第3話 異形の力

 陽那は刮目する。


 こめかみから後ろへ流れるような黒い角を生やし、赤い結晶か鱗のようなものが張り付いた左半身。


 鋭い爪のようなものが無数に突き出た白い右半身。


 左眼は白目と黒目が反転している。表情は荒々しい雰囲気とは対照的に虚ろで、逆にそれが気味が悪い。


 ──異形。


 そうとしか言えない存在がそこに居た。


「っ!」


(なにこれ……陽力と陰力が混ざってる……なんで!?)


 陽那は響から異質な力を感じ取る。


 陽力と陰力。前者は陰陽師が、後者は『影』が操る力。纏めて陰陽力と言う特別な力だ。


 それを媒介にし、陽那が使ったような獅子や水など物質を生み出す事ができる。


 それでも……。


(陰と陽……両方を扱えるなんて、聞いた事がない……!)


「君は、一体……?」


 唖然としながら思考する陽那。だがそれは『影』の咆哮によって一気に現実に引き戻される。


「グオオオオ!」

「っ! そりゃ見てるだけの訳ないか! えと、響くん! 聞こえる!? 聞こえてたら逃げ……!」


『影』に向けて鞭を構える陽那。だが……。


 パァンッ!


 言い終わる前に『影』が爆ぜた。


「なっ!」


 振り返ると、そこには虚ろのまま手をかざした響。


(何か……したの? 全く見えなかった……)


 響が何かしたのは明白だったが、それが何かは陽那には認識すら出来なかった。


「妙な気配があると来てみれば……なんだこれは?」

「っ!」


(今度は何!?)


 陽那が声の方向に顔を向けると、塵となって消えゆく『影』の後ろ……異常に白い肌、その顔に浮かぶ黒い紋様、そして風に靡く黒い長髪の和装の人が立っていた。


 否、人では無い。


 優れた知能と力を持つ『影』の上位種……『影人』だ。その力は先程爆ぜた『影』と一線を画す。とても今の陽那が太刀打ちできる存在では無い。


(さ……最ッッッ悪! なんで、寄りにもよってこんな状況で『影人』が……!)


『影人』が立っているだけで放たれるプレッシャーに陽那は息が詰まりそうになる。背中にもじわりと嫌な汗が染みる。


 満身創痍の陽那、異常な状態の響、そして『影人』。


 事態は混沌を極めていた。


「ふむ、陽でもあり陰でもある……面白い『気』を持っているな?」


『影人』はジロリと響の体を隅々まで観察する。やがてお眼鏡に叶ったのか、その目は爛々と輝く。


「いいね! 実にいい! 君の力、私が貰い受けよう!」


 邪悪な満面の笑みを浮かべそう告げる『影人』。そして……。


「お前は邪魔だ。消えろクソゴミ」

「えっ?」


 瞬く間に陽那の目の前に移動した『影人』。何が起こったか分からず目を丸くしている陽那。


 その喉元へ『影人』の邪な手が伸びるのだった。


 ───────────────────────




 暗い、暗い海の底へ意識が沈んでいく。きっとこの水底に着いた時、俺は消えるのだろう。


 俺はただそれに身を委ねるしかない。


 でも、何か……大切な事を忘れている気がする。





「消えるな」





 声がした。誰かも分からない声。


「まだ何もしちゃいないだろう」


 何かを訴えている声。


「理不尽と戦うんだろう?」


 俺は……そうだ。まだ何も為せちゃいない。


 理不尽が蔓延る世界で、ただがむしゃらに足掻いていただけ。


 人を助けていたら少しはそんな理不尽を減らせると思っていた。


 けど、この世界にはまだ見ぬ強大な理不尽があった。


 その前では俺は矮小な存在だ。誰か一人を命に変えても……守り切れない。


 だからこうして虚しく消えかけている。


 でも、そんなの嫌だ。耐えられない。


 ある日突然理不尽に晒され悲しむ人がいる。苦しむ人がいる。


 そんなのを見るのは……どうしようもなく嫌なんだ。


 お袋が死んだあの日から。


 ……だから、戦うって決めた。


「だったら起きないと。彼女が危ない」


 ああ、起きないとな。


 俺を理不尽な『影』から守ってくれたあの子。尾皆 陽那を……ちゃんと守るんだ。


 そう決意した俺は目を見開いた。すると視界の暗い海を切り裂くように眩い光が指す。


 それは輝きを増し、真っ白に俺の視界を覆うのだった。


「大丈夫、俺ならできるさ」


 最後に、そんな声を聞いた。


 ─────────────────────────


 陽那の喉元へ『影人』の邪な手が伸びる。だがその時。


 バチィッ!


 それは二人の間に割って入った響によって弾かれるのだった。


「何……?」

「誰か知らねぇが……こいつに気安く触わんじゃねぇ!」


 後退した『影人』に響が勇ましく言ってのける。


 その内には確かに陽那を守ろうとする強い意志があった。


「はぁっ! はぁっ! はぁっ!」


(し、死んでた……響くんが助けてくれなかったら……確実に……)


 陽那は遅れて身に起こった事を理解し、荒々しく息を吐く。


「……響、くん? 大丈夫なの?」

「おう。なんか、よく分かんねぇけど……力が湧いてくるんだ」


 胸の内から湧き出す激流のような力に響は高揚する。


(今目の前に居るアイツも……とんでもねぇ力を感じる。けど……)


「やってやるよ!」


 響は高揚する心のままに『影人』へと飛び出した。地面が割れる程のそれはまるで弾丸如く。


 そしてその速度を乗せた拳を振るう。


 ガァンッ!


『影人』は掌でそれを受ける。

 まるで金属同士がぶつかり合ったかのような激しい音が鳴る。その衝撃はアスファルトを削り、周囲の石壁も積み木のように崩してしまう。


「っ! この私が、押されているだと……!?」


 足元の地面が割れ、踏ん張った『影人』の体はどんどん下がっていく。


「おおおおおお!」


 そして力いっぱい拳を振り抜く響。『影人』を大きく吹き飛ばしてしまった。


 家屋を何軒も貫通していく『影人』は、幾つ目かの家の壁を飛び出すと地面に足を付けてその勢いを殺す。


「クク……それでこそ、取り込みがいがあると……っ!」


 その横っ面に、追いついた響による蹴りが入る。また大きく飛ばされる『影人』。


 三度急速に接近して拳を振るう響。だが『影人』は今度は両手を重ねてそれを防ぎ、踏みとどまる。そのまま響を睨む。


「クハッ! ハハハ!ではこちらの番だ!」


『影人』がお返しとばかりに拳を振るった。だがただの拳では無い。


 燃え盛る炎を纏った拳は響の腹を穿ち、吹き飛ばす。


『影人』にしたように響は家屋を何軒も突き破り、陽那の居る付近に戻されるのだった。


「響くん!?」

「ぐ、あ……!」


 陽那の驚嘆する声に、響は腹を抉られた痛みで返事が出来ない。しかし、その傷はみるみる内に再生していく。


(治癒術……!? いや、これは治癒どころか、寧ろ『影』の能力に近い再生……!)


『影人』と殴り合える異常な膂力と異常な再生能力……怪物同士の戦いに陽那はただ唖然とするのだった。


「ほう? ますます興味深いな」


 そこに『影人』はゆっくりと歩み寄ってくる。その顔には響が殴った痕は無くなっていた。


「思いっきり殴ったのに無傷……!?」

「ううん、再生したんだ……!『影』には大なり小なりそういう力があるから……」


 陽那の言う通り『影』には再生能力がある。それが上位の『影人』なら四肢すら生やす程強力なものになる。


「この私に一瞬でも傷をつけた礼だ。それなりの力でやってやろう。とく受け取れ異形の人間」


 そう述べた『影人』は全身に炎を帯びる。やがてそれは振り上げた手の先……頭上に集まり、まるで太陽の如く光球を形作る。


「熱っ……!」


 周囲の物体は溶けだし、離れて居る陽那にも熱風が届く。それは体を術で強化しないと即座に焼け死んでしまいそうな程であった。


 光球本体をぶつけられればまず命は無いだろう。そしてその担い手は響を真っ直ぐ見つめる。


「体の半分は残るといいな……では行くぞ!」


 手を振り下ろす『影人』。灼熱の光球が響目掛けて放たれた。


「……っ!」


(避けられない……!)


 響の背後に立っているのも辛そうな陽那が居る。だから避けられない。


「なら、受け止めてやる!」


 響は光球を受け止めようと両手を前に出す。


 ぶつかった光球の勢いはとてつもなく、響は地面を削りながら後方へ押されていく。


 勿論、その間も凄まじい高熱が襲う。


「ぐぅぅぅぅ!!!」


(熱い熱い熱い! 痛い痛い痛い痛い痛い!)


 とても今まで生きてきて味わった事の無い苦痛に響の顔は歪む。だが同時に脳内に浮かぶのは陽那の姿。


 この短い間で響は何度も助けられた。見た目は普通の女の子なのに、自分がボロボロになろうとも構わず『影』に立ち向かった。


「……だったら、よぉ!? 俺が、負けてられるかああああああ!!!」


 響は叫ぶ。力の限り光球を押し返そうとする。


 だが、その指は、手は、腕は虚しく崩れていく。


(ダメ、なのか……!)


「『全く、見てられん。変われ』」


 諦めかけた瞬間、響の脳内にそんな声が鳴り響く。


 そんな響を光球は飲み込み、火柱が天高く上がるのであった。


「響くん!」


 陽那が叫ぶが、その声は燃え盛る炎に虚しく掻き消される。


「しまった。やりすぎた……これでは指一本残るまい」


『影人』はガックリと肩を落とす。だがその直後、その目は大きく見開かれる事になる。




「ふぅ……」


 炎が火の粉となり消えゆく中から、響の姿が現れたからだ。


 その体には一つの火傷も無い。どころかまたも変身する。


 白い肌に白黒反転した双眼、真っ黒の和装……そしてこめかみから生えていた後方に伸びる黒い角は左右が揃う。


「なん……だと……?」


 余裕飄々とした『影人』の顔が初めて動揺の色を見せる。


「……嘘? 生き、てる?」


 驚くのは陽那も同じだった。


「いやはや、ちっとばかしやりおるのぉ? そこな『影人』よ」


 響の口からはやや古風の言葉が出てきた。声はまるで幾つも重なっているようで、響のようにも、女性のようにも聞こえた。


「ば、馬鹿な! 有り得ん! あれは俺の最強の術だぞ!?」

「最強……のぅ? あの程度がか? 目覚ましには調度良いな」

「な、なにぃ〜〜〜っ!」


 煽るように聞き返す響に怒髪天を衝かれたかのように『影人』の顔が歪んだ。


「ならば!ならばもう一度喰らえ!完全詠唱の我が奥義を!」


『影人』はまた手をかざし、反対の手で人差し指と中指を立てる刀印を結ぶ。


「赤き凶星! 万物一切を燃やし灰と化せ! 『灼球灰燼しゃっきゅうかいじん』! 急急如律令!」


 再び光球が放たれる。しかしそれは先程と比べて数倍は大きく、熱い。


 対する響は……。


「『鬼火』」


 小さく呟き、掌に灯した矮小な蒼い火を無造作に放つだけであった。


 当然、そんな火では太陽が如く光球に太刀打ちできはしないだろう。


 だが……。


 光球は相殺されたかのように消え去った。そして間を開けず、『影人』の上半身は見えない何かによって消し去られるのだった。


 残った下半身は肉塊と化し倒れ伏す。


 それはやがて黒い塵となり、風に吹かれて消えていった。


「す、凄い……」


(一撃で倒すなんて……)


 本日何度目かの驚きで口をポカンと開ける陽那。その視線は響へと向けられる。


「う、ぐぅ……! あああああ!」

「え?」


 その時、突如響が苦しみ出した。


「ひ、響くん!? 大丈夫!?」


 陽那が思わず心配の声をかけるが、まるで耳に入らず響はその身を悶えさせるだけだ。


 そして……。


「ああああああああ!」


 咆哮と共にその体は光に包まれ、異形となった部位が粒子となって消えるのだった。


 そして残されたのは、響の元通りの肉体。


 大穴が開いていた傷は塞がり、シャツの穴から白い背中が覗いている。


「響、くん?」

「う、あ……」


 陽那が名を呼んだ瞬間、響は地面に倒れ込んだ。駆け寄った陽那はその身を仰向けにする。


「ちょ、ちょっと!」

「スー……スー……」

「あ……」


 響の顔は穏やかそのもので、落ち着いた寝息を立てていた。


(脈も正常……)


「はぁ……良かった……」


 安心して脱力する陽那。ドッと疲労が襲い来る。


「全く……一体何者なの? 君は……」


 呆れたように陽那は呟く。

 こうして二人を襲った危機は一先ず去るのだった。




 場所は代わりとある施設の医務室。響はベッドに寝かされており、陽那はその横に椅子を置いて様子を見ていた。


 傷一つ無いが深く眠っている響。対照的に陽那は意識があるが怪我をしてギプスや包帯を巻いてる。


 そこに一人の男が入室した。


「よっ!お疲れさん。大丈夫か?」

「悠先生。いや〜大変でしたよもう」


 入ってきたのは茶髪の前髪を上げてデコを出した男。亥土 悠いつち ゆうという陽那の先生だ。その悠に陽那は固定された右手を逆の手で指差し具合をアピールする。


「ほんとお疲れ。無事戻ってきてくれて良かったよ」

「いえいえ、こっちも救援よこしてくれて助かりました」


 あの後、陽那は特別な端末で本部と連絡を取り、救援にきた影伐師によって保護されたのだ。


「明日の夜には雛宮先生戻ってくるから治して貰いな? んで、悪いけど早速報告聞いていいか?」

「はーい。えっとですねぇ……」


 陽那はゆっくりと先程あった事を報告する。


「ふむふむ……で、等の本人は眠ってる上に検査しても異常なしと」

「そうなんですよ〜。変ですよね」


 陽那はサイドテールの金髪から桃色にグラデーションした毛先を指に巻き不思議そうに呟く。


「ま、とりま記憶処置して家に返すか。監視は半端な奴には頼みにくいしなぁ……」

「ですねぇ。秋くんとかどうです? 明日も非番って言ってましたし」

「お、いいな。実力も確かな上、真面目だしアイツに任せりゃ問題無い」


 二人は記憶処置や監視と何やら物々しい単語を言いながら話し合うのだった。




 悠が諸々の手続きの為退室した。病室には未だ眠る響と陽那が残される。


「可愛い寝顔しちゃってまぁ……」


 陽那はジッと響の寝顔を覗き込む。


(ちょっと前までハチャメチャに暴れてたのに……)


 そのあまりにも平和で穏やかな寝顔に陽那は呆れつつ、微笑みが零れる。


「良い子とは思ってたけど……ちょっと君の事、気になっちゃったな♪」


 今日知り合い、助け合った響を陽那は個人的にも興味の対象とするのだった。


 こうして響は謎の力に目覚め数奇な出会いを果たした。そして人と『影』の連綿と続く戦いへと巻き込まれて行く事になる。


 それを響本人はまだ知る由もないのだった。


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