第29話 再戦

居合、もしくは抜刀術……それは素早く鞘から刀を抜き放ち、敵を斬り付ける剣技である。


如何なる状況下においても敵の不意打ちを迎撃し勝利を掴む……逆境をチャンスとする事を目指した技術。その真骨頂は0から1、静から動のような急激な状態の転換にある。


響の陽力すら絶った状態の居合の構え。それにより意識が剣を扱う状態へ移行する。そして染み付いた経験が体にも呼び覚まされ、心技体全てが剣を振るう『形』を成す。


剣に集中した響は伽羅の呼吸、瞬きに至るまでを精密に読み取る。そうして意識の緩急の隙を突く形で一気に接近。


流れるような陽力の蜂起と操作、術への変化までを居合の所作に乗せる。その刹那の居合が伽羅の左腕を奪ったのだった。


思いもよらない響の一撃を受けて大きく飛び退く伽羅。切り飛ばされた腕がアスファルトの上に無造作に落ちる。


「ぐ……!」


左腕を抑える伽羅は激しい痛みに顔を歪ませている。そしてすぐに怒髪天を衝いた表情に変化する。


「よもや……! そこの女ならいざ知らず、貴様如きに傷を付けられるとはな……!」


屈辱とばかりに怒りを込めた声色で伽羅は言う。睨み合う2人。やがて大きく息を吐き出し、しかめっ面で口を開く伽羅。


「……その力、認めよう。そしてその証として名を名乗ってやろう。我が名は伽羅……今この瞬間から貴様は我の敵だ」


伽羅は陰力を滾らせてそう言い放つ。響はその激しい圧を受け、依然として油断出来ぬ状況だと思い知る。




緊張が走る中、伽羅と響達の間に頭上から何かが降り立った。


「何だ……!?」


激しい衝撃と土煙が舞い視界を腕で覆う響。そこに凛とした声が届く。


「遅れてごめんな。2人とも無事か?」

「せ、先生……!?」


土煙の中から現れたのは、緊急の報告を受けて救援に駆けつけた亥土 悠だった。


「亥土……悠……!」

「……響、空の状態は?」


驚嘆して名を口にする伽羅だったが、悠はそれを聞こえていないかのように無視して響へ問いかける。


「……俺が気を失ってた間に陽力を解放して戦って……だから体に負荷がかかって、今は気を失ってます」

「なるほど、陽縛符も響が再発動したのか……なら良かった。それとあいつの焼き切れた腕……一発かましたみたいだな? 良くやった。あとは先生に任せて空と下がっててくれ」

「は、はい!」


その声は力強く、振る舞いにも普段のやや軽薄な姿は無い。その背はこれ以上無い程に頼りがいがあった。


空に駆け寄り抱き抱えて下がる響。2人の無事を確認し悠は伽羅に向き直る。悠と伽羅は互いに敵意を乗せた視線をぶつかり合わせる。


沈黙の後、やがて伽羅が口を開いた。


「亥土 悠。今回は時間の縛りは無い。存分にやり合おうでは無いか」

「……お前と会うのは2回目だな。教え子を傷つけられたんだ……容赦はしねぇぞ!」


会話も早々に切り上げ伽羅に向かって強く地面を蹴る悠。両手に陽力が集まり二振りの刀に変化、その刃が月明かりを反射しながら伽羅に襲いかかる。


「『岩甲腕がんこうわん』!」


伽羅の失った左腕から岩で作られた義手が現れる。そのまま悠の刃を受けると赤い火花が散り、甲高い音が鳴り響く。


そのまま数度打ち合う2人。 悠の怒涛の攻めを右腕にも手甲を纏い受けていく伽羅。周囲にも衝撃が伝播する程激しい攻防が繰り広げられる。その最中、白兵戦の腕は互角と測る伽羅だったが、その予想はすぐに覆される。


「っ!?」


(左腕は補えている……それどころか我の戦闘経験は以前より上がっている……だと言うのに!)


斬撃を捌ききれず伽羅の体に傷が増えていく伽羅。 悠の2つの刃を重ねた攻撃で大きく弾き飛ばされる。その表情や内心を焦りが急激に支配していく。


「くっ!『岩衝破弾がんしょうはだん』!急急如律令!」


体勢を崩しながらも悠の追撃を潰す為に詠唱と手印を省いて術を発動する。十五程に数を減らした岩の弾丸は並の陰陽師にはそれでも十分脅威であったが、今の悠には難なく砕かれ勢いを止められない。


「はあああぁぁぁっ!」


悠の袈裟斬りが伽羅に入り青い鮮血が散る。しかしそれで終わりでは無い。悠は間髪入れずに左の刀で喉元に突きを繰り出す。


「クソ……!」


伽羅は義手で受けるが、鋒はそれを刺し貫く。しかし喉に当たるよりも早く、その左腕を引く事によって突きの軌道は首の横まで逸らされた。悠は防がれた事に驚く所か、間髪入れない蹴りを繰り出し伽羅を壁に叩きつけるのだった。


(なんだこの力は……!? 以前とはまるで……!)


伽羅が困惑するのも無理がないだろう。悠の力には伽羅が知り得ない理由があった。


それは陰陽力の質。


陰陽によって差はあるが、喜びや怒り、悲しみや憎しみ。そう言った様々な感情は陰陽力に強い影響を与える。


そして覚悟───それは目的を遂行しようとする意識。


今の悠には生徒を傷つけられた怒り、一度取り逃した伽羅を倒すという強い目的意識が陽力の質を上げているのだ。


そしてもう1つ伽羅が知らない事がある。それは悠を蝕む呪い。特殊な武具で付けられたそれは治癒を阻害し陽力の操作さえ乱していた。


だがそれは雛宮 真帆、及びその他陰陽師の研究員によって解析され、8割がた解呪されていた。


悠は伽羅に向かって飛びかかりながら二振りの刀を大きく振りかぶる。


「『金剛護剣こんごうごけん』! 急急如律令!」


悠が術を唱える。刀の刀身を陽力が覆い、長大な刃となって振り下ろされる。


「がっ……!」


2つの刃は伽羅の体を切り裂く。伽羅は咄嗟に一歩下がった事、右腕を盾にした事で致命傷は避けることができた。しかし悠の追撃は終わらない。


(───まずい……! まずいまずいまずい!)


伽羅は義手を完全に破壊され、残っていた右腕をも切り飛ばされた。そのまま為す術もなくまた一歩飛び退く事しか出来ない。伽羅の首に双刃が迫る。


「クソ……!」


その時……。


「っ!」


白いナニカが悠と伽羅の間に横切る。疾風のようにそれが通り過ぎた時、伽羅の姿はその場に無かった。そして悠の両手の刀も、中程から先が元から存在していなかったかのように消えていた。


悠は異質な陽力を感じて夜空を見上げる。そこには月明かりに照らされた巨大な龍が滞空していた。そしてその背には悠の良く知る相手───来朱 緋苑くるす ひえんが立っていた。


「緋苑!」

「よう! 傷はだいぶ癒えたみたいだなぁ! 悠!」


忌々しげに見上げる悠と気さくに手を振り見下ろす緋苑。その対称的な姿は2人の並々ならぬ因縁を表していた。


「ハッ、おかげさまでピンピンしてるよ」

「嘘つけ。まだ万全じゃねぇ癖に……と、言うわけ訳だ。気分はどうだ伽羅?」


緋苑が視線を傍らに向ける。そこには白い毛並みと黒い模様、金色の爪を持つ虎と満身創痍の伽羅が佇んでいた。伽羅の表情は穏やかではなかった。


(───遙か格下の、砂利のような存在の白波 響に腕を取られた。そしてあろう事か、万全では無い亥土 悠を互角と信じ込み圧倒された……いや、腕さえ取られていなければこんな醜態……クソ! これ以上の屈辱は無い……!)


伽羅は怒りを通り越して2人を深く憎み、口の端から血が漏れる程に強く歯を食いしばる。


「気分だと……? 見て分からぬか! 許さぬ……絶対に許さぬ! 白波 響も亥土 悠も必ず我が手で殺し……っ!」

「おい、あんま調子乗んなよ。悠は俺の獲物だ」


軽薄な姿から一転、伽羅に殺気を込めた視線を向ける緋苑。有無を言わさぬそれに伽羅は圧倒され、ただただ瞳を揺らす事しか出来ないでいた。


「……分かったようで良かったよ」


その様子を見て緋苑はまた軽薄な表情に戻る。


「さて、悠とまたやり合いたいのは山々だが……生憎まだ準備が整って無くてな?ここは仕切り直しといこうぜ」


改めて悠達に向き直り、1つの提案をする緋苑。勿論それを鵜呑みにする悠では無い。


「逃げんのかよ? まさか、つるんでる『影人』を拾いに来ただけだってのか? ご苦労なこった」

「まあそうだな。そっちこそ1人で来た訳じゃないだろ? 時間稼ぎがバレバレだっつーの」


互いの思惑を押し計りつつ煽り合う両者。見透かしたような緋苑の顔には余裕の薄ら笑いが張り付いていた。


「それに、このままやり合うとお前は良くてもそこのガキ共は無事じゃすまねぇだろ? 今回は痛み分けといこうぜ。それに、近い内にまた会えるさ」


緋苑と伽羅を乗せた龍が背を向ける。それに乗った緋苑は「じゃあな」と別れの言葉を贈り手を振る。遠ざかっていく影を悠はただジッと睨む。その背後で響も呆然とその様子を見守っていた。




やがて龍の姿が点に見えるようになった頃、悠は欠けた刀を霧散させて響の元に駆け寄った。


「……っ! 先生!」


心配して声をかけようとした悠であったが響の言葉に遮られる。理由は突如として響の背に嫌な予感が走ったからだ。


「どうした響」

「あっちからすげぇ数の『影』が集まって来てる! 多分巨影も結構いる……! このままじゃすぐにここに来ちまう……!」


南西の方向を指差す響。悠がそちらを眺めえる遠くから無数の『影』が迫って来ているのが分かった。


「探知範囲に入って俺も感じる。ありゃ間違いなく『影』だな」


幻影や術の類い、そして気配のない『影』ではないと感知する悠。その速度は早く、響の言うようにこのままではすぐに包囲されて逃げる所では無いだろう。


「大丈夫だ」

「え?」


だが、悠に焦った様子は無かった。寧ろこれ以上無く落ち着いた声で響に声をかけた。その意味を計り兼ねる響だったが、その理由をこの後すぐに知る事になるのだった。

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