第9話 反面教師
夕飯を済ませた僕が、風呂を沸かしてフレイヤさんに「お先にどうぞ」と一番風呂を譲ると、彼女はこう言ってきた。
「ありがとうございます、結人さま。ところで……着替えを手伝ってはいただけないでしょうか?」
「……は?」
また色仕掛けで、僕の好感度を稼ごうという算段か?
「わたくし、祖国ではいつも、メイドに着替えを手伝ってもらっていたものですから……一人では、まともに服を脱ぐことすらできないのです」
訝しむ僕に、フレイヤさんは先程の発言の意図を説明した。
「はあ……」
それくらい練習してからこっちの世界に来ても良かったのではないかと思うのだが、時間がなかったのだろうか。
「とりあえず、できるところまでは一人でやって、どうしても無理そうだったら僕を呼んでください」
「……わかりました。やってみます」
あまり邪険に扱うと警戒していることがバレてしまうかもしれないが、だからといって女性の着替えを素直に手伝う気にもなれず、僕が折衷案的な回答を返すと、フレイヤさんは不安そうな顔をしながらも、素直に頷いた。
幸い、僕が住んでいるアパートは風呂とトイレが別の構造で、脱衣所こそないものの、ダイニングキッチンと居間が引き戸で隔てられているため、彼女が風呂に近いDKで着替えている間は、扉を締めた上で居間にいれば、さしたる問題はない。
だが、それはフレイヤさんが無事に一人で衣服を脱ぐことができた場合の話だ。
「結人さまあ……」
いつ助けを求められるかわからないので、イヤホンをして音楽を聴いているわけにもいかず、僕が衣擦れの音に悶々としていると、フレイヤさんは五分ほどで音を上げ、引き戸を開いた。
「……どうしたんですか? フレイヤさん」
「せ、背中のリボンが、うまくほどけなくって……」
半べそをかいている彼女の背後に僕が回ると、ワンピースが脱げないように結ばれたリボンが、こんがらかって固結びになってしまっていた。
これは確かに、慣れない人間は一人でほどくのは難しいだろう。
だが、他人の補助があれば、簡単に外せるものでもある。
「ちょっと待っててくださいね……」
僕はそう言って、絡まってしまったリボンを指先でほぐし、そのまま結び目をほどいた。
支えを失った布が重力に逆らえなくなり、当然、フレイヤさんの背中が露わになる。
流石にこれ以上は手伝えないし、居間に戻ろう――
そう思っていたのだが、フレイヤさんが着用している、服と同じ白い色のブラジャーは、首と背中に結び目があった。
こちらの世界では一般的なホックもワイヤーも使われていないのは、ゴッドランドにはそうした技術が存在しないためだろうか。
背中側から見ると、下着というより水着に近い印象だ。
「ありがとうございます、結人さま。よろしければ、下着も脱がせていただきたいのですが……」
単に自分では背中のブラ紐をほどけないからそう言っているだけなのか、あるいはそのことを利用して、僕を誘っているのか。
フレイヤさんの発言は、判断に困るものだった。
「わ、わかりました。失礼しまーす……」
いずれにせよ、僕は彼女と行為に及ぶつもりはないのだが――
それにしたって、いくらなんでも、この状況は刺激的すぎる。
可能な限り女性を避けて生活している僕だが、それは過去のトラウマが理由の行動であって、別に
むしろ、十代後半という年齢相応の性欲はある。
そんな僕が、人間離れした美しさを持つ少女のシミ一つない背中に、触れるか触れないかギリギリの距離で着替えを手伝っているのだから、股間の一点が充血し、膨張してしまうのも仕方がないだろう――
その時、僕は思い出した。
例の「彼女」も参加していたオフ会で初めて顔を合わせた、ある男のことを。
当時の僕とSNSで相互フォローの関係だった、厚化粧をしたホスト風のその男は、途中までは女子とも楽しげに会話していたのだが、男だけになった途端、こんなことを言い出したのだ。
『俺、女体は好きだけど、女は嫌いなんだよね』
確か、別の男が女性声優のラジオについて語っていた時の言葉だったと記憶しているが、そんなことはどうでもいい。
重要なのは、僕がこの発言にドン引きして、「こいつと同類にだけは絶対なりたくない」と心の底から感じ、SNSでの繋がりもすぐに断った、ということだ。
だが――
女性不信を克服しないまま、フレイヤさんに手を出したら、僕はあの男と同じになってしまうのではないか?
あの、女性を性欲の捌け口としてしか見ていない、最低のクズ男と同じに……。
そう考えると、股間の膨らみは自然と萎えて、その後の僕は一切の煩悩を振り払い、悟りを開いたかのような気持ちで、フレイヤさんのブラジャーを脱がせることができた。
「……終わりました」
「結人さま、ありがとうございました。よろしければ、髪や背中も洗っていただけると嬉しいのですが……」
いつ振り向かれても良いよう、目を閉じて告げる僕に、とんでもないことを懇願してくるフレイヤさん。
「いや、うちの風呂場めちゃくちゃ狭いんで、それは一人で頑張ってください。では」
僕は早口で答えると、瞑目したまま手探りで引き戸を開け、居間に撤退した。
勘弁してくれ、もう。
× × ×
あの男のような極端なヤリチン野郎でなくとも、「普通の男子大学生」であれば、美人とセックスできそうなら、深く考えずにそうしてしまうものなのだろうか。
通信制高校出身の僕には、その辺の感覚がいまいちよくわからない。
だが、フレイヤさんに下心があるにせよないにせよ、安易に肉体関係を持たないほうが賢明なのは確かなはずだ。
恋愛なんて当分するつもりのなかった僕は当然、コンドームなど持っていないので、懐妊させたりしたらとんでもないことになる。
フレイヤさんが本当に王女なのだとしたら、尚更だ。
それに僕は、彼女のことをまだよく知らない。
「婚前交渉はNG」みたいな、極端な純潔思想を謳うつもりは毛頭ないが、それにしたって、物事には順序というものがあるのではないか。
もっとも、初対面でディープキスをしてきたフレイヤさんは、そうは考えてはいないのだろうが――
(とりあえず、あの人がお風呂から出てきた後の準備をしておくか……)
明日も大学の授業があるので、あまり遅くなるわけにはいかない。
しかし、客人を――それも自称とはいえ王女を、「サークルでキャンプとかに行くかもしれないから」と思って、実家から持ってきたシュラフで寝かせるわけにもいかないだろう。
(今度の休みに、布団をもう一セット買いに行こう……)
そう決めつつ、僕は押し入れから布団を取り出して、ダイニングキッチンに敷いた。
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