一章 結人

第2話 落ちてきた少女

 男子高や女子大はあるのに、どうして男子大はないのだろう。


 四月上旬のある日、花よりも葉が目立つようになってきたキャンパス内の桜並木を歩きながら、地方のとある私大の歴史学科に通い始めた僕は、ぼんやりとそんなことを考えた。


 あれから――恋人だと思っていた相手に裏切られてから一年と四ヶ月ほどになるが、未だに恋愛というものをする気にはなれていない。


 というか、なるべく女子と関わりたくないというのが正直なところだ。


 高校は通信制だったから、女子と一言も話さないでも卒業できたのだが、これからはそういうわけにもいかないだろう。


 クラスがあるわけではないので、小中学校の時ほど異性と関わる機会はないと思うが、ゼミやグループワークもある以上は、ある程度は会話をする必要が生じるはずだ。


 それに、僕は女子と関わり合いになりたくないというだけで、ぼっちになるのは嫌だから、同性の友達は普通に欲しいので、サークルにも入るつもりでいる。


 オタク系のサークル、いわゆるオタサーなら女子は少なそうではあるが、一人もいないというサークルは中々なさそうだし、仮にあったとしても、そこに所属していて楽しいかどうかはわからないのがネックだ。


 とりあえずは、活動内容に興味が持てるサークルの見学に行くのが無難だろうか――


「すみません、合唱サークル興味ないですか?」


 そんなことを考えていた僕に声をかけてきたのは、茶髪で韓国風のメイクをした、見るからに陽のオーラを漂わせている女性だった。


 今日は一年生の健康診断が行われている日なので、部活やサークルの勧誘が多い――というか、そのための机がこの並木道に並べられているのだ。


「あっ、いや、えっと……」


「同じ学校の女子と話す」というシチュエーションが久しぶりすぎて、僕は目を泳がせながら言葉に詰まる。


 正確な数字はわからないが、おそらくは三年と半月ぶりくらいではないだろうか。


「今うち男子部員少なくって……低い声出せる人探してるんですよ」


「そっ、そうなんですか……」


 体格のせいか、実際、僕の声は低めだ。


 男子部員が不足しているという言葉も、嘘ではないだろう。


 だが、僕にとってはそれが問題なのだ。


 女子が圧倒的に多いサークルでの活動など、とてもではないが耐えられそうにない。


「よかったら、見学だけでもどうですか?」


「す、すみません、僕音痴なので……」


 困っている人の力になれなかったことに少々の心苦しさを感じながらも、僕が足早にその場を立ち去ると、今度は黒髪をスポーツ刈りにした、いかにも体育会系といった風貌の男性が話しかけてきた。


「お兄さん、身長高いですね。何かスポーツとかやってました?」


 プロ野球チームのレプリカユニフォームを着用しているということは、おそらく野球部の人だろう。


 ドラフトでうちの大学の選手が指名されたという話は聞いたことがないが、部としては一応存在しているらしい。


「いえ……」


 身長が高く肩幅もあるせいか、よく「何かスポーツとかやってた?」と聞かれる僕だが、実際は小学校低学年の頃のほんの数ヶ月間、合気道を習っていたくらいで、中学でも高校でも帰宅部だった。


 中学生の時はそれまで漫画やゲームに使っていた時間を部活に奪われるのが嫌で、高校生の時はバイトをしていたのだ。


 ちなみに、僕が通っていた高校は通信制だったが、一応部活はあった(無論、それほど活発な活動が行われているわけではなさそうだったが)。


「へー、意外ですね。でも、うちの部ってそんなガチな感じじゃなくて、初心者も結構いるんで大丈夫っすよ。どうですか?」


「うーん……」


 男性の勧誘に、僕は腕を組み、渋面を意図的に作りながら唸る。


 野球を観るのは嫌いではないが、自分でやりたいとは思わないし思えない。


 それに大学の運動部は、アルハラが横行していそうなのも嫌だ。


 ここはやはり、文化系の女子が少なそうなサークルに入るのがベターだろう。


「すみません、遠慮しておきます」


 そう判断して、僕は野球部からの勧誘を断り、コンシューマーのビデオゲームを専門に扱っているサークルの勧誘に従い、その部室を訪ねてみることにした。


×       ×       ×


 誰が言い始めたのかは知らないが、好きの反対は嫌いではなく無関心である、という言葉を聞いたことがある。


 それが正しいのかどうかは知らないが、少なくとも僕は女性不信ではあっても、女性嫌悪主義者ミソジニストではないつもりだ。


 なので、ネット上の掲示板やSNSなどで「女叩き」に勤しんでいる人を見ると、普通に引いてしまうのだが――まさか、あのノリをリアルでも体感することになるとは思わなかった。


 ゲーム文化研究会、通称ゲー研の部室には、女子の部員は一人も――少なくとも僕が見学に訪れた際には――おらず、その点はありがたかったのだが、四人対戦の格闘ゲームをプレイしている最中に「最近のゲームはポリコレが~」という話題からフェミニスト叩きに発展し、そこまでならまだ許容範囲だったのだが、挙句の果てには女性全般に対する誹謗中傷まで始まって、流石にうんざりしてしまったのである。


(うん、ここはないな……)


 サークルの活動が終わった後、新歓の飲み会にも誘われたが丁重にお断りし、僕は一人で大学の駐輪場まで移動すると、夜用のヘルメット(・・・・・・・・)とプロテクター、それにグローブを着用して、高校生の時にバイトをして貯めたお金で購入した愛車――一二五ccのスクーターに跨り、そのエンジンを点火した。


×       ×       ×


 その後、ボードゲームやTRPGなど、文化系のサークルをいくつか見学した後、僕は学内に掲示されていたポスターを見て、健康診断の日には勧誘を行っていなかった、人気ゲーム「バッグモン」を専門に扱う非公認サークル「バッグサー」の存在を知り、そこに所属することを決めた。


 正直、バッグモンのことは物凄く好きというわけではないし、バッグサーには女子部員も少数ながら所属していたのだが、他の部員たちと「ノリが合う」「一緒にいて楽しい」と一番感じられたサークルがそこだったのだ。


 女子部員たちもいわゆる「オタサーの姫」みたいな扱いではないし、ゲー研のような女性蔑視的な雰囲気が蔓延していないのは、彼女たちのおかげでもあるだろうから、「こちらから積極的に話しかけることはないが、意識して向こうのことを避けたり、無視したりはしない」くらいの距離感で接していけば大丈夫だろう。


 そう、距離感は大切だ。


 特に、男女の関係においては――


 そんなことを考えながら、僕がよく晴れた休日の午前中に、芝生広場の周囲にコンビニや飲食店が立ち並んだ大きな公園を散歩していると、突然、目の前に何かが落ちてきて、地面にめり込んだ。


「うおっ」


 思わず声が出る。


 いったい、何が落ちてきたのだろうか?


 大地にめり込むほどの勢いということは、ギリギリで燃え尽きなかった超小型の隕石か?


 だが、このクレーター――というほどの大きさでもないが――の形状は、岩が落ちてきたようには見えない。


 というか、どう見ても人型だ。


(パラシュートがうまく開かなくて、スカイダイビングに失敗した人とか……?)


 いや、だとしたら、体液や肉片が辺り一面に飛び散っているはずじゃないのか?


 どうも妙だ。


 僕がそう感じていると、空から落ちてきた人間が不意に起き上がった。


「いたた……」


 目を半開きにして呻いたのは、僕とあまり変わらない年頃に見える、白い長髪とファンタジーRPGに登場するエルフのように長く尖った耳が特徴的な、色白の少女だった。


 やはりおかしい。


 ここは芝生広場だから、アスファルトで舗装された道路よりはだいぶ柔らかいとはいえ、地面がえぐれるほどの勢いで落下してきて、「いたた……」で済むはずがない。


 というか、この少女はほとんど汚れていない上、身に纏った服――純白のワンピースも無傷なのはどうなっているのか。


 仮にこの子が宇宙人か何かで、凄まじい水圧を受けても潰れない深海魚のように、身体がものすごく頑丈なのだとしても、土まみれになって服も破けているはずだと思うのだが。


「……ん?」


 その時、少女の目がはっきりと開かれ、僕の姿がその桔梗ききょう色の瞳に映じた。


「勇者さま……」


「……は?」


 もしかして、僕のことを言っているのだろうか。


「勇者さまですよね!? お探ししておりました!!」


 言うなり、僕に飛び付いてくる少女。


 あまりに突然のことだったので、僕は避けることもできず、そのまま少女に抱きしめられ――


 あろうことか、そのまま唇を奪われ、半開きになっていた口の中に舌までねじ込まれた。


「~っ……!」


 なんだこれ。甘い。柔らかい。温かい。


 気持ちいい。脳が痺れそうだ。


 けど、このまま流されるわけには――


 理性を総動員し、腰に思い切り力を入れて、股間が膨らみそうになるのをかろうじて堪えながら、少女を引き剥がそうとする僕だったが、先程地面にめり込んでも無事だった彼女の肉体が頑強なせいか、快楽と衝撃のせいで僕の手に力が入っていないせいか、少女はなかなか離れてくれなかった。


「ぷはっ」


 満足が行くまで僕の口内を蹂躙し、息継ぎをした後、余韻を味わうかのように舌なめずりをする少女。


 なんだ、この痴女は。


 あの「彼女」とは手を繋いだことはあったけど、それ以上のことは経験したことがなかったから、今のが僕のファーストキスということになるのか。


 目の前の少女はよく見ると、彫刻かと思うくらい整った顔立ちをしていた。


 白い長髪は絹糸のようで、透き通った肌は新雪を連想させ、吸い込まれそうな桔梗色の瞳を見ていると、紫水晶アメジストがはめ込まれているのではないかと錯覚する。


 それに手足がすらりと長く、胸もかなり大きいなど、スタイルも相当のものだ。


 だからこそ、現実味がない。


 こんな人間離れした美貌を持つ少女が、いきなり空の上から落ちてきて、おまけに舌を絡めたキスをしてくるなど、普通に考えてありえないだろう。


 となると、やはりこれは夢なのか。


 それにしては、妙に意識がクリアな気がするが――


 などと、僕が混乱としていると、少女は再び唇を重ねようとしてきた。


 僕は咄嗟に自分の手を彼女の口に当てて、その目論見を防ぐ。


「ふぁにをふぁさるのでひゅか、ゆうひゃしゃま!」


 手で口を塞がれたまま、少女が抗議する。


 おそらく、「何をなさるのですか、勇者さま!」と言っているのだろうが――


「……いや、それはこっちの台詞ですよ! いきなり何するんですか!? ていうかあなた誰なんですか!? あと勇者ってなんなんですか!?」


 奇行に対する驚きがあまりにも大きすぎて、初対面の女子が相手であるにも関わらず、僕は普通に話せてしまった。


 こういうのを、ショック療法と言うのだろうか。


「申し訳ございません、質問は一つずつにしていただけないでしょうか……」


「……じゃあまずは、なんでいきなりあんなことをしてきたのかを教えてください」


 急にまともなことを言われて、僕は頭を抱えながら尋ねる。


「わたくしは以前から、勇者さまに憧れておりましたので、本物の勇者さまにお会いできた嬉しさのあまり、つい……」


 少女は顔を紅くして、頬に手を当てた。


 いや、あんな大胆なことをしておいて、今更照れるんかい。


「その勇者っていうのに関しても、よくわからないんですけど……」


「あなたさまは、首から白いクリスタルを下げておられますよね?」


「クリスタルって……これのことですか?」


 僕は紐を通してネックレスにした白い勾玉を、指でつまみながら問うた。


「はい。それは『フュージョンクリスタル』と言って、かつて魔族を滅ぼした伝説の勇者、坂上さかがみ結一郎ゆういちろう信義のぶよしさまが残したものなのです。おそらく、あなたさまはそれをお父さまから受け継いだのではありませんか?」


「それは……そうですけど」


 確かにこれは大学への入学祝いとして父から貰ったものだが――本当にそんな大層な代物なのだろうか。


 僕としては、こんなチャチなアクセサリーなどではなくて、もっと高級感のある腕時計とかが欲しかったのだが(バイクの時計はすぐズレるので、腕時計があれば大学で授業を受けている時だけではなく、ツーリングの際にも役立つのだ)。


「でしたら、やはり間違いありません。あなたは信義公の……伝説の勇者の子孫です」


「はあ……」


 実際、僕の名字も彼女が言う伝説の勇者と同じ「坂上」だし、全く信憑性がないというわけではないのだが、それにしたってあまりにも突拍子がなさすぎる話で、いまいち信じ切れない。


「それから……わたくしについてでしたね。申し遅れました。わたくし、ゴッドランド王国第一王女、フレイヤ・スカディ・ヴァン・ヴェヌス・ゴッドランドと申します。以後、お見知りおきを」


 先程の痴女っぷりが嘘のような、優雅な動作で頭を下げる少女。


「フレイヤ……何て?」


 人魚の国の女王候補かよ、と内心で突っ込みながら、僕は聞き返した。


「フレイヤとゴッドランドだけ覚えていただければ大丈夫です。長いので」


「はあ……」


 だったら最初からそう名乗れば良かったんじゃないのか、と思いながら、僕は曖昧に相槌を打つ。


「それより、この世界に脅威が迫っております。どうか勇者さまには、わたくしと一緒に――」


「その脅威というのは、私のことか?」


 少女――フレイヤさんの話を遮るかのように、低く、冷たい女性の声が重なった。

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