第26話 初めての飲み会

 バッグサーの新入部員歓迎会が開催されたのは四月下旬、僕が入部して間もない頃、つまりはフレイヤさんと出会う前のことだった。


 場所は大学の最寄り駅から徒歩数分の場所にある居酒屋で、しばらくはバッグモンの話や大学の話をしていたのだが、徐々にそれだけでは場が持たなくなってきて、先輩の一人がたまたまネットで見つけたという怪談について話し始めた。


 その内容は要約すると「ある洋館で一人の女性が非業の死を遂げた」「その洋館に行くと呪われる」といったもので、他の部員たちは怖がったり面白がったりしていたのだが、僕が抱いた感想は、そのどちらでもなかった。


 それは口に出すと場が白けそうなものだったので、心のうちに留めておこうと思っていたのだが、感情が顔に出てしまっていたせいか、話した本人から「面白くなかった?」と尋ねられたので、誤解を解くため、僕は素直に答えることにした。


「いや、そういうわけじゃないんですけど、怖いっていうより、その女性がかわいそうだな、って思いまして……」


 その発言に対する反応は様々で、「あー、確かに」と納得する人もいれば、「真面目すぎだろ」と呆れ笑いする人もいたが、僕が危惧していたほど悪い雰囲気にはならず、安堵したことを覚えている。


 なぜ今そんなことを思い出しているのかというと、フレイヤさんと江梨子さんの歓迎会という名目で、飲み会が再び、同じ場所で開催されることになったからだ。。


『カンパーイ!』


 二十歳を超えている先輩たちの大半はビールや酎ハイの入ったジョッキで、僕たち二十歳未満の部員や、二十歳以上でもお酒の苦手な先輩たちはソフトドリンクの入ったグラスで乾杯をする。


 新歓の時もそうだったが、いわゆる「アルハラ」がないのも、僕がこのサークルを気に入っている理由の一つだ。


 部長曰く、彼が一年生の時にバッグサーと掛け持ちしていた弓道部では二十歳未満でも先輩から無理矢理お酒を飲まされた上、一気飲みを煽るようなコールも行われていたらしく、その話を聞いた時、僕は「やっぱり大学の運動部ってそうなんだな。あの時、野球部の勧誘をスルーして良かった」と感じたものだった。


「そういえばフレイヤさんは普通にお酒飲んでますけど、二十歳超えてるんですか……?」


「わたくしは現在、三十六歳ですが……言っておりませんでしたか?」


 隣の席で赤ワインを堪能するフレイヤさんに僕が尋ねると、彼女は意外な答えを返した。


「……今、初めて聞きました」


 僕たちの会話が聞こえていた他の部員たちが、「えっマジで?」「三十六?」とざわつく。


 正直、二十歳前後にしか見えないとは僕も思うが――おそらく、ゴッドランド人の年の取り方は地球人とは異なるのだろうと考えれば納得は行くので、そこまで驚きはしない。


 そういえば、エストリエも「ゴッドランド人は性欲が薄く寿命が長い」と言っていた。


 おそらく、の土地の人々はこちらの世界の人間の半分程度のスピードで年を取るのだろう。


「須藤さんもワイン飲んでるけど、もう誕生日過ぎてんの?」


「あっ、えっと……はい。そうです」


 少し動揺した後、一番奥の席に座っていた江梨子さんは、部長の言葉を肯定した。


 彼女は二年生なので、浪人や留年を経験していなければ今年、二十歳になるはずの人だ。


 だが、それは表向きの話で、彼女もフレイヤさんと同じく、地球人とは違う年の取り方をしているのではないか?


 部長から質問された時の狼狽え方を見て、僕はそう感じた。


 他の部員たちは、「本当はまだ誕生日を迎えてはいないが、誤魔化しているのだろう」と解釈したようだが、フレイヤさんが正直に年齢を口にした結果、驚かれてしまったのを見て、「二十歳だということにしておいたほうが賢明だ」と判断したように、僕には見えたのだ。


 やはり、彼女はエストリエである可能性が極めて高そうだが――宴会中に女性の年齢について追求するなど、無粋にも程があるだろう。


「江梨子さま、よろしければ……」


 僕がそう判断する中、大きな深皿に入ったシーザーサラダが運ばれてきて、フレイヤさんがトングを片手に、自分の隣の席――僕の隣の隣に座った江梨子さんに向かって言った。


「ありがとう、フレイヤさん」


 軽く頭を下げ、取り皿を差し出す江梨子さん。


「いえいえ」


 そこにレタスとブロッコリーとプチトマト、そして細切れになったベーコンを乗せた後、フレイヤさんは自分の取り皿にもサラダをよそい、フォークを使って口に運んだ。


「ん~っ! やはり、日本の食事はどこで食べてもおいしいですね……! 庶民向けの居酒屋でこのレベルの食事ができるなんて、驚きです!」


「……そうね。私もそう思うわ。ところで、フレイヤさんはZwitchズイッチのバッグモンはやらないの?」


 喜色満面のフレイヤさんに淡々と同意した後、江梨子さんは話題を変えた。


「それが、努力値とか個体値とか、わたくしには難しくって……カードゲームのほうが、わかりやすくって好きです」


「そう? 一見難しそうだけど、やってみれば案外簡単よ。大学の授業のほうが、よっぽど難しいでしょ」


 江梨子さんの冗談めかした発言に、部員たちが一斉に笑った。


 最初は少し浮いていた彼女だが、今やすっかりサークルに馴染んでいる。


 いい傾向だ。


 この調子なら、僕たちはもうエストリエと戦わなくて済むかもしれない。


「ていうかフレイヤさん、ドレッシングついてるわよ……ほら」


 そんな中、江梨子さんはハンカチを取り出して、フレイヤさんの口元を拭った。


「江梨子さま、ありがとうございます。お恥ずかしい……」


「……いいのよ。あなたはそのままで」


 照れるフレイヤさんと、そんな彼女を慈しむ江梨子さんは、なんとなく姉妹のように僕には見えた。


 バッグサーでは数少ない女性同士、気が合うせいだろうか。


 それとも――やはり、江梨子さんがエストリエと同一人物だからなのか。


 あの公園で対峙した時、エストリエはフレイヤさんのことをそれなりに知っている様子だった。


 フレイヤさんのほうはエストリエのことを知らない様子だったが、それは仮面で正体を隠していたせいで、素顔の彼女とは、ゴッドランドで面識があった可能性は否定できない。


 そうでなければ、知り合って数週間の相手に、「あなたはそのままでいい」などと言うだろうか?


「……不思議です。江梨子さまとは最近知り合ったばかりのはずですのに、一緒にいるとなんだか懐かしい気持ちになります」


 フレイヤさんも似たようなことを感じたのか、江梨子さんに向けてそう言った。


「…………そう?」


「はい」


 少し間を置いてから、江梨子さんが尋ねる中、フレイヤさんは間髪を入れずに頷いた。


 どうやら、僕の予想はあながち間違っているわけではなさそうだ。


「あの……ところで、お手洗いをお借りしたいのですが」


 利尿作用のあるアルコールを摂取したせいだろうか、フレイヤさんは不意にそう言って立ち上がった。


「それなら、あっちのほうだよ」


「ありがとうございます」


 そして、何度もこの店に来ているであろう先輩が店の奥のほうを指差すと、そちらに向かって歩いていった。


 これで、江梨子さんから一番近い席に座っているのは、僕になったわけだが――


「パーティーがこんなに楽しいと思ったの、生まれて初めてかも……」


 店内が騒がしいせいか、彼女のその小さな呟きは、僕以外の耳には届かなかったようだった。

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