第6話 目覚めし陽の力
「な、なにが……えっ!?」
空は周りを見渡すと、目の前には場所はそのままに夜になったかのような世界が広がっていた。
「んなっ……!? またかよ……!」
「急に夜になって……ね、ねぇ? 何か起きてるの……? 何か知ってるの……?」
普段落ち着いた雰囲気を持つ空だが、今は驚愕と心細さが声に現れていた。
「あぁ……信じられねぇだろうが、ここは影世界って言うらしい。昨日も気づいたらここに居たんだ……すぐ離れるぞ!」
響は簡単に説明をしつつ空の手を取り走り出す。
「わっ! ちょ、ちょっと! 何で急に走るの!?」
「ここには化け物が出る! 俺も死にかけたし……えーと、兎に角やばいんだ! 灘神神社に行けば帰れるって陽那が……さっき会った男の仲間が言ってたから、そこ行くぞ!」
「ほ、ほんと……なの?」
「ああ!」
まだ信じられないといった顔をしているが、響の鬼気迫る雰囲気に空は状況を否が応でも受け入れるしかなかった。握り返した空の手は小さく震えており、響は空を絶対に帰してやると心に誓うのだった。
同刻……現世。
「クソ!」
響達が消えた場所で吐き捨てるように呟く秋。監視の為、別れてからも跡をつけようと伺っていたのだ。そして影に呑み込まれる2人を見て全速力で飛び出したが、間に合わずその手は何も掴めなかったのだった。
こうなればそこに留まっても無駄だと知る秋は神社へと走る。その最中も何もしない訳がなく、スマホ……正確には陰陽師専用にカスタムされた特別な端末を取り出し通話をかける。
返ってきたのは渋い中年程の男性の声。陰陽師を支える下部組織『柊』の人間の一人だ。
「秋です! 監視対象の白波 響が友人の女生徒と共に影世界に呑まれた! 居ないだろうけど、今すぐ動ける陰陽師へ救援要請! 僕もすぐ行きます!」
「悪いが出張っていて周辺には居ない。恐らく君が着く方が早いだろう」
「なら装備準備しといて下さい!」
そう言い残して通話を切り、速度を上げて神社を目指す。
「無事でいろよ……!」
影世界。
大通りを走る響と秋。足音と2人の荒い息遣いだけが静まり返った影世界に響いている。
「はぁ……! はぁ……! やべっ!」
「むぐっ!?」
響は突然空の口を塞ぎ、壁に隠れるように張り付く。戸惑う空の目には遠巻きに大きな体躯の化け物……『影』の歩く背が映る。響はその気配を感じ取ったのだ。
「アレが襲ってくる化け物……『影』だ。静かにできるか?」
響は声を潜めてそう言うと空はゆっくり頷く。それを見て口元から手を離す。
「アレが……『影』……」
小さく呟く空の体は一層震え、表情には不安、恐怖といったものが浮かんでいる。
「……大丈夫だ。俺がお前を護る」
なんの根拠の無い言葉だが、空を安心させようとする想いが響を自然とそう言わせていた。ゆっくり頷く空の手の震えは僅かに収まり、その震えを振り払うように強く握り返すのだった。
暫く息を潜めていると、やがて『影』は響達に気づかずにその場を去っていった。
「ふぅ……とりあえず大丈夫……ごめんな? こっからはもっと慎重に行く」
「大丈夫だよ。謝らないで? 寧ろ気遣ってくれてありがとう」
響は早く『現世』に帰らねばと焦っていたことを反省し、より警戒して進むことに決めた。
「っ!」
その時、『影』と反対の方向から何かが蠢くような耳障りな音がした。
「……?」
空には何も聞こえていない様子。だがこの感覚を響は覚えている。気配の無いという『影』だ。響は自分でも気づかぬうちに普通の『影』と気配の無い『影』の違いが分かるようになっていた。
そして音はだんだん近づいている。数分も経てば直ぐに此処に辿り着くと予想する響。
「多分、反対側にもいる……迂回して行こう」
暫く歩き、2人は何度か『影』を見つけては隠れ潜み、ゆっくりとだが確実に神社へと進んで行く。すると響は知っている道に出る。そこは昨日響が最初に『影』に襲われた場所だ。
(まだ距離があるけど慣れた道だ。隠れられそうな場所も分かる)
そう思い少し安堵する響。だがその安堵も束の間。
「……っ!?」
響の背に悪寒が走る。更にはそれが次第に大きくなり、急速に接近している事が分かる。
「やばい……! 急いでここを……」
響は言い終わるより先に2人の数m前方に何かが降り注ぐ。それは地面に強く激突し、衝撃が響達の居る所まで伝わる。
「な、なんだ……!?」
「なに……!? ……ひっ!?」
空が引きつった声をあげる。その目には紫の肌が爛れたようなおどろおどろしい姿をした黒い怪物……『影』が映る。響が怯える空を庇うように前に出る。
『影』はそれをニタニタと嗜虐心に満ちた笑みを浮かべて眺める。そして急に姿勢を低くしたと思えば、バネのような勢いで飛び出す。
「速っ……」
一瞬にして『影』の牙が響に迫る。絶体絶命の瞬間、そこに煌めく何かがが降り注いだ。
ガギィンッ!
『影』はその場から飛び退いて躱し、代わりに直刀が地面に突き刺さった。
「刀……!? っ! あんたは陰陽師の!」
「間に合った……! こいつは任せて走れ!」
秋が『影』と2人の間に降り立つや否や2人に手短にそう指示する。
「分かった! 助かる! ……お前も死ぬなよ!」
響は空を連れてその場を迂回するように神社に向かう。『影』はその2人を追おうとするが、秋が刀を構えて壁になる。
「行かせるか……! 『鎖状雷電』急急如律令!」
秋がそう唱えると、掌から放射状に放たれた雷が鎖を形作り、『影』を瞬く間に縛り上げる。
「グルル!? ガアアッ!」
バキンッ!
だが『影』はその鎖を難無く引きちぎる。秋は軽く舌打ちする。
(拘束の術を簡単に破った。見た目以上に強い。けど……)
態度とは裏腹に頭は冷静に目の前の敵を分析している。背後には神社に向けて走る響と空の後ろ姿。守るべき者達を再度確認し、強く刀を握り覚悟を示すように口にする。
「やってやるよ……!」
響達は息を切らしながら必死に走る、走る、走る。そして視界の奥、小さく神社の鳥居が見えるのを確認する響。
「もうすぐ……っ!? 危ねぇ!」
「えっ!?」
迫り来る悪寒、『影』の攻撃に気づき、咄嗟に空を突き飛ばす響。空のいた場所に大きな爪が突き刺さり、アスファルトが砕ける。
「ぐっ!」
響はその衝撃をモロに受けて大きく吹き飛ばされる。
「いたた……っ! 響くん!」
尻餅を着いた空。響に庇われたと認識し、悲鳴にも似た声で叫ぶ。
「大、丈夫だ……!」
地面を数m転がって無数の擦り傷が出来る響。だが大きな傷は負っていなかった。空はその声に安堵の表情を浮かべる。
しかしそれが命取りだった。
「空! 後ろ!」
「へ?」
倒れた空の背後に大きな『影』が迫る。
その鋭い瞳には地面にへたり込み無防備な空の姿が写っていた。
(逃げないと、立って……足で、逃げないと……!)
空は必死にそう考えても、恐怖で蛇に睨まれた蛙のようにまるで動けない。その癖鼓動は早鐘の様に響き呼吸も激しくなる。
そんな姿を嘲笑うように口角を上げた『影』がゆっくり腕を振り上げる。
「させ、ねえっ!」
響は立ち上がり駆け出す。その頭には昨日のことがフラッシュバックする。爪に穿たれ、血を吐き無様に倒れた記憶。同時にその時の痛みも苦しみも共に呼び起こされる。
だが響は止まらない。ただただ目の前の理不尽を打ち祓う。その事しか今は頭にない。
(俺に陽那や秋のような力が無くても関係ない。俺の全部を犠牲にしてでも、理不尽から絶対に空を……)
「護るんだよ!」
自分に言い聞かせるように叫ぶ響。空と『影』の間に割って入る。だが『影』の腕は容赦なく振り下ろされ、鋭い爪は響の両腕を重ねた防御もものともせず突き刺さる。
───筈だった。
「アアアアッ!?」
『影』は動揺したような声を上げる。爪は確かに響に命中しているのに、響の腕を穿つどころか傷一つ付けられていない。
正確に言えば爪は右腕に触れていない。響の右腕に白いオーラのような光が立ち上り爪を防いでいたからだ。
その場に居た誰もが予想していなかった光景が広がっている。
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