第17話 法と文化
僕は一晩中、「もしかしたらこのまま、フレイヤさんはずっと目覚めないのではないか」と思うと気が気でなく、五回も中途覚醒をしてしまったが、幸いなことに彼女は翌朝には無事に起床して、
「うう……気持ち悪いです」
と、苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「大丈夫ですか……? とりあえず、これを」
「ありがとうございます……」
僕が水の入ったコップを手渡すと、フレイヤさんは布団の上で半身を起こした状態のままそれを受け取り、一気に飲み干した。
「ぷはっ」
「昨日、何があったのか覚えてますか……?」
「ええと……確か、結人さまが勧めてくださった映画を観終わってしまい、これからどうしたものかと考えていたところ、二人組の男からお茶に誘われて、喫茶店を訪れたところまでは覚えているのですが……その後は記憶が曖昧です」
フレイヤさんは頭を押さえながら、僕の問いに答えた。
おそらく、相当気分が悪いのだろう。
「でしょうね。そいつら、フレイヤさんに睡眠薬を飲ませたみたいですから」
「なるほど……この頭痛も、そのせいですか……しかしなぜ、そのようなことを……? わたくしは薬などに頼らずとも、ぐっすりと眠れるのですが……」
「そりゃあ、あなたが寝ている間に強姦するつもりだったんでしょうよ」
「強……姦……? わたくしを……ですか?」
僕が吐き捨てるように答えると、それまで半開きだったフレイヤさんの瞼が、徐々に持ち上がっていった。
「はい」
「平民風情が、このゴッドランド王国第一王女、フレイヤ・スカディ・ヴァン・ヴェヌス・ゴッドランドを?」
「……はい」
静かだが、確かな怒りと威厳が滲んだフレイヤさんの言葉に気圧されて、僕は身震いしながら頷く。
「そうですか。では、斬首刑にいたしましょう」
すると彼女はいきなり、物騒なことを言い出した。
「……え?」
「何を驚かれているのですか? 結人さま。未遂とはいえ、下々の者が王族を凌辱しようと企てたのですよ。死罪は当然でしょう」
まるで世間話でもするかのように平坦な口調で、えげつないことを言うフレイヤさん。
「え、えっと……日本はゴッドランドに対して治外法権を認めていないので、現地の法を適用するのが適切だと思うんですけど……」
「日本では他国の王族を辱めても、死罪にならないと言うのですか!?」
僕の発言が相当ショックだったのか、フレイヤさんは珍しくヒステリックな声を上げた。
温厚そうに見える彼女にも、王族らしく気位が高い部分はある――そういうことなのだろうか。
「そうですね……現行法は『法の下の平等』を理念としているはずなので、そうなると思います」
法学部生ではない僕でも、それくらいはわかる。
「信じられません……文明は発達していても、法の整備は遅れているのでしょうか……?」
加害者や被害者の身分によって量刑が左右されるほうが、法治主義的な観点からするとよっぽど問題だと思うのだが、法律の専門家ではない僕がそれを説明したところで、フレイヤさんに納得してもらえるとは到底思えなかったので、口には出さないでおいた。
「ところで……どうしてそんな下々の者たちのお茶の誘いに、のこのこついて行ったんですか?」
「仰っている意味がよくわかりません。どのような身分の者が相手であっても、お茶の誘いを断るのは無作法というものでしょう」
話題を変える僕に、フレイヤさんは怪訝そうに応じる。
「そ、そうでしょうか……」
「はい。こちらの世界では、違うのですか?」
「そうですね……見知らぬ男に声をかけられてホイホイついて行ってしまう女性は、あんまりいないと思います」
「なるほど……文化が違うのですね」
法律の違いに対してはあんなに憤っていたのに、その点はあっさり飲み込めるらしい。
僕に対する積極的を通り越して過激なアプローチといい、異世界の王女はどういう価値観で動いているのか、いまいちよくわからないような気もするが――
そこは、徐々に理解していけばいいだろう。
僕たちはまだ、出会って間もないのだから。
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