第27話 原点の夢

『影人』の一撃を受けて俺の意識は泥のように暗く沈んで行った。そして夢を見たんだ。


 ───幼き日の夢を。




「爺ちゃん……今日こそ剣、教えてくれよ」


 お袋を亡くしてから俺は祖父の住む剣術道場に預けられる事が多かった。剣術道場と言いつつ門下生はおらず、爺ちゃんが只管に自己研鑽する為の場所であった。そして俺は鍛錬に勤しむ祖父によく剣の教えをせがんでいた。


 強さを求めていたのだ。お袋を亡くし、お袋と過ごしていた最期の記憶も失くし、ただただ失意だけが俺の中に残った。そして内側から腐って行く自分にどうにか打ち勝ちたくて、子供なりに行動した結果だった。


「ダメだ」


 当然、祖父はそんな子供の駄々を真剣の一振りの如く切り捨てる。かといってそれでめげる訳でも無く、何度も強請っては断られる事を繰り返していた。しまいには勝手に道着に着替えて祖父の剣を見るのも日常になっていた。


 ある日の帰り道。いつものように下校して祖父に懇願しようと考えていると、道の端に蹲る少女がいた。祖父にいち早く会おうと道を急ぐ俺は少女の目の前を通り過ぎる。


 だが数歩歩いた所で後ろ髪引かれる想いに負け、少女の元へ引き返した。


「そんなとこで何やってんの?」


 今にして思えば、泣いている少女に向かってあまりにも粗雑、ぶっきらぼうな対応であった。でもそんな事より剣を教わりたい気持ちが勝っていた。


「ひっく……! えぐ……鳥さんの、羽のキーホルダー……取られたの……!うぅ……ママに貰った……お誕生日、プレゼントぉ……!」


 嗚咽混じりの声で少女は弱々しく訳を話してくれた。 その必死の様子を見て、心の中には剣を習う事より目の前の女の子に酷い事をする奴らを許せないという気持ちが湧き上がった。行動の天秤が傾くまでそう時間はかからなかった。


「そいつはどんな奴だ? どっちに行った?」


 俺は少女と目線を合わせ、怒りを隠さない低い声色で問いかける。少女は涙や鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を上げてゆっくりと答えた。


「……あっち……青い、服と……黒いランドセルの子……」

「分かった、ここで待ってろ」


 少女が指を指した方向へ一直線へ走って行く。暫くすると三人ほどの小学生が見えた。その中に青い服に黒いランドセルの同い年くらいの少年を見つける。右手には少女が話していた羽のキーホルダーがあり、チェーンに指を通して粗雑に回していたのだった。


 それを見るや否や、俺は全速力で少年の元へ迫った。足音で俺に気づいた少年が振り返ると向かい合う形になる。俺は暫く睨んだ後キーホルダーを指さして言う。


「それ、女の子のだろ。返せよ」

「あ? 誰だよお前。そもそもこれ俺のだしな。なあ?」


 少年はしらばっくれ、他の2人に同意を求めると合わせるように頷く姿が見える。その姿に怒りが込み上げるが、なんとか抑えて話を続ける事に務める。


「さっき女の子が泣いてたんだよ。誕生日に貰った羽のキーホルダー取られたって。絶対それだろ」


「あぁ〜? あのブスかぁ? アイツがどうしても俺様にあげたいって言うから貰ってやったんだよ。そしたら泣いて喜んでよ〜? めっちゃ笑ったぜ」


 そう言って少年はゲラゲラと下卑た笑い声を出す。それに釣られるように2人も笑いだし、下手くそなカエルの合唱の如く道路に響く。俺はそれが不快で不快で堪らなかった。


「せ……」

「あ?なんだって?」

「返せよ……それはお前が持っていいものじゃない……」

「だから、もうこれは俺のだって……うぎゃっ!?」


 少年が言い終わる前に顔面に拳を食らわせる。少年は殴られた勢いのまま他の2人にぶつかり、硬いアスファルトに倒れこんだ。それに慌てて他の2人が駆け寄って行く。


「いってぇ! 何すんだてめぇ!」


 半身を起こし頬を摩りながら少年が問いかける。だが自分はそんな事を気に求めず、地面に落ちたキーホルダーを拾う。


「確かに返して貰った。じゃあな」

「はぁ!? ふざけんな! それは俺様が貰ってやったんだからもう俺のだっつってんだろ!」


 図々しいばかりの態度で尚も少年は所有権を主張する。だがそんな言葉が信用出来る訳もなく、聞く耳持たずに元の道を歩き出す。


「待てよ! おい! お前ら行け!」

「え! 俺らが!?」

「当たり前だろ! 子分なんだから親分の命令は絶対だろ!」

「わ、わかったよぉ……!」


 ただ見ているだけの少年ではなく、子分と呼ばれながらも躊躇する2人をけしかける。後を追って前を歩く俺の肩を掴む。


「おい! 返さねぇと許さねぇぞ!」

「痛い目合いたくないなら言う通りにし……おぶぅっ!?」


 乱暴に振り向かされるのと同時に子分の1人の腹へ拳を叩き込む。厚かましく少女の大切な物を奪い泣かせる奴とその言いなりになる奴らへの怒りは有頂天に達していた。


 今にして思えばもっと上手いやり方があったと思うが、その後結局殴り合いの喧嘩になりそれを制したのだった。


 そして後日、いじめっ子は担任の先生にこの事告げ口し、俺が悪いように印象操作していた。結局空の証言のお陰で喧嘩になった事は両成敗。キーホルダーを奪った件は当然いじめっ子が悪いとして俺より長く詰められていたがそれはまた別のお話。



 キーホルダーを取り返した俺は少女の元へ帰ってきた。少女がこちらに気づいたようで顔を上げる。


「ほら、羽のキーホルダー」


 視線を合わせるようにしゃがみ、少女の手を取りその掌に取り戻したキーホルダーを握らせる。


「あ、あぁ……! あり、がとう……ありがとぉ……!」


 少女はキーホルダー両手で包み、胸に抱くようにして大粒の涙を流す。だがさっきまでのような悲しみの涙では無い。まるで見ている自分の心も洗われるような、とても尊いものだと感じた。


 暫くして泣き止んだ少女に家を聞き出し、そこまで送り届ける事にした。案外近所な事もあり、少女が普段遊ぶ公園やゲームの事で会話に花が咲いた。少女の家に着くと少女の母親が優しく出迎え、何度もお礼を言われて少し照れくさかったのを覚えている。


「んじゃ、俺はこれで」

「あ、あの……! わ、私……天鈴 空って言うの!えと……君は、なんて言うの?」

「……響、白波 響」

「響……響くん! あの、私の……お、お友達になってください!」


 空がまた泣き出してしまうのではないか? といった必死の形相で言う。


「別にいいけど……」

「ほ、ほんと!? えへへ、やったぁ〜!」


 もちろん断る理由は無いので了承した。すると、空はまるで花が咲いたような満面の笑顔を浮かべるのだった。喜ぶ可愛らしい姿に自分の顔が少し熱くなるのを感じた。


 こうして俺と空は友達となったんだ。


 そして、誰かを助けたいと強く思うようになったのはこの日からだった。




 家に着いたのは既に日が傾き夜の帳が迫っている時間。赤から黒に変わるグラデーションの空が子供心に綺麗だと感じた。


「帰ったか。響」

「爺ちゃん……ただいま」


 玄関の引き戸を開けると相変わらず厳格な顔をした爺ちゃんが出迎えた。俺は帰るのが遅くなった事で怒られそうで目を逸らし、軽いとはいえ怪我がバレないようにそそくさと横をすり抜ける。するとその背に爺ちゃんが声をかけた。


「響、お前に剣を教えてやる」

「え?」


 思わず振り返る。面食らう自分の顔と対照的に祖父の顔は相変わらずの仏頂面。そのまま祖父は続ける。


「遅いので少し外を回ってな。お前と女の子を見つけた。打撲で腫れた体のお前も、泣いてる女の子にキーホルダーを手渡す所もな。まあ……なんだ、今のお前になら剣を教えてもいい。やるか?」


 空とのやり取りを全て見ていたのだろう。その言葉を受けて少しは認めてくれたのだろうか? と少し嬉しくなる。


「や、やる……! よろしくお願いします!」

「うむ、では道場で待っているぞ」


 頭を下げる俺に爺ちゃんはポンポンと優しく頭を叩いてから道場の方へ歩いていった。


 そうだ。この日こそが……今の俺に至る原点だったんだ。

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