第45話 自分のために

 僕たちが約束の日時の十分前に指定された場所を訪れると、ゲルズさんは今回も先に到着していた。


 一度正体がバレてしまった以上、今更隠す意味もないと判断したのか、仮面はもう着用していない。


「坂上結人、先日はすまなかった」


 手紙で一度謝ったにも関わらず、対面でも謝罪するとは、本当に真面目な人だ――


「別に気にしてませんよ。僕はあなたを殺したいとも、あなたに殺されたいとも思ってませんから」


 そう感じながら、僕は答えた。


 ゲルズさんの口調は「エストリエ」の時のものに戻ってしまっているが、これはフレイヤさんが相手なら素で喋る気になるが、僕に対してはそうではないということだろうか。


「…………」


「あの後、ゴッドランドに行って、だいたいの話は王子と公爵……あと、乳母さんから聞きました」


「…………」


「ゲルズさん――」


「私を、その名前で呼ぶな!!」


 僕に本名で呼ばれた瞬間、それまで黙っていたゲルズさんは、激昂して空間に穴を開け、職杖メイスを取り出した。


 生身のままではやられる。


融合変身メタモルフュージョン!!』


 そう判断した僕は、フレイヤさんと短く視線を交わし、「フュージョンクリスタル」を組み合わせて「二重ダブル」フォームへと変身した。


「私はもう、公爵令嬢でも皇太子妃でもない……魔王、エストリエなのよ!!」


 ゲルズさんは怒鳴りながら、職杖メイスを槍投げの如く、鋭く投擲してきた。


「確かにあなたはもう、ゴッドランドには戻れないかもしれない……でも、冷酷な魔王にだってなりきれてないじゃないですか!」


 僕は軽く身体を捻ってそれを回避しながら、彼女に反論する。


「っ……黙れ!」


「あなたはその力で、両親や夫を殺すことだってできたはずだ! でも、そうはせずに、人々の性欲を奪うことを選んだ! それは私怨を晴らすことよりも、自分のように悲しみ、傷つく人間がもう生まれないようにしたい……そう思ったからですよね!?」


 黒幕の思惑はまだ不明だが、少なくともゲルズさんにとっては僕なんかよりも、公爵やフレイのほうがよほど憎いはずだ。


 にも関わらず、彼女は僕の命を狙っている。


 それはゲルズさんが「誰かのため」や「みんなのため」には行動できても、「自分のため」には何もできないからではないのか。


 おそらく、その理由は生い立ちにあると、僕は推測している。


「……そうよ! 人間に性欲なんてものがなければ、私はあんな惨めな思いをせずに済んだ! だから私は、もう誰も同じ思いをしないで済むように――」


 職杖を手放して身軽になり、徒手空拳での格闘戦を仕掛けてくるゲルズさん。


 感情が昂っているためか、口調が「エストリエ」のものではなくなってしまっている。


「ゴッドランドの人たちはやつれて、生気を失った顔をしていました!」


 反撃はせず、防御と回避だけに専念しながら、僕は彼女が気付いていないか、見て見ぬふりをしていることについて指摘する。


「っ……」


「確かに性欲には、負の側面もたくさんあります! けど……それを無理矢理なくしたって、また新しい問題が発生するだけじゃないですか!?」


 実際、ゲルズさん以外にも、性欲が原因のトラブルによって苦しんでいる人は多いだろう。


 その最たる例が、僕たちがゴッドランドで出会った少女アンナだ。


 それに異世界のみならず、この国――日本でもDVが社会問題として扱われるようになって久しい。


 だが、そういった問題を一発で解決できるウルトラCなど、ありはしないのだ。


 一見できそうに見える手であっても、何かしらの弊害が必ず発生する。

 そう。


 未来を失い、三大欲求のバランスも崩れてしまったゴッドランドの人々が、無気力になってしまっていたように。


「黙れ……黙れえええええ!!」


 ゲルズさんは絶叫しつつ、手のひらで生成したエネルギー弾を飛び道具として放つのではなく、掌底の勢いに乗せて、押し付けようとしてきた。


「黙りません!」


 僕は防御魔法をピンポイントで展開し、その攻撃を手のひらで受け止める。


 こうした魔法の精密制御も、「二重ダブル」フォームならではのものだ。


「なっ……!?」


「あなたの気持ちは、痛みは、僕にも少しは理解できますから……!」


 よくわかる、なんて傲慢なことは言えない。


 それまでの人生を夫に――生涯のパートナーになるはずだった相手によって全否定されたゲルズさんの傷の深さは、美幸とはほんの数ヶ月の付き合いだった僕のそれとは、比べ物にならないはずだからだ。


「お前に何がわかる!? フレイヤという、信頼できる異性のパートナーがいるお前に……!」


「フレイヤさんと出会う前に、僕も愛していた人に、裏切られたことがあるんです!」


「…………!」


 至近距離での猛連打を受けながらも僕が叫ぶと、ゲルズさんは目を見開いた。


 彼女の心に、僕の言葉が響いた証拠だ。


 今なら。


 今なら、一番伝えたいことも届けられるかもしれない。


「でも、フレイヤさんのおかげで救われた……! だから、僕もあなたを救いたいんです!!」


 そう考えて、僕は懸命に語りかける。


「無理よ、今更……」


 しかし、罪悪感にさいなまれているのか、ゲルズさんは攻撃を止めつつも、こちらから目を背けて顔を歪ませた。


「無理なんかじゃありません! あなたはまだ引き返せます! だって、取り返しのつかないことはしてないんですから!!」


 そう。


 彼女はまだ誰も殺していない上に、奪った性欲を元に戻せることも、ゴーレムとの戦いで既に実証されているのだ。


 それどころか、少なくともこちらの世界では、実質的に器物すら損壊していない。


「だけど……」


「あなたはとても真面目で、優しい人です。だから、自分で自分を許せないのかもしれませんけど……もっと、自分を大事にしてあげてください。そして、実家のためでも夫のためでも、僕を殺すように命じた人のためでもなく、


 ようやく、僕はフレイと話した後、王城の廊下で思い浮かんだ言葉を、ゲルズさんにぶつけることができた。


 政略結婚の――王家に取り入るための道具として育てられた彼女は、利他的かつ主体性が薄い傾向にある。


 今回はそれが、悪い方向に作用してしまったのだろう。


「自分を……大事に……」


 言葉の意味を咀嚼するかのように、ゲルズさんは呟いた。


「本当に……いいの? 私なんかが、自分のために生きて……」


 そして、自信のなさそうな上目遣いで確認してくる。


「私なんか、なんて言わないでください」


 僕はそう言って、フードコートで美幸と再会してしまった時、フレイヤさんがそうしてくれたように、ゲルズさんの手をそっと握った。


「またバッグサーで一緒にゲームをしたり、飲み会に行ったりして笑いましょう」


「坂上結人、ありが……離れてっ!!」


 涙を流しかけていたゲルズさんが血相を変え、叫びながら僕を突き飛ばすのと、その両手のひらからエネルギー弾が放たれたのは、ほとんど同時だった。


「!?」


 仰向けに倒れる僕の眼前を掠めていく、二つのエネルギー弾。


「ゲルズ……さん?」


 明らかに様子がおかしい。


 さっきの攻撃は本気で僕を殺すつもりのものだったが、今の彼女がそんなことをするとは思えない。


 そういえば以前、フレイヤさんと僕は「ゲルズさんは何者かと『融合変身メタモルフュージョン』か、それに近いことを行っているのではないか」と推測したことがあった。


 まさか――


「違う。我はゲルズでも、エストリエでもない」


 全身から闇色のオーラを立ち昇らせながら、ゲルズさんの肉体を操って僕を攻撃した何者かは、スノリエッタ公やフレイ王子とはまるで違う、本物の威厳を宿した口調でこう名乗った。


「我が名は、バルファス」

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