第8話 勇者の家
大きな公園から児童公園までは、「
いかにも異世界人らしい
そう感じながらも、僕は彼女を家に上げた。
「失礼いたします」
「ちょ、ちょっと待ってください……!」
靴――白いパンプスを履いたまま、上がり框を跨ごうとするフレイヤさんを、慌てて制止する僕。
「? どうなさったのですか、結人さま」
「靴は、ここで脱いでください」
「物置へ入るのに、靴を脱ぐのですか……?」
僕が手本としてスニーカーを脱いでみせると、フレイヤさんはきょとんとした顔でそう言った。
いや、物置て。
「ここは物置じゃなくて、僕の家です……」
「えっ? 勇者さまともあろうお方が、こんな狭い部屋に住んでおられるのですか……?」
嫌味で言ってるわけじゃないんだろうけど、なんというか反応に困るな。
「ああ……まあ、はい」
と、感じながら僕が頷くと、フレイヤさんは黙って踵を返した。
「あ、あの……どこへ行くんですか?」
もしかして、「王女の自分がこんな狭い部屋に住めるか」と、怒っているのだろうか。
「この国の王族へ、抗議へ行って参ります」
そう予測していたのだが、フレイヤさんの答えはその斜め上を行くものだった。
「……へ?」
「勇者さまをこんな手狭な物置に住まわせるような者に、王の資格はありませんから」
「いやいやいやいや、ちょっと待ってくださいって! 僕はこの世界じゃ、ただの一市民なんですよ!?」
「それがおかしいのです」
「おかしいって言われましても……僕は『
「……あっ」
僕の指摘で、フレイヤさんは自分がどこへ抗議に行けばいいのかわかっていないことに気が付いたようだった。
流石に、これで諦めてくれただろう――
「知らないので、教えてくださいませんか?」
そんな僕の希望的観測を、フレイヤさんは一瞬で打ち砕いた。
× × ×
三十分以上かけて、この国における僕が何の地位も権力も持たない小市民であることや、総理大臣も天皇陛下も厳重に警護されていて、そう簡単には直訴できないことを事細かに伝えると、フレイヤさんはようやく折れて、パンプスを脱ぎ部屋に上がってくれた。
(つ、疲れた……)
もし、これが彼女の「いかに自分は勇者の子孫を敬愛しているかアピール」だったとしたら、完璧に逆効果だと言わざるを得ない。
人心を掌握するのに長けているであろう工作員が、そんなヘマをやらかすとは思えないが――こちらの世界の人間とは、根本的に違う価値観で動いている可能性もある以上、油断は禁物だ。
それにしても。
フレイヤさんに対して、こうも疑り深くなってしまうのは、やはり僕の根底に、女性に対する不信感が根ざしているせいなのだろうか。
あの女とは全くの別人だと、頭ではわかっているのだが――
「結人さま、これはなんでしょうか?」
などと、僕が軽い自己嫌悪に陥っていると、フレイヤさんは少年漫画の単行本がぎっしりと詰まった本棚の上に飾られた、首の関節が動くようになっている、赤い牛の置物に興味を示した。
異世界人からすると、その下に並べられた漫画のほうが珍しいと思うのだが、背表紙だけだと普通の本にしか見えないのかもしれない。
「ああ、それは赤べこですね」
そう考えながら、僕は答えた。
「赤べこ……ですか?」
「はい。
厳密には去年の初秋、今通っている大学にAO入試で合格し、時間に余裕ができたので参加した、会津まつりの時に購入したものだ。
市の図書館で読んだ小説の影響で、小学生の頃から新選組が好きだったのもあり、地元と友好都市である会津には、かねてより親近感を抱いている僕だった。
「なるほど……ふふっ、なんだかかわいらしいです」
フレイヤさんが微笑んで、赤べこを指先で軽くつつくと、会津地方の素朴な郷土品は彼女を歓迎するかのように、その首をゆったりと左右に揺らした。
× × ×
その後、僕が元々夕飯に食べるつもりだった焼きうどんを多めに作り、箸が使えないであろうフレイヤさんにフォークを添えて提供すると、彼女は「おいしい」と言ってくれた。
表情も満足げではあったが、本当に美味だと感じてくれたかどうかはわからない。
フレイヤさんが訓練を受けた工作員だとしたら、本心ではまずいと思っていても、顔に出さないことくらいは朝飯前だろう。
(いっそのこと、わざとマズい飯を作り続けてみるか……?)
一瞬、そんな考えが頭をよぎったものの、彼女が悪人ではなかった場合、「王族としての責務を果たすため、たった一人で右も左もわからない異世界までやって来た、ノブレス・オブリージュの塊のような少女」に、意味のない嫌がらせをしたことになってしまうのでやめておくことにした。
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