第7話 勝沼の敗北 同年同月28日
蕨城周辺に布陣する扇谷上杉軍と江戸城、志村城に布陣する北条軍とで睨み合いが開始されてから12日の昨日、ようやく山内上杉軍が出陣した。
すぐさま太田資正に1500の兵を与えて出撃させた。毛呂城を山内上杉家に掠め取られることのないよう、人質を出して降伏すれば領地と城の安堵を約束する書状を持たせている。
毛呂城を制圧した後は山内上杉軍の後方にて後詰するように申し付けてある。万が一太田資正が討たれるのはまずい上、山内上杉家当主上杉憲政が討ち取られるのも避けたい。
…北条を負かしてくれるのが1番良いが。
山内上杉軍は上杉憲政率いる1万2000で出陣したという。出陣まで時間がかかった理由は当主の出陣の為と大軍を用意したからか…。
大方、扇谷の活躍を見て山内も勢力を拡大しておきたいのだろう。戦国大名は面子も大事ではある、的外れな考えではない。
北条は北条綱成率いる兵3000が相模に戻った。相模で兵を掻き集めて山内上杉に対抗するつもりだろう。いかに北条とはいえすでに2万も動員している、ここから兵を集めるのは難しいだろうが…。さて、どう転ぶか。
そして今日、いよいよ西武蔵で両軍が動き出す。
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太田資正は山内上杉軍の到着を待たず、毛呂城に向かった。城内に書状を届けたが、山内上杉軍の大軍が向かっている話もすでに聞いていたのだろう、人質を出して降伏してきた。もし戦闘になれば…と考えていた資正には肩透かしである。
資正「上杉憲政様に勝沼城に向かうよう伝えよ」
山内上杉軍に毛呂城を降伏させたことを報せ、南方の勝沼城へ向かうのを待ってから後方に付き従う。
勝沼城に到着した山内上杉軍は、1万2000の大軍をもって包囲した。
しかし…勝沼城の門が空いていることに気付く。空城の計だ。河越城の奇襲の意趣返しか。
山内上杉軍が慎重に城を接収していたが、人っ子一人いないようだ。山城のため大軍は収容できないが、未だ見ぬ北条軍を警戒して4000ほどが城内に入ってゆく…。
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北条綱成は、北条氏康から与えられた策通りに動いていた。桝形城の大道寺盛昌と合流し、周辺からあらかじめ伝達しておいた国衆や土豪らをかき集める。都合7000人ほど集まった。
山内上杉方の滝山城の抑えに1000人割き、後顧の憂いを断ち初沢城に入る。
初沢城には武蔵守護代であり、山内上杉傘下であった
北条綱成「おお!!…さては好機というやつだな?」
大道寺盛昌「これなら氏康様の狙い通り動けるな」
綱成「よぉし!!お主ら、準備はよいか!!俺らはこれから北の勝沼城にいる上杉憲政に突っ込んで首を取る!!俺様について来い!!」
盛昌「はぁ…地の利がこちらにあるとはいえ油断するな」
綱成「老いぼれは少し黙ってろよ!」
盛昌「老いぼれ言うな。ほれ、さっさと行くぞ」
綱成「今回は俺が大将だ!!先頭は俺だ!!」
盛昌「…いや、大将が一番槍でどうする…」
北条軍は間髪入れずに勝沼城に向かう。ここは三田の領地、案内され近道を山内上杉軍にバレずに進軍する。
慣れない土地、空城の計による無用の警戒により、山内上杉の隙がある。そこを突いて奇襲するという訳だ。大軍という油断、奇襲なら夜か朝という固定観念が、致命的な弱点を作り上げている。
綱成「おー、あの城だなぁ?」
三田綱秀「綱成様、あそこが勝沼城です。
入り切れずに外にも布陣していますね。
守りも堅くない上、慣れない地でしょう、叩くなら気付かれる前の今かと」
綱成「んじゃあ早速行くかァ!!
全員俺について来い!!遅れるんじゃねえぞ!!
この戦、すでに勝った、勝ったぞ!!かかれェェ!!!」
北条勢は6000ほど、対して城の外にいる山内上杉軍は8000…本来、数的不利は綱成が負うはずであった。しかし予想外の奇襲であり、急な北条の精鋭の突撃にあっという間に陣形を崩す。隊列の維持すらままならない。
それだけではない。山城の曲輪から指示を出すのには時間がかかる。指揮系統の麻痺した山内上杉軍には組織的抵抗さえ難しいことは素人目にも明らかであった。
統率の効かない兵達は端から逃げ、戦おうとした者も迫りくる北条兵にすぐに叩きのめされ、逃げる味方に揉まれ、突撃してきた綱成らに轢き潰される。正に潰走が始まっていた。
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上杉憲政「ええい!、何をぐずぐずしておるのだ、はよう
憲政「なっ…兵の数で
憲政「む…………それでは退くこととする」
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北条勢は山内上杉軍を蹴散らし、城外の兵はおおよそ敗走か撤退していた。城内の兵も次々に撤退していく。敗走した兵はとても多く、後詰の太田資正の陣にも大勢逃げ込む兵がいたほどだ。
大道寺盛昌「おお、あれは上杉憲政の旗印では?」
綱成「ほー、アレかァ。
皆々!!狙うは大将首のみ!!ここで上杉憲政とやらの首をあげて手柄にするぞ!!矢を放て!!突撃ィ!!」
綱成「勝った!勝った!どけどけどけぇ!北条の勝ちだァ!!」
憲政「なっ…何やら後方で兵が…次々にやられていく…逃げ切れるか?」
綱成「おっ、お前が大将だな、その
綱成は槍を振り回し山内上杉の兵を次々になぎ倒し、上杉憲政に迫る。
上泉信綱「御屋形様、ここはお任せを」
上杉憲政「…伊勢守よ、気をつけるのだぞ。あとは任せた」
綱成「邪魔だァ!テメエの首もッ…!?」
上泉信綱の刀が鞘から抜かれ、妖しい光さえ発さずに瞬きの剣筋を見せる。ゆったりとした動きのはずが剣先を捉えることも
──刹那、綱成の槍は断たれた。綱成は天性のセンスで槍を手放しつつ刀を抜く。
上泉信綱「…貴殿は名のある将とみた。手前は上泉伊勢守信綱、ここから先は通させぬ」
綱成「俺は北条一門で……いや関東で最強の地黄八幡・北条綱成様とは俺のことだ!ここは押し通る!!」
綱成が自慢の膂力をもってして斬りかかる。だが上泉信綱は剣筋を完全に見切り、刀も合わせずに避け、刀を自身の後方、右足の横まで下ろす。このカタチなら綱成から刀は見えない。綱成は八相の構えで甲冑を活かして隙のない体勢だ。
綱成「お前、なかなかやるな。だが…まだまだァ!!」
…数瞬の後、綱成は体を屈め一気に踏み込み、一息で滅多斬りにする。滅多斬りとはいえ、全て急所狙いの精確な太刀筋──だが、剣聖たる上泉信綱にとっては読みやすい素直な剣に過ぎない。軽くいなし、一太刀で綱成を刀ごと弾き飛ばした。綱成は体勢を崩さず、着地して構え直す。上泉信綱は今度は下段に構え、攻撃を誘う。
上泉信綱「ほう…見込みのある動きだ。ふむ…年頃も近そうだし、いい稽古相手だな」
綱成「オイ舐めんなァ!死にさらせオラァ!!」
上泉信綱「─そこだ」
綱成を挑発に乗せ、より単調な太刀筋になったのを見逃さずに即座に刀を弾き飛ばす。
綱成「ぐっ…」
流れるままに首を落とそうと刃を切り返した瞬間、ギリギリで大道寺盛昌が横から刀で防いだ。互いに間合いを取る。
大道寺盛昌「上泉殿、ここは退いて頂く!」
上泉信綱「おお…これはこれは、大道寺殿であったか…元々手柄に興味はない、御屋形様も撤退されたことだし手前も帰るとするか」
綱成「…皆逃がすな、ヤツの首を取れェ!!」
盛昌「いかん、やめよ!」
十数名の北条兵が上泉信綱に襲いかかる。当然のように纏めて斬り裂き、刀や鎧すらも断ち切る。
槍を奪うが早いか一突きで数人の北条兵を貫き、横から近付いた兵らも腕や脚を切られ崩折れる。
後方から不意打ちを狙った兵は、一瞥さえされずに目を切りつけられ、膝をつくと同時に
刀は
上泉信綱「…では、手前はこれにて失礼する」
そのまま上泉信綱は走って上杉憲政を追っていった。周辺を見渡せば城内の山内上杉兵も撤退し終えている。
綱成「…むむ…大将首だけでなくあの強いヤツも倒せなかったか」
盛昌「かの剣聖の相手などするものではない…命がいくつあっても足らんわ。敵が浮足立っていたとはいえ1万2000の大軍を半分の6000で直接打ち払ったのだ、十分過ぎる戦功であろう」
綱成「義父上や氏康なら3倍の敵でも勝てるだろ」
盛昌「あの方達はそもそもそんな危なっかしい戦い方せんわ…勝沼城に一度入ってから相模に戻るぞ」
北条も山内上杉も互いに武蔵から撤退していく。勝沼の戦いは北条の快勝で終わった。
山内上杉軍が敗北したのを知るや、孤立していた山内上杉傘下、滝山城の大石氏は北条に降伏した。
西武蔵に出陣した北条軍の戦術目標は完全に達成されたのだ。
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伝令「山内上杉軍、敗北の由!」
「上杉憲政は死んでないか?」
伝令「はっ、双方主だった将は無事のようです」
蕨城で待機していると西武蔵での動きが伝わってきた。しかし予想通りとはいえ、こうもあっさり北条に負けるとは…山内上杉も頼りにならないな…。
毛呂城に撤退し、上杉憲政を山内上杉領まで護送した太田資正は北条綱成らが相模に戻るまで毛呂城に詰めている。北条の動きが掴め次第河越城経由で蕨城に来てもらわねばならない。
北条綱成はおそらく江戸城に行き、志村城に詰めるつもりだろう。睨み合いは続くが、西武蔵を再び狙われない限りは河越の兵も動かせる。目先の勝ちなどどうでもよい、戦略目標は達成出来た。
あちらは戦勝で士気が上がるだろうが、こちらは公方で士気を上げるとしよう。
で、あれば──次の策も考えておくべきだな。
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