俺は、躊躇わない

 イヴァンはとにかく祈りの塔へと急いだ。


 外に出てみると、すごい嵐だった。もう冬でもないのに、息が詰まるほどの激しい風と雪だ。


(これは月の女神マーニの加護なのか。それとも、エリサの力なのか)


 月の巫女シグ・ルーナには精霊が見える。

 雪の精と風の精が暴れ回っているその姿が見えるのだ。


 しかし、精霊たちがイヴァンの味方だとは限らない。塔は見えているのに、一向に近づけないのは、幻影でも見せられているのだろうか。


(くそっ、邪魔をするな。エリサが危ない)


 風に押し戻されそうになるイヴァンの隣に、現れたのは銀色の狼だ。


「ユハ……? なぜ、お前がここに? エリサは、」


 はっとして、イヴァンは塔を見あげた。

 エリサは祈りの間に篭もっている。そこで歌っているのだろう。エリサの歌には不思議な力がある。あれは、エリサの魔力だ。


 ユハが塔の外に出てきたのは、エリサの祈りの邪魔になるからだ。

 それと忠告。ユハのうなり声で、イヴァンは侵入者に気が付いた。


「お前は……!」

「軍神イヴァンと巫女の獣ユハ。塔にいるのが、エリサだな?」


 男は、殺したはずのイヴァンが生きていることにも驚かなかった。


(いや……、あのときサミュエルは俺に止めを刺さなかった。毒にしても、太陽の巫女ベナ・ソアレがどうにかすると、そう踏んでいたのかもしれない)


 だが、いまはちがう。


 サミュエルはエリサを殺すために、ここまで来た。邪魔をすれば、今度こそイヴァンも殺すだろう。


 イヴァンはファルシオンを構えた。

 サミュエルの得物は、身幅の細くて長い片刃の剣だ。あれは、遙か東の島国で使われている刀という武器らしい。イヴァンはむかし本で見たことがあった。


(あのとき、太刀筋が見えなかったのは、サミュエルの動きのせいだけじゃない。あれが、あの特殊な剣の正しい扱い方なんだ)


 それはさながら舞のようだと、イヴァンは思った。


 接近戦を得意とするイヴァンだが、間合いに入り込むよりも先に、あの武器の餌食となってしまう。

 おまけにあの剣には毒が塗られている。太陽の巫女ベナ・ソアレに毒の耐性は付けてもらったものの、そう何度も食らって無事で済むとは思えない。


 攻撃よりも守りに徹するイヴァンに、ユハが加勢する。

 ユハはただの狼ではなく、巫女の眷属けんぞくである。その正体は氷狼フェンリル。彼女がその気になれば、成人の男でも簡単に噛み殺せる。


「ユハ、だめだ! お前は、下がれ!」


 しかし、相手はあのサミュエルだ。

 

 獣に顕現したとはいえ、毒を食らえばユハとてただでは済まないだろう。

 ユハが傷つけば、エリサが悲しむ。それだけで済めばいいが、エリサの心が壊れてしまう。そうなったときの想像など、イヴァンはしたくない。


 ユハは唸りながらもイヴァンに従った。

 銀の狼の目がイヴァンに問うている。お前一人で勝てるのか、と。


(食い止めなければ、エリサが殺される)


 多少の負傷は覚悟の上だ。傷を恐れていては、あの男サミュエルに剣は届きはしない。


 イヴァンは大きく息を吸い込んだ。

 肺まで凍りつきそうな寒さ、しかしこの嵐は、雪は、風は、イヴァンの味方だ。恐れることなく攻撃を受け、そして反撃を繰り出してきたイヴァンに、サミュエルの表情が動いた。イヴァンにはそれが笑っているように見えた。


 イヴァンは思考を止める。


 港町で戦っているだろうアウリス。兄を追って行ったミカル。イヴァンの腕のなかで息を引き取ったマルティン。そして、レム。


 壮絶だったレムの過去、それでもサミュエルはレムを愛し、ただひたすらにレムを求めていたのはたしかだ。

 レムにしてもまたおなじく、この男を殺せば、彼は深く悲しむだろう。


 イヴァンはそれを、忘れる。


 ファルシオンは長期戦に向かない武器だが、イヴァンだからこそ扱える。

 ただこの状態は拮抗きっこうしているというよりも、徐々に押されていったのはイヴァンだった。


(俺は、躊躇ためらわない……!)


 真白の雪に真紅の色が飛び散った。


 イヴァンは荒い呼吸を繰り返しながらも、けっして膝をつかなかった。

 左肩からは血が噴き出している。攻撃を受けたのは前とおなじ箇所だ。イヴァンはサミュエルの刀から逃げなかった。わずかな動揺が見られたのはサミュエルだった。


 左肩を犠牲にしながらも、イヴァンはサミュエルの横腹に一撃を入れた。

 手応えはあった。だが、サミュエルは倒れなかったし、イヴァンもさらなる追撃をしなかった。


「なぜ、止めた……?」


 当然の問いだろう。それがサミュエルを殺すチャンスだったからだ。


「あんたを斬れば、レムが悲しむ」


(いや、馬鹿だと怒るかもしれない)


 イヴァンは微笑し、またすぐ真顔へと戻った。


「それに……、あんたとここで争っている場合じゃない」


 イヴァンとサミュエルの後方に向かって、ユハが威嚇している。


 ついにここまで来た。イサヴェルの兵士たちは、イヴァンとサミュエルに向けて銃を構えていた。


「あれは……」

「ライフル銃。……いや、マシンガンか」


 奴らが引き金を引いた次の瞬間、イヴァンたちは蜂の巣にされるような代物だ。


 イヴァンはユハを見た。時間稼ぎなど、もう無意味だろう。

 だから、エリサに伝えるよう、イヴァンはユハに頼む。エルムトはここで降伏する。エリサなら、できうる限りエルムトが不利とならない条件を突きつけてくれる。


「あんたは、どうする?」


 イヴァンはサミュエルに問うた。

 照準がイヴァンもろとも向けられているその意味を、サミュエルはわかっているはずだ。


「約束は、守る」


 サミュエルは、笑っていた。

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