第39話 乳母
アンナと別れた後、フレイヤさんの案内に従い、公爵邸を訪れた僕たちだったが、いかに王女と言えど、アポ無しで公爵と面会するのは流石に難しいとのことだった。
そこで、僕たちは使用人に取り次ぎを依頼した後、王城へと移動して、もう一人の調査対象――王子の配下にも同じことを要望した。
そして、アンナをフレイヤさんの侍女として雇うために必要な書類を揃えておくよう、人事担当者や事務方に要請してから、公爵邸へと戻る。
しかし、まだ公爵は王女や王族よりも格上の存在である勇者と顔を合わせる準備が整っておらず、もうしばらく時間がかかるとのことだったので、僕らは手分けして屋敷の使用人たちからエストリエ――もとい、ゲルズさんに関する聞き込み調査を行うことにしたものの、彼ら彼女らは気まずそうな顔をして「両親の言うことをよく聞く良い子だった」だの、「優しい子だった」だの、曖昧なことを答えるばかりだった。
フレイヤさんが異世界から連れてきた男――勇者が、行方不明になった令嬢について調べている。
その意味を、「エストリエ」の正体を、察してしまったのだろうか。
(まいったな……)
この調子では、公爵本人からも具体的な話は聞けないかもしれない。
そんな不安を抱き始めた僕に有益な情報を提供してくれたのは、今は厨房で働いている、ゲルズさんの乳母であったという女性だった。
「あまり大きな声では言えないのですが……公爵閣下とそのご夫人は、ゲルズ様を王家に嫁がせるため、徹底した教育を行っておられました」
「教育っていうと……花嫁修業とかですか?」
あまりにも厳しく躾けられたことが、心の傷になっている――そういうことだろうか。
「無論、それもありますが……それだけではございません。嫁げばそれで終わり、というわけではありませんから。閣下は婚姻後、ゲルズ様が皇太子殿下の意志をどれだけ制御できるかを重要視しておられました」
「つまり……?」
「人気の娼婦を専属の教育係として雇い、ご自身の血を分けられた娘に、房中術を仕込まれたのです」
女性の声は静かだったが、抑え切れない怒りが確かに滲んでいた。
きっと、彼女はゲルズさんのことを、本当の娘のように愛していたのだろう。
「……………………」
僕は見えないハンマーで側頭部を殴られたかのような衝撃を感じながら、呆然と立ち尽くすしかなかった。
房中術。
「
性技によって異性を虜にし、意のままに操る術――そう考えるのが妥当だ。
そんなものを、公爵――おそらく、王族を除けばもっとも身分の高い貴族が、実の娘に仕込んだというのか?
政略結婚は封建社会のみならず、近代国家においても頻繁に行われている行為ではあるが、普通なら信じられない話である。
だが、「エストリエ」の行動を思い出せば、納得は行く。
何を隠そう、彼女は人々の性欲を奪っているのだから。
と、いうことは。
両親や教育係の娼婦に対する怒りが、性欲そのものに対する憎しみに変化したのだろうか?
そう考えるのが妥当だったが、僕はまだ何か、腑に落ちないものを感じていた。
おそらく、それも理由の一つではあるのだろうが、他にも何か、もっと決定的な原因があるような気がしてならなかったのだ。
しかし、別行動をしていたフレイヤさんに「結人さま、スノリエッタ公爵の準備が終わったそうです」と呼び出されてしまったため、僕はそれ以上、女性に何かを質問することはできなかった。
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