第6話 死兵 同年同月26日
北条氏綱率いる兵1万4000は、真夜中に太日川を渡河して国府台城の北、松戸城を攻撃した。その後に続き北条氏康が8000で渡河。千葉家臣高城胤吉率いる兵4000も合力している。北条綱高の兵4000はそのまま太日川と利根川の間に布陣し、東の扇谷上杉と西の国府台を睨む。総兵力は3万。
松戸城に籠もっていた城将はたまらず退散、武田信応が城兵を救援、収容して国府台城のすぐ北、相模台まで撤退した。武田信応により、小弓公方足利義明にすぐに伝令がもたらされる。
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足利義明「な、なぜ、なぜじゃ…」
足利基頼「…先の和睦と恭順の話は我らを欺くための謀、まんまと太日川を渡河されてしもうた…兄者、ことここに至れば全兵力を結集し北条と雌雄を決する他ありませぬ」
義明「………出陣するぞ──武田信応のいる相模台まで向かえ!!晴氏なんぞの前に氏綱めの首を獲る!!」
まだ夜の明けぬ早朝、足利義明は本隊8000を率いて国府台城を出、相模台に布陣した。それに続き、足利基頼隊5000、元々布陣していた武田信応隊4000…それに、初陣の足利義純を守る兵2000。里見義堯らは北条水軍と対峙すると言って安房に向かった。総兵力は1万9000だ。
────もはや決戦は、誰にも止められない。
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河越城から兵を率いて岩槻城に入った扇谷上杉当主、上杉朝定は、北条氏綱が渡河したと伝令があった瞬間に多くの諸将─上杉義勝、難波田憲重、難波田定重、上田朝直、渋川義基、太田資顕、太田資正らに城には最低限の守兵を置いて─急ぎ参陣するように伝えた。予め用意した甲斐あって、8時間ほどで全員集結した。
三戸義宣、難波田広儀、萩野谷全隆はそのまま防備を固めさせ、江戸城の北条綱成、桝形城の大道寺盛昌に備えさせる。
扇谷上杉の陣容はこうだ。上杉朝定本隊2500、上杉義勝隊500、難波田憲重隊1500、上田朝直隊800、渋川義基隊1300、太田資顕隊1300、太田資正隊600だ。難波田定重は実質初陣なので難波田憲重隊にいる。
合わせて8500の軍勢、弱小勢力にしては頑張った方だ。これならば十分に…とまでは言わないが、北条とて片手間に相手出来る数ではない。
夜が明け、東から日が昇った。雲に覆われた太陽が徐々に顔を覗かせ、紫雲を切り裂いてゆく。だが珍しいかな、江戸湾から海霧が湧き立ち、関東平野を覆ってゆく──決戦の時は来た。
日の出とほぼ同時に、矢切台は鬨の声に包まれる。
北条軍が矢切台の北に、太日川より氏康隊、氏綱隊、高城隊が並び鶴翼を成している。
対する小弓公方軍は、足利基頼隊を先頭にして武田信応隊、足利義純隊、足利義明隊と縦に並び魚鱗の陣としている。
小弓公方軍は北条軍の中央突破を狙い、北条軍は小弓公方軍を包囲するカタチとなった。
両軍の衝突と同時に、扇谷上杉軍は守兵の少ない葛西城を奪還する。大量の舟で移動、包囲し攻め落とした。全軍でかからずとも時間はかからない。すぐさま上田朝直を配置して江戸城への備えにする。
息つく間もなく利根川の前へ向かう。──だが、向こう岸に北条綱高がいる。渡河の最中を襲われれば敗走だ。追撃戦の得意な綱高の前で敗走すれば壊滅しかねない。どうするべきか、簡易な陣を敷き諸将を集める。
「皆知っておろうが…利根川の向かいに北条綱高率いる兵4000がいる。渡河の隙を狙っているようだが、何がいい策はあるか?」
渋川義基「ここは舟で下流に行き、河口から国府台に迂回して参るというのはどうか」
難波田憲重「阿呆、ここを空ければ北条綱高に武蔵を蹂躙されるわ」
太田資正「左様、ここは隊を分け上流に別動隊を向かわせ、本隊はここを渡河すればよいかと…綱高が渡河中を狙えば、横から突き崩せます」
「なるほど………。時間がない、お主ら、この策でよいか?」
一同「「はっ」」
「ではその策で行こう、別動隊は太田美濃守と上杉相模守、本隊は私、太田信濃守、渋川右兵衛、最後に難波田弾正だ。別動隊は舟をありったけ使い、速やかに渡河せよ。本隊は別動隊に合わせて上陸する。よいな?」
一同「「応」」
「ではゆくぞ!出陣せよ!」
別動隊は、すぐさま舟で上流に向かう。本隊は舟で川を渡り、上陸の隙を伺う。
別動隊が三郷辺りで上陸し始めた。兵数が少ないため上陸は早く終わるだろう。タイミングを合わせるため私の隊も上陸を始めさせ、私も舟を降りた。
すぐさま敵の襲来に備えて陣を敷き───、待て、北条綱高隊がこちらに来ない。隊列を組み替えているようだが…。そうか!!別動隊を先に狙う腹積もりか!!合点がいった。本隊が渡るのは時間がかかる、先に別動隊を撃破すれば本隊は渡れない。綱高が追撃が得意ということは、それ即ち判断が早いということか。ならば───
「渡河し終えた兵はいかほどか?」
小姓「はっ、およそ6、700かと」
「わかった………皆の者、よく聞けい!!!これより、兵500で敵側面を突く!!!残りは後続の補助に当たれ!!」
流石に想定していなかったのだろう、渡河し終えた本隊の一部の兵達は皆、顔を青ざめさせていた。
当然だ、4000の敵兵に500で突っ込むなど正気の沙汰ではない…。だが、別動隊が撃破されればもはや後はない。ならば、死中に活を見出す他なし!
「敵の狙いは別動隊だ!
このまま敵に別動隊を撃破されればこの戦に勝ちはない!
よって敵の側面に突撃する他ない!!」
「この戦、死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり!!
武士なれば、我が進むべき道はこれ他無しと、自らに運を定めるべし!!」
上杉謙信の言葉を借りる。この戦に限っては、彼の様な軍神の如き戦をせねば勝てない。
…皆の顔つきが変わった。彼らとて坂東武者の一員なのだ。
今まで扇谷上杉が北条に劣勢だったのは、策略や将の質のせいだ。兵の質ではない。坂東武者には、武士として遅れを取ることのないよう心構えがある。
──つまり、死ぬ覚悟があるということだ。
死兵であれば、全滅するまで全力で戦い続けられる。敵に勝てる。…手が震えだした。これが、これこそが武者震いか、初めて感じる感覚だ…。
…よし、行こう。
「準備はよいな!?突撃せよ!!かかれ!!!かかれ!!!」
全速力で北条綱高隊へ向かう。馬など舟には乗せて来なかった、ただ足を動かす。たった500で、4000の敵を狙う。
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北条綱高は、判断力が高く、決断が早い。扇谷上杉の別動隊を狙い出撃したが、敵の本隊から500程が勢いよく向かってくる。
綱高「誰ぞあるか!?奴らを食い止めよ!!」
太田資高「某が奴らを食い止めましょう!!」
綱高「太田殿…お頼み申す!他の者は私に続け!!」
太田資高はかつて扇谷上杉から寝返り、江戸城を献上した…。しかし、丁重に扱われず江戸城二の丸の隅の庵に追いやられていた。屋敷一つ貰えぬのだ、ここで武功を挙げねば裏切った意味がない。付き従うのはたった200の兵だが、皆生活が、命がかかっている死兵だ。必ず足止めしてみせる…たとえ死んだとしても息子達に手柄が残る。死んでも通さぬ、その覚悟が出来ていた。
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前方に200程の兵が出てきた。足止めか。
──ここで止まる訳にはいかない。絶対に綱高隊まで辿り着かねば。
「かかれ!!敵を押し潰せ!!」
死兵同士がぶつかり合う。斬り合い、組み討ちを行い、そこら中に血しぶきが飛び散る。
朝の日差しの中、血の雨が降る。
「──ハッ!ハァァッッ!!」
敵兵の鎧の隙間…内腿目掛けて刀を振るう。そのうち起き上がれないままに失血死するだろう。
前世と今世合わせて初めて人を、直接…殺した。だが、呆けている場合ではない。次。
味方と組み討ちしている敵の首を斬る。首は落ちなかったが、骨まで断てずとも命は断てる。次。
槍を振るっている鎧武者。味方と息を合わせて槍をどうにか押さえこみ、刀を振り下ろすが、鎧で全く斬れない。何度も何度も叩き刀が折れたが、味方の兵が槍でとどめを指した。近くの死んだ兵から長巻を拝借する。次。
どうやら名のある武将のような男が立ちふさがった。
「─名のある武士と見た。一騎打ちを所望致す。我こそは太田…」
「邪魔だ!くたばれッッ!!」
今話を聞いている暇はない、手柄なんぞどうでもいい。走って勢いを付け長巻で兜ごと顔面を突き倒す。
まだ生きているらしい。首元に刃を立てるが鎧で通らない。
長巻で力付くに殴り、大人しくなったところで短刀を抜き、逆手で首に指す。血が吹き出た、頸動脈に当たったらしい。短刀の血を拭う。
首など放置して男の持っている刀と鞘を奪った。
顔を上げ周囲を見ると、死体がごろごろ転がっていた。足止めの敵はもはや残っていない。──再び号令をかけねば。
「はぁ…はぁ…はぁぁぁ……このまま、敵の側背を突く!動ける者は隊列を組め!動けない者と取った首は置いていけ、また走るぞ!!」
戦争の残酷さとか何とか考えている場合ではない、今ここではどのみち動かなければ死ぬしかない。
隊列を組めた兵は400程か。100程脱落した。だが構っている余裕は無い。
走っている内に太田資正隊と上杉義勝隊が北条綱高隊とぶつかったのが見えた。
なんとか拮抗こそしているが、兵力の少ない別動隊は不利だ、急いで、兎に角急いで斬り込むしかない。
綱高隊の眼前まで来た。後は斬り込むだけだ。
「かかれぇぇェッ!!!」
がむしゃらに斬りかかり、敵の隊列が乱れた。兎に角遮二無二前に進む。
敵の槍を折り、刀ごと勢いに乗って
まずい、疲労で右腕が限界だ……。どれほど戦った……?
渋川「御屋形様!!ご無事か!?ここはお下がりくだされ、あとは我らが!!」
本隊の味方が救援に来た、…やってきたのは渋川か。
「お、おお、渋川、右兵衛…よう、ここまで…来たな…」
渋川「手柄が欲しいですからなぁ!!」
主君がいなければ手柄は出ない。死なれては困るから全速力でここまで来たのだろう…現金なやつだ。
その後、太田資顕隊、難波田憲重隊も加勢、挟撃された北条綱高隊は壊滅、綱高自身も負傷したようで残った兵達は高須賀まで川の浅い所を通って渡り、北に撤退した。
「み、皆……ようやった…な……」
難波田「御屋形、なんという無茶をなさるのです」
「はははははっ、いや、何、あそこで突っ込まねば負けた故、な?」
さっきの戦闘のせいだろう、ハイになってるのが自分でもよくわかる。
「ははははっ…安心せい、こんな戦…二度とせんわ」
織田信長も桶狭間の戦い以後、本当に必要に駆られなければ単独で突撃などしなかった。本来戦術に明るい信長でさえそうなのだ、こんな戦い方何度もやってられるか。
太田資顕「御屋形様、その刀は…」
「ああ、敵将を殺して奪った」
太田資正「それは太田一族の恥、太田資高の刀ですな、…素晴らしい手柄ですぞ」
資顕「…太田家を代表して御礼申し上げます、我が一族の恥を雪いでくださり、感謝の言葉も御座いませぬ…」
「よい、それはよい…だがな、まだ…まだ戦は中盤ぞ、斥候はまだか」
難波田「北条と小弓御所の戦いは未だ互角、僅かに小弓御所が押していると」
「一時の勢いに過ぎぬ、北条より兵が少ない上、士気も下がっている…。ほれみろ…包囲されていく上、武田の隊が、東に撤退していく…」
「よし、我らは小弓御所が完全に崩れる前に陣を張るぞ!私と太田信濃守、渋川右兵衛は太日川沿いに布陣せよ!!それ以外は渡河して国府台城に詰めよ!!城将の長は難波田弾正とする!」
一同「「応!!」」
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