第35話 迷い雲晴らして蒼穹

2日後。

急激に上昇した全国の気温は平均29℃を超えており、その影響は天陽院も例外ではなかった。


「あっつぃ〜……6月1週目なのに急に暑くなるじゃ〜ん……」

「響が火出すからじゃない?」

「元から暑いから誤差だろ……」


刀に術を付与する鍛錬をしている響。休憩中の秋と陽那はそんな事を言いながら手を団扇にして扇いでいる。それでも送られるのは熱風であまり意味が無かった。


冗談を軽く流し響は刀を構えて集中する。腹から胸、胸から肩、肘、手に陽力が流れるように動き、刀全体を包み込む。


(ここからだ。『紅拳』の拳に火が灯るのを、刀に火が灯るイメージに置き換える……!)


頭の中で陽力が火へと変質していく様子を強く想像する響。響の想像を糧とするように、現実の陽力も形を変えていく。


「っ! よし!」


やがてその刀身を煌々と燃ゆる火が灯る。響はそれを一瞥するとそのまま1回、2回と天刃流の剣を振る。


「おし、いい感じだ……!」


途中で消えたりもしない、確かな手応えを感じてガッツポーズをする響。それを見ていた秋と陽那も感心している。


「普通1ヶ月そこら余裕でかかるのに……ホントに才能あるね君」

「響くんさっすがぁ!」

「おう、ありがとな」


順調に力をつけていく響。それを少し離れた所で陽力のコントロールの鍛錬をしている空の表情は少し複雑そうだ。


(響くんは凄いなぁ……それに比べて私は……)


陽力の解放から30秒以内に一定以下まで陽力の出力を抑える鍛錬。今日も数時間はそれに励んでいるが、まだ制御の芽が出ないのだった。


(陽縛符に抑えられた状態なら少ない陽力は絞り出せる……けど、いざ陽縛符を解除するといっぱい溢れて……まるで制御できない……どうすればいいんだろう?)


生憎今日は悠がおらず自習だ。空は先を行く3人の邪魔をするのは悪いと思い1人で鍛錬していた。


しかしそれも限界が見えているのも事実。俯いて思い悩む。


「空、調子どうだ?」

「うわぁっ! 響くん!? び、びっくりしたぁ……!」


そこに背後から響に声をかけられる。空は飛び上がりそうな程驚く。


「悪い、ずっとやってるみたいだったから気になってな。ちゃんと休憩してるか?」

「あ、うん……! 1回1回インターバル挟んでるからそこまで疲れてないかな? 心配してくれてありがとう!」


響の気遣いに空は明るい笑顔で言葉を返す。しかし炎天下な事もあり額からは汗が垂れていた。


「そうか? まあでもそろそろ長く休憩した方がいいかもな。今日めっちゃ暑いし」

「そ、そうだね……じゃあお言葉に甘えてそうするね?」


空は響の提案を受け入れて休憩する事にした。


暑さに呻く世界に容赦なく降り注ぐ太陽光。それを遮る校舎の陰にあるベンチに座り、スポーツドリンクを口にする。


冷んやりとした液体が体の内を通る感覚を感じる空。


「ふぅ……」


そうしてぼんやりと青い空を見つめる。休憩中でも頭を過ぎるのは上手くいかない事への焦りだ。


(先生が言うには……これは陽力を制御する為の最終段階らしいけど……今迄と違って全く糸口が掴めない……)


「空ちゃんやっほ」

「あ……陽那ちゃん」


思い悩む空の元へ陽那が訪れ、そのまま横に座る。


「あんまり上手くいってない?」

「……うん、そうなの。こう……どうしても、何かが引っかかってるような感じがして……それで……」


空は遠慮がちに行き詰まっている事を打ち明ける。陽那は急かす事もせず、ただゆっくりとそれを聴く。


空が伝え終えると暫く考え込むように黙っていたが、やがて陽那は口を開いた。


「ぶっちゃけて言うと、今やってる事って割と先の事やってるんだよ。本当はもっとじっくり時間かけてやるの。だから全然焦らなくて良いと思うよ〜?」

「そう……なの?」


あまりにも響が簡単に陽力をものにしていたのでその事をまるで考えてもみなかった空。それでも空の心は素直にそれを受け入れられない。


悠は空の事を期待しているからこの課題を課したのであって、至らぬ自分が悪いと考えているからだ。


そんな雰囲気を表情から察して陽那は続ける。


「空ちゃんが焦ってるのは交流会近いから? それも参加は任意だし無理に出る必要無いんだよ〜? 訓練で式神相手にしたり、御前試合とか生徒同士で直接戦うのとかあるし。ぶっちゃけ痛いとか怖いとか……しんどい思いするなら普段の授業や任務だけで十分だと思うよ」


あくまでも無理をする必要は無いと優しく語る陽那。しかし……。


「でも……一緒に入った響くんは頑張ってるし、私よりもっともっと先に行ってるし……」


そう言ってまた空は顔を伏せる。


「あぁ〜……い、いきなり過ぎて分かんないよね! ごめんごめん!……でもさ? 空ちゃんのゴールってどこなの?」

「……ゴール?」

「うん、どっちかって言うと目標って感じ? 空ちゃんは陽力をコントロールする為にこの学校に来る事になったんでしょ? なら、自分から入った響くんとじゃ目標が違う。追いつこうって焦ってるのかも知れないけど、目標が違うなら頑張って足並み揃える必要無いんじゃない?」

「……そう、かも……しれない」


(確かにそうだ。私は自分の意志でこの学校に来たんじゃない。このままじゃ体が危ないから……例えば、治療の為に仕方ないけど入院しなきゃいけないって感じかも。でも響くんは違う。自分の意志を持って、この学校に来て陰陽師になったんだ……)


陽那の言葉から、普段意識していなかった響と空自身の違いが思い浮かぶ。


(気付かないふりをしてたんだ。あの日、天陽院に来るのが決まって、響くんと離れ離れになるって思ったから……だから一緒に来てくれて嬉しかった。また一緒に過ごせる。同じ道を歩めるって……)


小学生の頃に出会ってから……中学、高校と響を追いかけるように同じ場所へ行った空。


傍に居て、あの日のように誰かを助ける姿を傍で見れるだけで嬉しかった。


2人一緒に居る事が当たり前だったのだ。


「まあ色々言ったけど、あたしはアドバイスの1つを言ってるだけ。決めるのは空ちゃんだよ。自分がどうしたいかは、自身と向き合う事でしか見つからないと思う。空ちゃんはどういう自分になりたい?」


『空はどんな風になりたい?』


陽那の言葉を受けて空の脳内にいつか同じような事を問われた光景が思い浮かぶ。


(そっか……お母さんにも、同じ事聞かれたんだ)


それは幼き日の記憶。

まだ母が生きていた頃。空が小学6年生で、中学への様々な期待を寄せていた時に問われた記憶だ。


その時の幼い空はまだ将来の事など具体的に考えた事は無かった。


(そうだ……私が響くんを追いかけて来たのは……ただ傍に居たいからじゃなかった)


「私は……響くんみたいになりたい」


小さく絞り出すように空は口に出す。


「泣いてる見ず知らずの私に声を掛けてくれた。泣いてる理由を聞いてくれた。それに立ち向かってくれた。私の心を……救ってくれた」


いじめっ子にキーホルダーを取られ、ただ無力で泣いていた。それを取り替えし、心を晴らしてくれたあの時の光景が脳裏にリフレインする。


(うん、そうだった。あの時から私は……)


「これからどうなるかは分かんない。けど私は、響くんみたいに優しくてカッコよくて……強い自分になりたかったんだ」


空はどこまでも高く晴れ渡る青空を見上げ、なりたい自分の姿を思い浮かべるのだった。




そしてその心にも……もう迷いという雲は1つも無かった。迷いが消えれば、心の持ちようが大事な陽力もまた……。





数日後──天陽院グラウンド。


「さあ、見せてくれ」

「はい!」


響達が見守る中……悠の合図の元、空は陽縛符を解放する。


とめどない陽力が溢れ、空の全身を覆う。


「相変わらずすげぇ陽力だ……!」


それが生み出す衝撃と圧を響達は感じる。


(鎮まれ……私の中に納まれ……)


繰り返し心の中で唱える空。すると陽力はその勢いを段々と落ち着かせていく。


小さくなり、やがて空の内から漏れ出ることは無くなった。


「おお……!」

「まだだよ。その状態で俺と同じぐらいの陽力を出してくれ」


喜ぶ響を制止し、悠はそう言って陽力を滾らせる。先程の空の5分の1程度の量だ。


「はい……!」


空はその言葉に従い、再び陽力を蜂起させる。


陽力が腹にある陽力炉心から体全体に広がり、やがて悠とほぼ同等の陽力を維持する。


「うん……! 合格だ!」

「ぷはぁっ! あ、ありがとう……ございます!」


空は遂に陽力を完全にコントロールしたのだった。



「陽力の制御を完全に身につけたね。さて、これからの事だけど……」

「先生。私、このまま陰陽師になりたいです」


空が悠の言葉を遮るように食い気味に述べる。当然、悠はもちろん響達も驚きの声をあげる。


「空、どういう事だ……? 俺はてっきり元の学校に戻るんだって……」


転校という扱いだが、元の学校の方では諸事情による休校扱いで籍はある扱いになっている。だから元の学校へ戻る事もできるのだ。


それでも空の決意は変わらない。


「今までは、私は何となくで生きてたんだ。お父さんが居て、お母さんが居て……友達の響くんが居て……それで十分満たされてた。もう何も要らないって思って、毎日をただただ生きてた」


どこまでも幸せで充足した日々。それが毎日続くと思っていた。


「でも……両親を事故で亡くしてから……分からなくなった。どう生きたら幸せに生きていけるんだろうって……」


「引き取ってくれた叔父さんのお店のお手伝いも……色々してくれて申し訳ないからせめて……って気持ちでだったの。もちろんそれは大変だけど楽しいし、叔父さん叔母さん……お客さんも喜んでくれて嬉しかったよ?」


「けど私が満たされる人生なのかって言うのは……ちょっと違う気がした」


「そんな中、響くんと影世界に行って、私にも陽力って言う特別な力があるって……誰かを護れる力があるって分かった」


「なら……私も強くなって、響くんみたいな『影』から人を助ける立派な人になりたい。そんな風に生きたいって思ったんです」


なりたい自分の姿。その指標こそあの日から変わらない響の姿。


「だから私は陰陽師になりたいんです」


空は真っ直ぐ悠を見つめ力強く決意を口にした。


「……分かったよ。色々手続きをしてもらうけど一先ず……ようこそ、陰陽師の世界へ」

「っ!……は、はい!」


空の言葉に胸を打たれ、悠は快く了承する。


「さ〜て、資料持ってくるか〜」

「お願いします」


悠が校舎の方へ歩いていくのを空は見守る。するとその背後から陽那が抱きついた。


「わっ! 陽那ちゃん!?」

「空ちゃん! あたし感動したよぉ〜! いっぱい悩んで答えを出したんだね! えらいよぉ〜!」

「……陽那ちゃんが話聞いてくれたからだよ? 本当にありがとう」

「全然いいよぉ〜! 友達だもん!」


陽那は涙を流しながら空を褒め称える。


「僕も同じ気持ちだよ。また僕も力になる。陽那よりは教えるの上手だし」

「秋くん……ありがとう」


秋も空の決意に感服していた。


「ちょっとぉ〜! その言い草は何さ〜!」

「事実でしょ?」

「そうだけど! 言って良い事と悪い事がある〜!」

「あはは……どっちも力になってくれるの嬉しいよ?」


いつも通り歯に衣着せぬ秋と憤慨する陽那を空は間に入って宥める。


そして……。


「響くん……」

「空が一度決めた事はテコでも変えないって知ってるよ。中学の頃からな」


響と同じ高校に行く為、他の学校の選択肢を除外した空。響はもっと上に行けるのにそれを勿体無いと言ったが、いくら言っても自分を曲げなかったのを響は覚えていた。


「……つーわけだ。空、これからもよろしくな」

「うん! こちらこそ、よろしくお願いします♪」


こうして空は正式に陰陽師の道を歩むのだった。

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