第30話 合気道の神様
どうにか勝てはしたものの、相手の優しさに付け入るような形になってしまったので、後味はあまり良くなかった。
あの時、たまたまカラスが横切って、ゴーレムが動きを止めなければ、おそらく僕は、いや、僕たちは敗北していただろう。
「本日のゴーレムは以前戦った個体よりも強力でしたね、結人さま」
バイクを停めている場所――神社の近くのスーパーまで戻る道すがら、僕が自分の未熟さを痛感していると、隣を歩いていたフレイヤさんが言った。
「そう……ですね。どうしてでしょうか……」
素材の違い、などだろうか。
「おそらく、こちらの世界の人々の、ゴーレムやエストリエに対する感情が原因でしょう」
僕はそう予測していたのだが、フレイヤさんの答えは全く違っていた。
「感情?」
「はい。以前、魔法には即効魔法と条件魔法の二種類があるとお話ししましたが、これは発動のタイミングで分類した場合のお話でして……どのような感情を原動力としているかによっても二分できるのです。わたくしたちが使っている、人々の正の感情を源とする『白魔法』と、負の感情を源とする禁忌の魔法、『黒魔法』に」
「つまり……この世界の人たちがゴーレムやエストリエのことを恐れているから、あのゴーレムは前よりも強くなっていた……そういうことですか?」
「はい、おそらくは」
頷くフレイヤさん。
そういえば、彼女もエストリエも、最初に出会った時はこちらの世界では本領が発揮できないと話していた。
あれは、「こちらの世界ではまだ誰も自分たちのことを知らないから、人々の感情を魔法の原動力にできない」という意味だったのか。
「でも、それなら僕たちも強くなっているはずじゃないですか? ゴーレムを倒した存在に対しては、肯定的な感情を抱く人が多数だと思うんですけど……」
「そのはずですが……あちらに対する負の感情が、それを上回っているのかもしれません。あるいは社会全体に蔓延している漠然とした負の空気が、黒魔法の使い手に有利に働いたか……」
「それは……あるかもしれませんね」
失われた三十年という言葉を思い出しながら、僕は言った。
バブル崩壊の後、十年以上が経過してから産まれた僕は、好景気というものを経験した記憶がない。
「それにしても、まさか江梨子さまの正体がエストリエだったとは……」
「そんなに驚きましたか?」
話題を変えるフレイヤさんに、僕は聞き返した。
「はい。逆にお尋ねしますが、結人さまは驚かなかったのですか……?」
「まあ、前からそんな気はしていましたから」
「そうでしたか……流石は勇者さま、慧眼をお持ちなのですね」
「いや、それほどでも……」
正直、最初からかなり怪しかったし、割と誰でも気付けるような気がする。
「それはそうと、わたくしは今日、エストリエのことがますます許せなくなりました。まさかバッグサーに潜入し、我々のことを騙していたとは……」
「そうですか? 僕はエストリエって、そんなに悪い人じゃないような気がするんですが……」
フレイヤさんが憤慨する中、僕は彼女とは真逆の意見を口にした。
「……結人さまは何を根拠に、そう仰っているのですか?」
「えっと……ゴーレムに復元魔法を仕込んでいたこととか、僕を本気で殺そうとしているようには見えないこととか……ですかね。弱点を探っていたとか言ってましたけど、『融合変身』してない時に暗殺したほうが手っ取り早いでしょうし……」
「復元魔法は戦闘の痕跡を消し去るために仕込んでいた可能性もありますし、暗殺という手段を選ばなかったのも、それでは魔王として認められないからではないですか?」
「そ、そうかもしれませんけど……バッグサーでの言動的にも、悪い人だとは思えないんですよ」
「本人が、こちらを油断させるための演技だと言っていたではないですか……結人さまはなぜ、そこまでエストリエに肩入れするのですか?」
呆れ気味で尋ねてくるフレイヤさん。
「まさか、あの女に好意を……」
こちらが答えを返す前に、はっとした表情で彼女は続けた。
「いや、そういうわけじゃないですけど……少し似ている部分があるから、っていうのはあるかもしれません」
異性に関するトラウマがあるのは、僕もエストリエと同じだ。
だから、彼女の過去を他人事だとは思えないのだろう。
「同情している、ということでしょうか?」
「……そうかもしれません」
「……結人さま、甘いです。甘すぎます。事情はどうあれ、彼女はあなたさまを殺そうとしているのですよ?」
僕の言葉に、フレイヤさんはあからさまに不愉快そうな顔をした。
物騒な発言だが、今は八時過ぎで、ここは辺鄙な住宅街である。
よほどの大声を出さない限り、第三者に聞かれることはない以上、わざわざ咎める必要もないだろう。
「フレイヤさんは、合気道ってご存知ですか?」
だが、彼女が僕に対して先程のような態度を取るのは初めてのことだったので、若干面食らいながらも僕は尋ねた。
「いえ……」
「この国の武道の一つで、僕も小さい頃、少しだけ習っていたんですけど……その神様と呼ばれる人物が、こう言っていたそうなんです。『合気道の一番強い技は、自分を殺しに来た相手と友達になることだ』と」
僕が合気道の道場に通っていたのは小学生の頃で、その期間は一年にも満たない。
動きなどほとんど忘れてしまっているが、先生から聞かされたその言葉だけは、今でも鮮明に覚えていた。
「結人さまはそのお方の教えを実践し、エストリエと友人になろうとしておられる……そういうことでしょうか?」
「はい」
「………………」
僕が短く頷くと、フレイヤさんはしばし黙考した後、おもむろに口を開いた。
「……申し訳ございませんが、わたくしはやはり、そのお方の考えは甘いと思います。わたくしは教育係から、勇者というのは圧倒的な力で全てを蹴散らす最強の存在だと教えられてきました。それなのに、あなたさまは……」
フレイヤさんはそれ以上、言葉を続けようとはしなかったが、彼女がどう思っているのかは明らかだった。
弱くて甘い僕は、勇者らしくない。
そう言いたいのだろう。
「その勇者っていうのは僕の先祖、
「……はい」
首肯するフレイヤさんを見て、僕は普段温厚な彼女がナンパ男たちに対しては冷酷に斬首刑を求刑した理由がわかった。
フレイヤさんの根底には、一族郎党のためには命懸けで戦うが、敵対者に対しては非情な鎌倉武士への憧憬があるのだ。
「まあ、先祖って言っても何十代も前の存在ですし、生まれ育った環境も全然違いますから……」
「それは……わかっているのですが……」
「納得が行きませんか?」
「……はい」
否定してくれることを心のどこかで期待していた僕は、少し傷ついたが、同時にこうも感じていた。
これは仕方のないことだ、と。
体が大きいこともあって、フレイヤさんにとって僕はある種のアイドル的存在――文字通り、「勇者」という「偶像」そのものだったのだろう。
芸能人が週刊誌などによって、メディア向けの顔とは異なる本性を暴かれた時、多くのファンが幻滅してしまうのと同じように、理想の勇者像とかけ離れていた僕に対して、彼女は失望してしまったのだ。
僕はフレイヤさんのことをだいぶ信頼できるようになってきたというのに、彼女のほうからは幻滅されてしまうとは。
人間関係というのは、どうしてこうも上手く行かないのだろうか……。
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