第26話 見定め

(っ! なんだこの圧……!? あいつが来てから急に……!)


 相対しているだけで、まるで水中に居るような体の重さを錯覚する2人。今まで出会った『影』とも、先程出会った殉羅とも一線を画す存在だと身をもって知るのだった。


「お前も『影人』ってやつか……!」

「陰陽師はどいつもこいつも我らをそう呼ぶらしいな? それより白波 響……どれ程のものか確かめさせて貰うぞ」

「なんで名前を……」

「構えろ」


 響が言い切る前に伽羅からは忠告とも取れる言葉を吐く。響は反射的に拳を構える。その瞬間伽羅は視界から消え、気がついた時には響達の目の前に現れる。


「ぐっ!」

「あうっ!」


 そして目にも止まらぬ早さの攻撃で2人を吹き飛ばす。


「クソッ!」


(──早すぎるだろ!)


 響は受身を取り、吐き捨てながら立ち上がる。するとそこにも拳が迫る。それを首を左に傾げて何とか躱し、お返しとばかりに伽羅の顔へ陽力を纏った拳を繰り出す。


 だがそれは腕を掴まれ難なく防がれる。


「なっ……!」

「遅い」


 そのまま伽羅の蹴りで響はまたも吹き飛ばされる。石塀に激突し、家の庭へ転がり出た。


「ガハッ! ゲホッ!」


(早いし重い……!これが『影人』かよ……!)


 陽力で強化した体でも感じる鈍い痛みに咳き込み、響はこれまでの『影』と何もかも違う事を痛感する。




「響くんに何してるの!」


 塀の外では空が伽羅に向けて風を撃ち放つ。怒りに任せたような単純な陰陽術。伽羅はつまらなさそうに片手を軽く振って術を掻き消した。


「嘘……!?」

「その程度では牽制にもならんぞ?」

「……! なら!」


 侮る伽羅の言葉に空はより敵意を剥き出しにして陽力を練る。


「不従の愚者よ! 鶴の一声、征する風を畏れよ!」


 そして再び『影』を消し飛ばした術を詠唱する。


「『風征鶴唳ふうせいかくれい』! 急急如律令!」


 先程以上の暴風が形となり、周囲の瓦礫を巻き込みながら伽羅に迫る。伽羅はそれに腕を突き出そうとした瞬間───。


「っ! 」


 響の拳が伽羅の背後を襲う。響は伽羅が空に意識を奪われている内に陽力を抑える事で隠密し、背後を取った瞬間陽力を蜂起して伽羅を強襲したのだ。


(これならろくな防御出来ねぇだろ!)


 空の力を信頼し、格上の伽羅を倒す為に響が今するべき事をした結果だった。


 体勢を崩した伽羅に空の術が直撃。衝撃波が周囲に吹き荒ぶ。風が収まると土煙が蔓延して視界を覆い隠す。響と空は警戒しながらジッと土煙が晴れるのを待つ。そして薄まった煙。


「この程度か……」


 その中から浅く傷ついた伽羅が現れた。響の策で空の術を受けても伽羅は難なく立っていた。


「嘘、だろ……?」

「そんな……」

「ふむ……陽力は見張るものがあるが……術の完成度が話にならんな。使用した陽力の6割以上が無駄になっている。宝の持ち腐れと言うやつだな」


 伽羅は空の術を分析してダメ押しをする。たったそれだけの事だったと2人に突きつけるように。


「今のが最大の術だろう? 白波 響の見定めの邪魔をされてもかなわん……女には先に消えて貰うとしよう」

「あ……」


 伽羅がゆっくりと空に迫る。空は術が効かない事に放心状態になっており動けない。身に纏っていた膨大な陽力も見る影も無く凪いで無防備だ。そこに一撃でも入れられれば一溜りもないのは明白だった。


「待て!」


 背後から殴り掛かる響。伽羅はそれをヒラリと体を傾けて避けると、ちょうど響が2人の間に割って入る形になる。


「おい『影人』! 俺を見定めるんだろ? ならまず俺からなのが道理だろうが!」

「……そんなに自信があるなら、撃ってみろ」

「……何?」

「お前の最大の技を俺に当ててみろ。それで見定めてやる。さもなくば見定める間も無くそこの女を殺す」


 伽羅は腕を広げ挑発と脅しを含んだ言葉を響にかける。響は舐められている事に腹を立てるが、生き残る為にはどの道この言葉に乗らざるを得ないと言う事は明白だった。


「いいぜ……! そこまで言うならやってやるよ!」


 響は陽力を最大限引き出す。空程では無いが、多量の陽力がその体を覆い光り輝いている。そしてそれを拳に集中させ、燃え盛る炎と化す。


「『紅拳こうけん』!」


 そして伽羅に放たれる渾身の『紅拳』。それは真っ直ぐ進み伽羅の額に直撃した。




 しかし───。




「やはり貴様もこの程度か……」


 伽羅の顔面には少し焼けた傷が着いただけであった。


「なん、だと……?」


 渾身の一撃。今までで1番と言える『紅拳』を防がれ、空のように放心状態に陥る響。その隙を見逃す伽羅では無い。


 ボグッ!


「がはっ!」


 伽羅のボディブローが無防備な響を襲う。響の体から骨が折れ、内蔵が潰れる生々しい音が漏れ、口からは鮮血を吐き出す。そのまま空を横切って遙か後方に吹き飛ばされた。


「響くん!」

「……」


 空が叫ぶも倒れ伏した響からは呻き声の1つもあがらなかった。


「終わりだな。女……お前も奴同様に殺し、我が糧としてやろう」


 ゆっくりと空に歩み寄る伽羅。


 しかしその足は数歩で止まる。


「……さない……許さない……許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない」


 空の口から漏れ出る呪詛のような言葉。それに乗るのは深い怒りと殺意。


(響くんを傷つける人は誰であっても……)


「絶対に許さない!」


 そして迸る陽力。空気が震え、アスファルトがひび割れる。まるで激情がそのまま形となったように周囲のものを傷つける。それ程までに強大な陽力だった。


「っ!」


 空が足元の地面が砕ける程強く踏み込み飛び出す。その速度は凄まじく、一瞬にして伽羅の目の前に現れた。


 振るわれる拳。伽羅の両手を重ねた防御とぶつかり、その衝撃が周囲の空気と家々を爆ぜさせる。そして振り抜いた拳はそのまま伽羅を吹き飛ばした。


 体勢を崩し家屋を貫通していく伽羅だったが、右腕を地面に突き立てその勢いを殺す。


「なるほど……! 陽力のロスのある術では無く、直接攻撃するか……!」


 地面に両足をつけ、先程の一撃がただ怒りに任せたそれでは無いと察する伽羅。


「だが……」


 伽羅は1歩強く踏み込んで飛ぶ。


「はぁ……はぁ……っ!」


 そしてその1歩の跳躍だけで息を切らす空の元に現れた。


「そんなものか?」

「く……! このぉ!」


 再度振りかぶられる空の拳。伽羅は1歩後ろに跳んでそれを躱す。空は伽羅を追うように踏み込み、連続して両手の拳を振るう。だがそれも伽羅は身を逸らし、ヒラリヒラリと躱していく。


「当たらない……!?」

「単調だ」

「うぐっ!」


 拳を空ぶった隙をついて空は蹴り飛ばされる。膝を付かないように踏ん張りなんとか戦闘態勢を維持する。


「硬いな……膨大な陽力の賜物だ。しかしそちらの攻撃は当たらない。術の底も見えているんだ……大人しく殺されるがいい」


 伽羅の言う通り陽力を纏った攻撃は最初しか当たっておらず、防御面では伽羅の攻撃を軽減することしかできない。ジリ貧であることは明白であった。


 怒りで奮い立っていた空の体も再び力の差を思い知らされ恐怖が呼び起こされる。


(でも……!)


 肩越しに後方に倒れる響を覗く空。それを見て恐怖を心の奥底に押し殺す。


(今、響くんを守れるのは私しか居ない。守られるだけじゃないって決めたんだ……! だから!)


「響くんを助ける為に……あなたを倒す!」


 代わりに力強く決意を口にする。


「……いいだろう。なら望み通り嬲り殺してやる」


 刀印を結び陰力を練る伽羅。するとその周囲に二十程の岩が現れる。


「『岩礁破弾がんしょうはだん』急急如律令」


 そして撃ち出される岩の弾丸。それを空は避けられない。


(避けたら、響くんが……!)


 意識を失い無防備な響にそれを防ぐ術は無い。しかし幾ら膨大な量の陽力を持っていてもそれだけでは伽羅の術の全てを防ぎ切るのは難しい。


「『風征鶴唳ふうせいかくれい』!」


 だから、空は咄嗟に自身の最大の術で対抗する。詠唱も手印も省かれたそれが伽羅の術とぶつかり合う。


 暴風が吹き荒れる中、岩の弾丸が砕けていく。空の術の五行は木、伽羅の土の術を討ち滅ぼす相剋そうこくの関係にあった。


 互いの陰陽力の質、出力、術の完成度、そして五行の関係が複雑に絡み合った結果……。




「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」


 空は全ての弾丸を1つも漏らすこと無く迎撃したのだった。


「これは……少し驚いたな。術の完成度がやや上がった。詠唱も手印も省かれたと言うのに……」


 目を少し大きく開き、先程の空の術を評する伽羅。だか依然、伽羅は息1つ上がっていない。そして……。


「っ! ケホッ! ゲホゲホッ!」


 空は膝を着き、激しくむせ返る。その口からは血が漏れ出ていた。それは膨大な陽力を解放して行使した反動。まだ陽力を扱って日が浅い空の肉体では、それを長時間扱う事は自殺行為に等しかったのだ。


「己の力に耐えられんとは……つまらん結末だ」


 ゆっくりと伽羅が空に迫る。空は全身が軋み、朦朧としだす意識の中ではそれを睨む事しかできなかった。やがて体に力も入らずゆっくり倒れる。


(あぁ……やっぱり私じゃダメだった……。ごめんね響くん。あなたを守れなくて……)


 倒れゆく中、空はただただ己の力の無さを嘆いたのだった。目を閉じ全てを諦める空。




 だがその体は地面に倒れる前に誰かに支えられた。




「え……?」


 予想した未来とは違う事が起こり、空は驚きながら力を振り絞って顔を上げる。その目は更に大きく開かれる。空を支えたのは気を失っていた筈の響だったからだ。

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