第31話 善意のバトン

 頭が冴えるタイミングというのは人によって様々だろうが、僕はバイクに乗っている時や入浴中にそうなりやすい。


 この日もそうで、気まずい雰囲気でフレイヤさんを後部座席に乗せてアパートまで戻っている間に、大事なことを一つ、彼女に伝え忘れていたと思い出した。


「フレイヤさんは、エストリエに情けをかけるべきではないって考えているんですよね?」


 バイクを降り、アパートの自室まで戻ってきた僕は、部屋の照明を点けながら尋ねた。


「……はい」


 ビーズクッションの上に座りながら、フレイヤさんは肯定する。


「彼女がゴッドランド人……それも、あなたの知り合いだったとしても、ですか?」


 飲み会の時、二人が姉妹のように見えたことを思い出しながら、僕は質問した。


 常に仮面やサングラスを着用しているのも、僕かフレイヤさんのどちらか――おそらくは後者に、素顔を見られては不都合だからだろう。


 そうでなければ、仮面を外した上でウィッグを着用すれば、変装としては十分なはずだ。


「何を根拠に、そう仰っているのかわかりませんが……仮にそうだとしたら、わたくしはますます、エストリエのことを許せなくなると思います。国を裏切ったことになるわけですから」


「そう……ですか」


 概ね予想通りの答えだった、それでも僕は落胆せずにはいられなかった。


 もしかしたら、これで彼女も和解路線に傾いてくれるかもしれないと、心のどこかで期待していたからだ。


「わたくしからも、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」


「はい」


「先程仰っていた、あなたさまとエストリエの共通点というのはなんなのでしょうか……?」


「それは……」


 素直に話すべきか、僕は迷った。


 美幸のことはできれば思い出したくない、ということもあるが、自分の弱い部分をさらけ出したら、フレイヤさんの心がますます離れていってしまうかもしれないと、不安に感じたからだ。


 だが、この程度で駄目になる関係なら、どの道いずれ破綻するだろう。


 そう考えると、踏ん切りがついた。


「江梨子さん……エストリエは親の都合で、好きでもない相手と付き合わされていたって言ってましたよね」


「はい。その言葉が、真実だという保証はどこにもありませんが……」


「確かに、あの発言はこっちの同情を誘うための嘘だったって可能性もなくはないですけど……でも、多分違うと思うんですよね」


「何か、根拠はあるのですか?」


「だって、現にフレイヤさんは同情してないじゃないですか」


 そう。


 僕がエストリエの境遇に自分を重ねたのは、言ってしまえば単なる偶然なのだ。


 こちらの戦意を削ぐことが目的だったのであれば、他にもっと効果的な言葉があったはずである。


「それはそうですが……」


「……すみません、話を戻します。そういう政略結婚みたいなのとはちょっと……いや、だいぶ違いますけど、僕も色恋沙汰でちょっとしたトラウマがあるんですよ。具体的には、好きだった相手、信じていた相手に裏切られたっていうか……僕にとっての一番は間違いなくその人だったんですけど、彼女にとっての僕はそうじゃなかったんですよね。でも、向こうはそれを隠してた」


「ひどい女性もいたものですね……わたくしなら、そのようなことは絶対にいたしませんのに」


「……そう、それですよ!」


 フレイヤさんの言葉に、僕ははっとさせられた。


 そうだ。


 考えてみれば、少し前まで深刻な女性不信に陥っていた僕が、エストリエの善性をここまで信じられるのは、彼女のおかげなのだ。


「……結人さま?」


「正直に言うと、今、あなたがエストリエを疑っているのと同じように、僕も最初はフレイヤさんのことを疑っていたんです。『異世界の王女とか言ってるけど本当なのかな』とか、『僕のことを何かの計画に利用しようとしてるんじゃないか』とか」


「そ、そうだったのですか……?」


「……よーく思い出してみてください。自分の行動を」


 困惑するフレイヤさんに、僕は自省を促した。


「……た、確かにわたくしの行動は、王女らしからぬものだったかもしれません。ですが、利用というのは……?」


「映画とかだと、よくある展開なんですよ。主人公に不思議な力を託した存在が、裏で良からぬことを企んでいるのは」


 実際はどちらかといえば映画よりもテレビアニメでよく見る展開なのだが、その違いをフレイヤさんに説明するのが面倒だったので、僕はそう説明した。


「な、なるほど……? それはよくわかりませんが、言われてみれば確かに、『わたくしが結人さまの力を、悪しき計画に利用しようとしていない』という証拠は、どこにもありませんね……ですが、『最初は疑っていた』ということは、今はもう疑っておられないのですか……?」


「はい」


「いったい、なぜ……」


「一緒に過ごしている間に、フレイヤさんが悪い人じゃないってわかったからですよ」


 戸惑うフレイヤさんに、僕はきっぱりと言い切る。


「…………!」


 すると、彼女は目を見開いた。


「僕が疑り深かったのは、さっき話した女の子との出来事が原因だったんです。だから、フレイヤさんと出会わなければ、今でもきっと他人……特に女性を信頼することはできていなかったと思います。つまり、今の僕がエストリエとの和解を望んでいるのは、あなたの影響でもあるんですよ」


 ゴッドランドからやって来たのが、いかにも王女らしい高貴で真面目なだけの女性だったら、僕はエストリエとの和解など、考えもしなかっただろう。


 フレイヤさんがおよそ王女らしからぬ積極性や奔放性、裏表のなさを持つ人間だからこそ、僕は救われたのだ。


 だから今度は、僕も自分と似た境遇の人を救いたい。


 そう感じるのは、それほどおかしなことだろうか。


「……ずるいです、結人さま」


「えっ?」


 フレイヤさんに上目遣いで咎められ、僕は当惑した。


「そのようなことを言われては、わたくしもエストリエに同情せざるを得ないではないですか……」


 だが。


 続く言葉を耳にして、その感情はすぐに安堵へと変わった。


「考えてみれば、エストリエはこちらの世界だけではなく、ゴッドランドでも人を殺したことは一度もありませんでした。まだ完全に、闇に染まりきってしまったわけではないのかもしれません。それに……」


「それに?」


 言い淀むフレイヤさんに、僕は続きを促す。


「確証はまだ持てないのですが、彼女の正体には一つ、心当たりがありまして……確認のためにも、次に会ったら仮面を剥がしてみたいと思うのです」

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