第4話 決戦の足音 同年同月7日

 北条の軍勢が城の手前1kmに陣を敷いた。設営しているため、今すぐには攻めない…ように見せかけている。

 お互いに目の前にいるはずなのに、驚くほどの静けさが辺りを包んでいる。響く音は設営の音のみだ。こちらも兵達に極力静かにするよう伝えた。

 沈黙を破ったのは北条の陣でも、河越城でもなかった。だ。南方より2、300程で三の丸めがけ突っ込んで来た。


 敵が、急に門の前で立ち止まる。やはり、そうだろうな。



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 北条綱成は、地黄八幡と書かれた鉢巻を巻き、僅か300の兵で静かに北上し、河越城に突撃した。


 ──門が、空いている。これは、何処かで聞いたことがあった気がする。氏康が空城の計とかなんとか言っていた。確か罠に掛けるため──だったっけ?


「全員止まれーっ!!」


 統率の取れた北条兵達は一瞬で前進を止める。兵達も門が空いているのに気付き始めた。


「何故空いている?他の門はどうか」


 軽く観察したが、他の門まで空いている。意味が分からない。


「皆、気を付けて俺の後ろについてこい!!」


 どのみち、300で城の外に留まれば戦術的な優位はない。奇襲なのだからいち早く攻めねばならない。そう思って城に入ると──


「…?誰もいない…」


 屋敷のようなものさえ、破壊されている。正しく狐につままれたような気分。だが呆けている場合ではない。二の丸への門は固く閉ざされているようだった。急ぎ、氏康に伝えなければならない。伝令を走らせる。




 北条氏康は綱成から伝令を受けた。

 空城の計であることは間違いないな…三の丸に誰もいないという。これは、間違いなく罠だろう。だが、どういう作戦だ?伏兵が城下にいる可能性はある。だが、せめて葛西城の援兵を河越城こちらにまわさせねば、戦略が崩れる。ならば、やはり兵を向かわせ攻めるしかない。700を追加で向かわせ、攻めさせるしかないか?或いは、河越城の前に張り付いたままでいいか?だがその前に、情報収集をせねば…。斥候を放つ。


 そもそも河越城は出来るだけ破壊したくない。北条方の籠城の可能性があるうちは火など掛けられないから、どうにか援兵を引き付けるしか北条の手がない。上杉朝定、やはりひとかどの将どころでは無いということか。



 斥候を放ったところ、空いた門の前に柵が置いてあったという。それも三重に。私の陣の前の門にはないが、これで伏兵がいるのは確実だ。あからさますぎるほどの罠だ。攻めるのは無しだ。しばらくは河越城に張り付くしかない。そう考え、綱成に伝令を送る。




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 見たところ、三の丸に来たのは綱成の隊だ。想定通り。

 まあ、ここまで罠を演出すれば警戒するよな。でもまだ矢の一本も飛ばさない。隊に動きが見られた。北門に向かっている。ここで三の丸からの撤退が選ばれたらしい。

 彼らは柵を強引に突破して北側以外に抜けることは出来ない、闇夜に伏兵がいればアウトだ。

 よってすぐに陣に戻るのは悪くない判断だ──が、それは命取りだ。


「今!火矢を屋敷跡に射よ!」


 もったいないが泣く泣く破壊した三の丸屋敷には、油を撒いておいた。これであっという間に燃えてくれる。二の丸に火が移らないよう瓦礫は遠ざけてある。史実通りなら、河越城を奪って籠城したい氏康は、河越城を燃やしたくないから火の手が見えて焦る筈だ。その一瞬の焦りで壊滅させる。


「続いて連中に矢を放て!!」


 撤退しようと北の陣を目指したら三の丸屋敷跡が急に炎上しはじめたのだ。

 当然大混乱している──が、さらに矢を射掛け、組織的抵抗を不可能にさせる。

 ──いかに北条綱成が名将だろうが、北条氏康が優秀だろうが関係ない。人の集まりとはほんの僅かばかりの想定外で瓦解するものなのだ。


 退かしていた瓦礫から、残しておいた伏兵が出てきて綱成隊に切りかかる。ここがタイミングだな。


「弓を持っている者以外は私に続け!追撃するぞ!」


 門から出撃すると綱成が逃げていくのが見えた。野生の勘で退いたな、ここまでお膳立てすればそりゃそうだ。


「このまま敵陣に突っ込むぞ!かかれ!」


 綱成隊が氏康の陣に逃げ込めばどうしたって混乱が広がる。

 そこを──伏兵が側面より突撃した。上杉義勝と挟撃するカタチだ。


氏康「まずい、伏兵が来る」


綱成「なんだって!?どうすりゃいいんだ」


氏康「南に小さな砦が2つあった筈だ、とりあえずそこを無理矢理落として夜を越すぞ!先に南に向かえ、しばらくここで持ちこたえる!!」


綱成「俺は南の砦を落とせばいいんだな、相わかった!!」



 おいおい、ここまで追い詰められて組織的抵抗が出来るのか──わけわからん。想定外だが…やるしかない。綱成の隊は南へ向かった。砦を落とすつもりか?ありえない、だがやりかねない。情報伝達が多少やりにくくなるが──撤退させるしかない。


「急ぎ本丸より、松明の信号で有山砦と観音寺砦に伝えよ!敵がそちらに向かった、急ぎ難波田城へ避難せよと!!」



上杉義勝「北条共は浮足立っているぞ、このまま陣ごとき潰せ!!」


氏康「これは、流石にどうにもならないか。支えきれない…皆、南へ撤退せよ!殿しんがりを交代しながら退くぞ!!」


「「応!!」」


 どうやら精鋭を集めてきたらしく、ここまでやっても士気が高く、隊列が崩れない。バケモノか?この時代、戦闘中の隊列の変換はまず無理だ。それに少しでも恐慌状態の兵がいると味方崩れと言って軍が丸ごとバラバラになる可能性がある。戦の経験が多いと味方崩れにはならないが、ここまでやって撤退という難しい作戦を執るとは、相当の強さだ。これと同じことが出来る軍は今他に、日本にいるのか?これに史実で扇谷上杉が完膚無きまでにやられたのは仕方ないことだな…。



 流石に兵は多く討ち取ったが、氏康らの首は取れなかった。ここまで上手く策がハマったのに、敗走させられないとは一体どうなっているんだ…。目標の壊滅には程遠いぞ…。


義勝「今回も追い討ちせぬのか?」


「だーかーら、今は真夜中。それに兵数も多く隊列を保ってて練度の高い相手に無理に挑むのは無謀というもの。おそらくは有山砦と観音寺砦を落として籠るつもりでしょう。まあ、計画から外れたとはいえ問題ありません。今夜はゆっくり寝れるかも…いや、偽装退却の可能性も0ではないから、警戒は怠れないか…」


義勝「おーい、首を持ってさっさと城に帰るぞ」


「はいはい…というか、北条が強かっただけで今回の動き滅茶苦茶良かったですね」


義勝「ふはは、吾は猛将やもしれぬな、ふはは」


「…調子には乗らないように、足を掬われますよ」


 まあ、目先の勝利は置いといて、城でゆっくり休もう。奇計を考えるのは好きだが、戦術は不確定要素が多くて難しい…。




 朝起きると、難波田城から連絡があった。砦からの兵を無事収容したとのことだ。連絡マニュアルや信号の暗号表は持ち逃げ出来た。


 後は、砦の氏康、綱成の対処に三戸の兵を向かわせれば当初の作戦通りだ。北条の練度だけが想定外だったが。


「三戸に伝えよ、河越城に戻り、有山砦と観音寺砦に向かう。作戦通り兵を連れて河越に戻れと」


「葛西城の方も動きがある筈だ、上田にも北条が動き次第作戦通り兵を退くように申し伝えよ」



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 江戸城大広間にて

 北条氏綱は北条幻庵、北条綱高とともに軍議を開いていた。


氏綱「皆、昨夜のことは伝えたな?」


幻庵「はっ、どうやら罠にはまり、河越城南の有山砦、観音寺砦を落として籠もっているようです、兵は300程討ち取られたとの由です」


綱高「氏康殿と綱成がいてそんなにやられることがあるのですか?」


氏綱「おそらくは策を看破していたのであろう…。だが、読み通り葛西城救援の兵は昨日の今日で河越城に退くであろう」


幻庵「では、兄上がここ江戸城を抑え、綱高殿は葛西城を攻撃するのですね」


氏綱「うむ…綱高、1万2000やるから1日で葛西城を落とせ、万が一落とせぬなら戻ってこい、儂が直々に落とす」


綱高「はっ、一瞬で落として見せましょう」


氏綱「幻庵、葛西城が落ち次第氏康と綱成に江戸城まで落ち延びるよう伝えよ。出来るだけ兵も連れてここに来るようにと。その後、小田原に戻り、兵を可能な限り補充して急ぎ葛西城へ向かえ、小弓御所との戦に備えるぞ」


幻庵「心得ました」


氏綱「まだこの長い戦は始まったばかり、氏康も今回はいい薬になったかも知れぬ…だが──上杉朝定、想定よりずっと強い。油断ならぬ男だな……」


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 扇谷上杉領内、葛西城より


 葛西城城主上田朝直は、城を明け渡したいとは微塵も考えていなかった。だが、作戦通り河越城が狙われ、三戸義宣の援軍が退いたのとほぼ同時、北条が江戸城からこちら葛西城まで進撃してくると知らせが入った。

 後詰である小弓御所の軍は国府台城の南、市川辺りにも着いていない、もし救援に来たとしてまるで間に合うとは思えない。

 ──これは御屋形の読み通り、この平城で籠城するは下策か。やはり、急ぎ撤退しよう。

 小弓御所足利義明へ文をしたためつつ、撤退の命令を下す。


上田朝直「全ての城兵に告ぐ、今すぐに撤退せよ!用意している小舟に乗り込め!」


豪族「なんと、上杉様のご家臣が北条如きに一戦も交えぬとは…我ら、承服出来ませぬ」


上田朝直「では、お主らに葛西城をやる、我らは岩槻城に退いて北条との戦線を立て直す!」




 江戸城より出陣したは北条綱高率いる兵1万2000程だと斥候が伝えて来た。葛西城に残った豪族ら100余名以外の800ほどの兵は、大量の舟を使って北西の岩槻城を目指す。直線距離なら蕨城の方が近いが、北条に捕捉されかねない。北条綱高には辛酸を幾度も舐めさせられている、寡兵でまともに当たる訳にはいかない。


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 小弓公方足利義明は、下総国市川辺りを国府台城に向け進軍していた。千葉と交渉し、降伏させるためだ。わざわざ扇谷上杉の救援に向かうつもりは無かった。もはや古河公方足利晴氏のことしか頭に無い。



 扇谷上杉家臣、上田朝直より書状が届いた。北条の一派が葛西城を攻めるようだ。流石に後詰にも間に合わなければ公方の信望に関わる故、房総の長は国府台城へ急ぐ。


足利義明「扇谷上杉め、北条如きの足止め一つ出来ぬのか…余の仕事を増やすとはいい度胸よな」


足利基頼「北条は江戸城に2万近くで詰め、さらに相模から兵を集めているようですな。…葛西城を狙ったのを見るに我らの邪魔立てをするつもりでしょう」


義明「そうとなれば急がねばなるまい、兵を集めるよう余は御内書を諸将に送る、お主は御教書を方方に送れ」


基頼「承知」


足利義純「父上!こうしょうではなく戦になるのですか?」


義明「おおそうよ、初陣を楽しみにしておれ…これから少し忙しいでな、遊んでおれ」


義純「はい!」


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 河越城で、戦の後始末をしていると三戸義宣より伝令があった。氏康と綱成は有山砦、観音寺砦より兵を連れ、深大寺城方面に向かったらしい。

 …三戸隊を見た瞬間撤退したということは、やはり葛西城房総への道が狙いということだ。無理な追い討ちをしないように伝令を返しながら、深大寺城にいる難波田の長男、定重に手旗信号を経由して連絡を送る。戦慣れしていない彼と氏康、綱成両名が戦えば悲惨なことになるのは想像に難くない、守りを固め、深大寺城から一歩も出ないよう伝えた。

 氏康と綱成の向かう先は深大寺城などではなく、桝形城を経由して江戸城に入るつもりだろう。兵数の規模を鑑みるに、国府台で史実以上の大戦おおいくさが行われる可能性が高い。



 決戦のときが近づいている…。落陽の武蔵より、東の房総へ目を向ける。雲ひとつない夕闇が、関東を覆っていた。

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