎り酒は醤油より塩味は控えめであり、淡白な身とよく合う。梅と鰹の穏やかな香りと疣鯛の脂の優しい甘みが広がってゆく。

 ──これこそはまさしく玄妙な味わいだ。


 …続いて、塩焼きに箸を伸ばす。疣鯛は焼くと骨が取れやすくなる、食べる人間に優しい魚だ。

 ふっくらとした身をほぐし、口へ。

 ──これもうまい。塩味で魚のうま味が強調され、身がほろほろと口の中で解けてゆく。臭みも少なく、食べやすい。


 塩焼きした身を煎り酒に付け、白米と合わせて頂く。嗚呼、これは──素晴らしい。

 これが、だ。スパイスなどなくとも、一線級の味わいを楽しめる──



千佳「…五郎殿?…大丈夫ですか?」


「あ、あぁ…すみません、夕餉こっちに集中してしまって…」


千佳「…ふふ、五郎殿はお食事が大好きなんですね?また一ついいことを知れました」


「あはは…、千佳殿もこれから先、美味しいものを沢山食べて、大きくなってくださいね」


千佳「…─大きくなったら嫁がせるのですか?」


「ゴホッゴホッッ…しょ、食事中になんて話を…い、いいですか…千佳殿が望むなら嫁いでも構いませんが、それは15を超えてから。幼い娘を嫁がせる訳ないでしょう?」


千佳「むぅ〜…」


「な、何が不満なんです??」


千佳「…気付いてくれないと、…嫌です…」


「そ、そんな無茶な…」




 夕餉を食べた後書院に向かい、書院の突き上げ戸を開け城下を眺める。

 今日の武蔵は、平穏であった。河越城下では日暮れ後もしばらくは──茶屋から人が出入りし、焙り餅屋が餅を売り、立売もまだ何か売っているようだ──賑わいを見せている。人の営みはいつの世も、食事から成り立っているのだ。


 ──戦国乱世とはいえ、戦のみの暗いだけの時代ではないのだ。誰しも平穏を求め、平穏を守る為に戦っている──。

 それ故、飢饉に対応しなければならない。この地の主として、行政の長として、上杉朝定は内政の方策について考えを巡らせるのであった。


閑話 夕餉 完

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