第40話 公爵

「大変長らくお待たせいたしました、フレイヤ様、勇者様。本日は我が屋敷までご足労頂き、恐悦至極に存じます」


 赤地に模様が描かれた、見るからに高そうな絨毯が敷かれた応接間の、これまた値が張りそうな上座のソファに僕とフレイヤさんを通し、ゲルズさんの父親であるスノリエッタ公爵は、うやうやしく頭を下げた。


 銀髪をカールさせた、いかにも貴族らしい風貌の中年男の態度に、「慇懃無礼」という四字熟語が僕の脳裏をよぎる。


 公爵の瞳の色はフレイヤさんやゲルズさんと同じ桔梗色で、贅沢な暮らしをしているせいか、少し腹が出ていた。


「ど……どうも」


 ゴッドランドでは勇者のほうが公爵よりも身分は上――というか王族よりも偉い、最高位の存在らしいのだが、絶大な権力を有しているであろう貴族を相手に、初対面の状態で居丈高に振る舞う気は流石に起きず、僕は会釈で応じた。


「要件は臣下より伺っております。我が娘、ゲルズのことについてでしたな」


「はい。言いにくいのですが、エストリエの正体は……」


「……でしょうな。殿下が勇者様を連れて戻られた時点で、察しはついておりました。申し訳ございません。うちの愚女ぐじょが……」


 口ごもるフレイヤさんに、公爵は深々と頭を下げる。


「顔を上げてください、公爵」


「はっ。しかし、本当に何とお詫びしたら良いのか……全く、あの娘は我が一族の恥晒しです。王家や我が国の民だけではなく、勇者様の御国おくににまで迷惑をかけるとは……」


 公爵のその言葉に、僕は強い憤りを覚えた。


 身内の罪や悪行に対して罪悪感を覚えるのは、人として当然のことだろう。


 だが――


「そんな言い方は……ないんじゃないですか」


「勇者様……?」


 僕が声に不快感を滲ませると、公爵は怪訝そうに首を傾げた。


「使用人の方々から聞きましたが……あなたはゲルズさんを、政略結婚の道具のように扱われていたそうですね」


 本当はその話を聞かせてくれたのは使用人の「方々」ではなく、ゲルズさんの元乳母の女性だけだったのだが、彼女に危害が及ぶ可能性を考慮して、そうは言わなかった。


「それは……王家に嫁ぐ可能性も考慮して、粗相のないよう徹底した教育を行ったに過ぎませぬ。卑しい身分の使用人からは、そう曲解されることもあるかもしれませんがな」


 公爵は一瞬、言葉に詰まったものの、すぐにそれらしい理屈をひねり出した。


 おそらく、ゲルズさんの件が発覚した際の保険として、あらかじめ用意していた言葉を暗唱したのだろう。


「では、あなたは娘を愛していたと、胸を張って言えるんですか?」


「無論です」


 僕の詰問に、公爵は即座に頷く。


 迷いがなさすぎて、逆に怪しい反応だった。


「神に誓って?」


「当然」


「ではなぜ、さっきはゲルズさんのことを『一族の恥晒し』と罵倒されたんですか?」


「そ、それは……」


 先程の発言を掘り起こされ、今度こそ答えに窮する公爵。


 その姿はまるで、記者から失言について追求され、狼狽する政治家のようだった。


「私は別に、あなたを諸悪の根源と呼ぶつもりはありません。でも……責任の一端くらいはあるんじゃないですか? だって、あなたや奥さんが娘さんに人並みの愛情を持って接していれば、こんなことにはならなかったんですから」


 僕は努めて理性的に、諭すような口調で話した。


 本当は立ち上がり、怒鳴りつけてやりたいところではあったのだが、トーンポリシング――話し方警察という言葉が示すように、それでは相手に付け入る隙を与えてしまうだけだとわかっていたからだ。


「…………」


「公爵。わたくしも、結人さまと同じ考えです」


「そ、そんな……」


 押し黙っていた公爵は、フレイヤさんの発言を受けて、ガックリとうなだれた。


「申し訳ありませんが、このことはお父さまにも報告させていただきます」


「そ、そこをどうにか……調度品でも絵画でも、お望みの品を差し上げますので……」


 フレイヤさんの父親――王に失態を知られるというのは、よほどまずいことなのだろう。


 慌てふためく公爵からは、もはや貴族らしい威厳など微塵も感じられなかった。


 自分よりも弱い立場の人間は道具のように扱い、身分が上の人間には媚びへつらう。


 僕たちが目の前の男と話し始めてからまだ数分しか経っていないが、彼の人間性の卑しさは、もはや疑うべくもなかった。


「公爵。あなたはわたくしがそのようなもので釣られると、本気で思っているのですか?」


「うぐぐ……」


 表情を歪ませて、唸る公爵。


 まずい。


 これ以上追い詰めると、何をしでかすかわからない。


「……フレイヤさん、ちょっといいですか?」


 そう判断した僕は、傍らの王女に話しかけた。


「なんでしょう、結人さま」


 そして、彼女にあることを耳打ちをする。


 それは僕が直接、公爵に話すことも可能なものではあったのだが、身分が高いだけで何の権力基盤も持たない勇者よりも、実権のある王族から伝えたほうが、効果的であろう内容だった。


「なるほど。それは名案ですね……公爵」


「は、はい」


 フレイヤさんから話しかけられて、公爵は姿勢を正す。


「わたくしたちにスノリエッタ家の内情を報告したこの屋敷の使用人たちを、決して罰しないこと。それを誓うのであれば、この件はお父さまには黙っていてあげましょう」


 ゲルズさんの乳母だった女性が僕に情報を提供してくれたことは、公爵には言わないでおいたが、今日この屋敷に出勤していた人間を全員尋問すれば、簡単にわかってしまうことだ。


 あるいは、連帯責任と称して、使用人たちをまとめて処罰する可能性も考えられる。


 そう考えて、僕はフレイヤさんを通じて、公爵に交換条件を提示することにしたのだ。


「ほ、本当ですか……!? ありがとうございます!!」


「お礼なら、わたくしではなく結人さまに言ってください。強き者を罰することよりも、弱き者たちを守ることのほうが大事だろうと仰られたのは、このお方なのですから」


 椅子から降り、片膝を立てて跪く公爵に、フレイヤさんは言った。


「ははーっ!! 勇者様のご慈悲、心より感謝申し上げます!!」


 公爵――身分の高い貴族にこういう態度で接せられると、権力欲にまみれた人間であれば、心地よい優越感に浸ることができるのかもしれない。


 だが、僕はそうではないので、あまりの嫌悪感に蕁麻疹じんましんが出そうだった。

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