第2話 目覚め始めた響の力
満月の輝きに怪しく照らされる夜の住宅街。この月下の街に人は住んでいない。
この世界は人が住む現世とは似て非なる世界──影世界と呼ばれる異世界だ。
普段は静謐な時間が流れるその街に、今は地面が砕ける音、家屋が崩れ瓦礫となる騒々しい音が響く。
異形のような人と、人のような異形。
その2つの存在によってそれはもたらされていた。
そしてその激しいぶつかり合いに……1人の少女は刮目するのだった。
十数分前。
夜の闇と静寂が支配する街を行く
「えーと、つまりここは俺の住む日ノ本じゃなくて、『影』って怪物の居る日ノ本とそっくりな異世界……影世界。で、そこに俺が引きずり込まれたと。んで『影』を倒す為の陰陽師があんたってこと?」
「そーゆー事!さては天才だな〜?」
道すがら、改めて怪物とこの世界の説明を受ける響。襲ってきた異形の化け物である『影』を唯一倒す力を持つ人間。それが彼女の言う陰陽師というものであると聞かされる。
陰陽師が公務員なのは知ってる。けどこの子は全く格好が違う。狩衣って言うんだっけ?洋装が増えてきたとはいえ、普通はああいう伝統的な和装をする筈……影のバケモンも妖とか付喪神とは違うみたいだし……。
「天才じゃねぇし……てか信じられねぇ……」
というのが響の素直な見解だ。
「だろうね〜。でも実際にその世界に迷い込んで『影』に襲われたのは確かでしょ?一先ず信じるしかないと思うよ〜?」
陽那は響を振り返りながらそう言う。
「そういや『影』って妖とは違うのか?東京から出た時に何回か見た事があるし、あんな怪物だった気がするんだが」
この国には妖がいる。太陽の霊力と人の念で生まれるのが付喪神なら、妖は月の霊力と人の念で生まれる怪物。
主に夜に現れるが、陽の当たらない山中や洞穴などでは月の霊力が太陽の霊力に浄化されず昼間にも現れる。
首都では陽光技術の発展で昼夜問わず多くの灯りが灯る。そのお陰で大分減った方だが、そこ以外では変わらず妖は現れ人を化かしたり命を狙ったりする。『影』もその一種なのだと響は考える。
「いいや、違うよ。妖は人の念が元にあるから人を化かすだけで命を奪わない子も居るでしょ?でも『影』は違う。この世界から現れ、例外なく人を殺す」
淡々と答える陽那。それ以上の説明は無く、響はそれで渋々納得するしか無かった。
「てかまだ君の名前聞いてないんだけど〜?」
「あ……そうだったな。白波響だ」
「響!あっ!いい響きの名前だね!」
「……おう」
「反応うっす〜!ツッコめ〜!」
しょうもないギャグをスルーされ、耳や尻尾も逆立て可愛らしく憤慨する陽那。
さっきはあんなにカッコよかったのに……俺の見間違えだったか?
響は助けられた時の頼もしさとのギャップに己の目を疑う。しかし愛らしい仕草に悪い気はしない。
「んで、そういやどこ向かってんの?」
「あたし達がこの世界に出入りできる場所は決まっているの〜。そこに向かって君を元の世界に返すって感じ!」
「そりゃ助かるぜ。こんなとこ長くいたら頭おかしくなりそうだからな」
先程から言い様のない不安が襲い来るのを感じている。響。陽那しか人が居ない世界、いつ『影』が襲って来るかもしれない状況に常に気を張っていて精神が磨り減るのを感じているのだ。
そうして暫く歩いていると目的地が近づいてきたようだ。
「この先をずーっと真っ直ぐ行った所にある
「とりあえず助かる。もうヘトヘトだ……」
普段仲裁目的とはいえ喧嘩をしたりもする響はかなり運動ができる方だが、それでも気を貼りながら歩くのは想像以上に精神と体力が減ることを噛み締める。同時に、それももうすぐ終わるとすこし安心しているのも事実。
「……?」
「どしたの〜?」
そんな時、何かに気づいて立ち止まる響。
「いや、なんか聞こえなかった……?」
「ん〜?あたしには何も聞こえなかったよ?聞き間違いじゃない?」
肩越しに振り返りそう言う陽那。狐の方の耳も前後左右にピロピロと動かしているが、どうやら陽那には何も聞こえなかったようだ。
響は知る由もなかったが、音どころか陰陽師特有の探知法にも何も反応がなかったのだから当然の反応だろう。
「いやこう……なんかゴポゴポするというか、ズズズっていうか……兎に角嫌な感じが近づいてる、かもしれない!」
「えぇ〜?」
尚も響は訴えるが、要領を得ない説明に陽那は響に向き直って怪訝な顔をする。
「そんな訳……」
「っ!後ろ!」
気のせいだと否定しようとする陽那に響は叫ぶ。陽那が振り返ると、そこには居るはずのない巨大な『影』が居た。
家屋と肩を並べるであろう巨躯は巨人の如し。そしてその貌に付いた赤く鋭い双眼が響達を睨む。
それは大型と分類される『影』の一種だ。その『影』はその剛腕の先に生えた鋭利な爪で襲いかかる。
「下がって!」
爪を咄嗟に腕で受けつつ陽那は響を突き飛ばす。だが片手ではその一撃を受け止めるにはあまりに心許なく、陽那はそのまま吹き飛ばされて石壁に激突する。
「いってて……っ!おい!大丈夫か!?」
響は突き飛ばされたおかげで少し転がって擦りむいただけで済んだ。しかし陽那は石壁を貫通して家の壁にまで飛ばされていたのだった。
「ぐっ……大丈夫!君は下がってて!」
気配がない……!どころか探知もすり抜けた……どうなってるのよ〜!
心の中で悪態を着きつつ返事をし、自身の怪我の具合を確認する陽那。背中に激痛、右の腹部に裂傷、右腕も血で濡れており、腱が断たれたのか肘から先は動かすことも出来ない。
右手が使えなくとも……!
左手で鞭を掴み、影を睨んで立ち上がる。
「来て!しーちゃん!」
陽那が人差し指と中指の二本を立てて刀印を形作り名を呼ぶと、掌から生まれた光るオーラのようなものが獅子の形を成す。
「『
そう唱えると、咆哮と共に獅子は真っ直ぐに駆ける。飛び出した獅子は『影』の肩まで届き、輝く爪をくらわせた。
『影』の肩口は抉られ三本の線が入り、青い血が勢いよく吹き出した。だが陽那はこれで倒せるとは思ってない。
「オオオオオオオオ!」
『影』の口から地鳴りのような咆哮が出る。その目にもより強い敵意……怒りが写っている。
また大きく振りかぶる爪の一撃が陽那を襲う。それを小さく飛んで交わし、地面に突き立てられた腕の上を駆け上がって行く陽那。その最中、鞭を持った左手で器用に腰のケースから護符を取り出す。そしてそれを鞭と共に握りこんだ。
『影』はそれを黙って見ている訳は無く、左手で払い除けようとする。しかし、それも読んでいた陽那は大きく跳躍して躱す。
『影』の頭上、月明かりが陽那を照らす。
そしてそれ以上の輝きが鞭を包み、それは先端に集まる。護符よりもたらされた光はやがて巨大な水球を形作った。
「『
ドバァァァンッ!
隕石の如く水球が降り注ぎ、『影』を地面へと叩きつけた。『影』はそのまま指1つ動かすことなく形を崩し、やがて霧散して消えたのだった。
「すげぇ……あんなデカイのを倒した……!」
「はぁ……!はぁ……!」
何とか『影』を倒した陽那。その体は大きくふらつき、気を抜くとそのまま倒れてしまいそうな程であった。
獅子も光となって消える。陽那は負傷でその存在を維持できなくなったのだ。
「おい!大丈……っ!?」
そして、満身創痍の陽那の背面にもう一体別の『影』が迫っていた。響の声と視線で振り返る陽那。しかしもう遅い。
ここまで……なの?
眼前には鋭い爪が迫り、陽那の体を……。
貫くことは無かった。
なぜならそこに飛び込んできた響が陽那を突き飛ばしたからだ。
「ぐあっ!」
『影』の爪は響の腹部を刺し貫く。
背中からは赤く染った爪先が生えたように突き出しており、おびただしい量の血が滴り落ちる。響の体には焼けるような激痛が駆け巡る。
「なん、で……!なんで君は、ただの人間なのに……今日会ったばかりの、あたしなんかの為に……?」
「ガハッ!ゲホッ!……あぁ?気づいたら、こうしてた……それによ?誰であろうと、目の前で理不尽な目に合ってるのに……助けないなんて選択肢、俺にはねぇんだよ……!う、ぐぅっ!」
そうだ……気がついた時には足が動いてた。でも、いつもの事だから納得できる。俺は何時だって目の前で、手が届く所で、誰かの大切な何かが理不尽に奪われる事が許せない。だって、失う辛さを俺は知ってるんだから……。
響の内にはなんの勝算も打算も無く、ただ己の心に従い体が走り出した。それ以上でもそれ以下でもない。
込み上げてくる血の味にむせ返り、『影』によって爪を引き抜かれて響は苦悶の声をあげる。アスファルトに膝を着き、そのまま崩れ落ちるように倒れ伏した。
「し、死ぬか……これは……」
意識が遠のくのを感じる。あれだけ激しかった痛みも不思議とだんだん和らいでいく。
あったけぇ……血ってこんなあったけぇんだ……?
思考にも霧がかかり、そんな少々間抜けな事しか出てこない。だがそれもすぐに終わる。プツリと途切れるように響の意識は闇に沈んだのだった。
「……っ!」
歯を強く食いしばる陽那。内にあるのは響への困惑、そしてそれに甘んじるしか無かった無力な自分自身への怒り。そしてその目にはかつての友の姿を幻視していた。
みんな……みんななんなの!?義理も無い、使命でも無いのにどうしてそこまで……!それに、また助けられて……あたしだけ生き残るの!?
陽那はゆっくりと立ち上がる。息は荒く、腹と腕の傷で激痛に襲われ立っているのも辛い筈だ。だがそんなものは立ち上がらない理由にはならなかった。
この子は絶対助ける……!もう二度と、あんな惨めな自分になってやるものか……!そうでなきゃ……私が生きてる意味が無い!
胸の内にあるのは友の墓前に誓った想い。陰陽師として命に変えても『影』を倒し、人々の安寧を護る事。それが満身創痍の陽那を突き動かす。
「いくよ……!」
構えた鞭に水を纏わせ、今まさに踏み出そうとしたその瞬間。
違和感に気がつく。
「グ、ウゥ……!」
「え?」
『影』が……怯えてる?
さっき迄、嘲るようにこちらを見ていた『影』が狼狽えている。
その事に疑問を浮かべていると、今度は背後からとてつもなく強大な気配を感じとった。
「っ!」
振り返ったそこには血濡れの響の姿。まるでゾンビのように俯きフラフラと立ち上がっていた。
そしてその姿は突然発生した黒い旋風に包まれる。
「な、何!?」
風から逃れるように腕で顔を覆う陽那。それでも勢いは止まらず、思わず目を閉じる。
そして風が収まった時、その目に飛び込んで来たのは──変貌した響の姿だった。
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