第28話 決意と反撃の刃

時は進み中学2年の夏休み。その日は俺と爺ちゃんの最後の稽古になった日。俺はこの日まで毎日、只管剣を振るった。


初めの頃はずっと血豆が手に着いていたが、この頃には自分でも分かるくらい手の皮が厚くなっていた。


そして俺は爺ちゃんが教えてくれた古流剣術───天刃流を体得していた。ただ、1つの奥義を除いて。だからここ四年程は鈍らないように鍛えつつ殆どはその奥義に注力していた。


道場の真ん中に立つ。そしてそれを離れた場所で爺ちゃんは見守っていた。深く息を吸って肺に酸素を送る。そしてゆっくりと吐き出す。


ただ只管その動作を繰り返す。


そして息を止めた瞬間、袈裟斬りを繰り出し巻藁を切り裂いた。



「失敗……だな」


爺ちゃんは一言そう述べる。爺ちゃんが手本として幾度か見せてくれた奥義。それによって2つに切られた巻藁は滑り落ちるのに数秒かかる。それ程迄に素早く、鮮やかな斬撃なのだ。


俺は負けじと次の巻藁へ目をやる。そこに爺ちゃんが一言呟いた。


「しかし教える事はもうない」


無論、奥義を出せていないのにそう言われても納得できない俺は訳を聞いた。


「本来全ての型、太刀筋を覚えたお前はその時点で天刃流を修めているんだ」


爺ちゃん曰く、戦国時代に生まれた古流剣術の天刃流に本来奥義は存在しない。奥義・空が天刃流に加わったのは二百年程前……慶応時代にまで遡る。


天刃流の掟として剣の継承は1人にのみという決まりが存在した。ところが、どういう訳かその代の師範代は2人の弟子を取ったのだ。当然後継者を決める必要があった師範代。2人の門弟に師範代を納得する剣を見せる事、その優劣で後継者を決めると言ったらしい。


互角の剣の腕を持つ門弟2人。その内の1人……浪川天心はこのままでは埒が明かないと考えた。そして修行に出ると短く書き置きを残して帰って来なかった。


もう1人の弟子が浪川 天心は帰ってこないとして剣を自分に継がせる様に主張したが、師範代はこれを突っぱねる。そして半年後に戻ってきた浪川 天心は修行の成果を発揮し、見事師範代に認められたのだった。


そうして剣を継いだ浪川 天心の御業として新たに継承されるようになったのが奥義・空である。


自己研鑽の果て、極限まで研ぎ澄まされた肉体と精神によって繰り出された斬撃。それ程までにはるか高みの境地であるらしく、爺ちゃんも今は二週間かけて体調を整えた上で集中する事でしか使う事が出来なくなった程だと言う。


中には奥義を習得出来ず、口伝や文献のみが継承された代もあったらしい。そうした事情から、天刃流の剣を修めることにおいては後年開発された奥義は枠組みの外であるという事だった。


「奥義・空……その境地にはお前自身で研鑽して至れという事だ。そしてもう1つ言うことがある」

「……?」


「今までお前には肉体と精神を鍛える剣……活人剣として天刃流を教えてきた。しかしそれは浪川 天心が師範代になってからの方針。元来、天刃流は殺人剣だった」


一際真剣な声色で述べる爺ちゃん。古流剣術という歴史の長さから俺はそうであろうと考えていたのであまり驚かなかったのを覚えている。


「浪川 天心は空の領域に至り、己と向き合う先に究極の剣があると悟ったのだ。だがな、それに馬鹿正直に合わせる必要は無い」

「え?」


決して活人剣としての理念を忘れるなという話かと思った俺は面食らう。その反応を予想していたように爺ちゃんは落ち着いて続ける。


「剣術も刀同様に道具であり、それをどう扱うのかは担い手次第。そしてその果ての責は己に降りかかる。だから天刃流をどう使うのかはお前自身で決めなさい」


「以上だ」そう言って爺ちゃんは話を切り上げる。人を活かす為の剣を振るうか、人を殺す為の剣を振るうか。はたまたそれすら捨て去るか。それを選択するのは修めた担い手次第ということだ。


俺はその言葉を心の内で反復する。そして刀を鞘に収め、姿勢を正して向き直る。


「ご指導頂き、ありがとうございました!」


剣を習い数年、これまでの感謝を込めて頭を下げる。それに尊敬する師匠は少し微笑み、「これからも精進せよ、愛弟子よ」と頭を撫でてくれた。

その手の温かさに目頭が熱くなるが、雫が零れないように必死に耐えたのだった。




その次の日に爺ちゃんは亡くなった。




前々から肺を悪くしていたらしく、自分の前ではそんな素振り1つ見せなかったので訃報を聞いた時は耳を疑ったものだ。


剣の事以外は無口な爺ちゃん。もしかしたら俺の稽古の邪魔をしたくなかったのかもしれない。


結局、爺ちゃんが生きている内に奥義を体得出来なかったけど、それでもいつかその境地に至ってみせると爺ちゃんの墓前に誓った。


だがそこから今日までまともに剣に触れて来なかった。相変わらず1人暮らし同然の生活や学業の事、その中で理不尽な目にあっている人を見かけてはお節介を焼く日々に傾倒したからだ。


爺ちゃんとの繋がりである剣を喧嘩に使いたくなかったのもある。一度人に振るえば、きっとその次も、そのまた次も振るって、やがて思い出さえ血で汚れていってしまうと思ったから。


でも一番の理由は爺ちゃんとの別れが悲しかったから。その悲しみを何とか捨て去る為に自己研鑽の為の剣も振るわなくなった。


そうしている内にいつしか最期の会話も、墓前の誓いさえ擦り切れるように忘却していった。





けど、やっと思い出した。時間はかかっちまったけど、もう忘れない。だって……。





いつの間にか俺は真っ白な空間に立っていた。そして振り返るとそこには厳格な表情をした祖父の姿があった。


「爺ちゃん……」


声をかけるも、爺ちゃんはただただ押し黙っている。


「あー……ごめんな? 爺ちゃん。俺、色々忘れてた……けどもう大丈夫」


天刃流をどう使うか──その答えはもう持っているから。


「爺ちゃん、俺は誰かを守る為に剣を振るうよ」


ただの夢かもしれない、ただの幻かもしれない爺ちゃんに俺は決意を口にした。剣を振るった先の責任、それがどんな事でも背負って進んで見せる。そう想いを込めて……。


爺ちゃんは何を言うでもなく、ただ柔らかく微笑み頷いたのだった。





───────────────────────



現在。


「響くん……」

「悪い空。気ぃ失ってた。俺を守ってくれたんだな……」


体を起こしても足元が覚束ずにふらつく空を響は肩を抱いて支える。


「でも……私、倒せなかった……陽力も解放して、全部使ったのに……響くんの役に、立てなかった……」

「んな事ねぇよ」


響は空の懺悔するような言葉を否定する。そして空の腰に着いたケースから陽縛符を取り出し、陽力を封じていく。


「あっ……」

「こんなになるまで頑張ってくれたんだな……。ごめん、そんでありがとな。もう大丈夫だ……後は任せてくれ」

「……うん」


空は響の力強くも優しい言葉を聞いて安心し、眠るように意識を失ったのだった。


響はそれを見届け、自身の背後に来るように空を優しく寝かせる。そして改めて伽羅に向き直る。


「おい、まだ俺は終わっちゃいねぇぞ」


真っ直ぐ伽羅を睨みそう言葉をかける。


「……本気で殴ったのだがな。中々タフだ……だが何度立ち上がろうと貴様の拳は効かぬぞ?」


伽羅は興味無さげにそう述べる。立ち上がった事には疑問を抱くも、先程のやり取りで既に実力を測り終えたと判断したからだ。


だが伽羅は知らない。響が秘めていたその技術が、陽力や術と合わされば『影』をも殺す力となるという事を。


「そのセリフはこいつを見てから言え……!」




「天刃流──」


響は腰を落とし、体を捻って右手を左の側に動かす。腰の高さで構えたそれは居合の構え。そして───。


「なっ……!」


瞬間、伽羅の目の前に一気に響が迫る。


「居合『初月』……!」


そして炎を纏い放たれる手刀。それは三日月のような赤い孤の軌跡を描き伽羅の首に迫る。それを防ごうと構えた伽羅の左腕は、陰力の防御をものともせず斬り裂かれたのだった。

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