あんたに謝りたい

 レムは船室ではなく、食料庫に隠れているあいだに、イサヴェルの軍隊の数を把握していた。


 エルムトの軍神テュール、それからふだんは剣を持たない男たちを掻き集めても、三千には届かない。対してイサヴェルの軍隊は一万だ。


冬至の祭りユールが終わってすぐに、イサヴェルの先発隊がエルムトに侵攻した。そして、そいつらと一緒に、暗殺部隊もエルムトに入り込んでいる。サミュエルも……)


 彼らがエルムトの冬を耐えることができたのも、エルムトの協力者がいるからだと、レムは踏んでいる。

 

 彼らはもう輝ける月の宮殿グリトニルへと着いているかもしれない。

 いまから自分が行っても間に合わなければ、行ったところで何ができるのか。未だ冠雪かんせつした山を見あげながら、レムはかぶりを振る。


(いま、そんなことを考えている場合じゃない。アウリスの死を無駄にしたくないし、サミュエルも止める)

 

 けれどもそうしたところで、エルムトの壊滅を免れるかどうかは、話が別だ。


(エルムトを守るためなら、番人ヘーニルは手段を選ばない。降伏を選ぶだろうし、そうなれば月の巫女シグ・ルーナは……)


 最悪の結末がよぎる。

 これはレムがエルムトの人間ではないからだろうか。いや、そうではないはずだ。隊長のマルティン、それにイヴァンもわかっている。それでも、彼らは軍神テュールとして、最後まで戦う。


 もしも、月の巫女シグ・ルーナが知らない人間ならば、レムもそうするべきだと思う。

 無駄な犠牲を出すよりも、月の巫女シグ・ルーナ一人で犠牲が済むのならと、そう考える。


(だけど、それは現実的じゃない)


 そう、エルムトの人々にとって、巫女はなにより大切な存在である。

 

 その精神的支柱を奪われたとき、エルムトは壊れてしまうも同然だ。心の拠り所をなくした人間は、簡単に無気力になってしまう。それを果たして人間と呼べるのか。


 領土を奪われるだけではなく、かつてイサヴェルでも横行した奴隷制度がふたたびはじまる。大昔に廃止された悪習が、いまもなお行われるなど許されない。


(エリサはきっと、そこまで見通しているから、自分の身を捧げたりはしない。あるいは、イサヴェルは巫女の命だけは助けるかもしれない。でもきっと、いまよりもっと自由はなくなるし、そうなったら巫女はただの傀儡くぐつだ)


 それはエリサの矜持きょうじを激しく傷つけるだろう。

 むしろその方が、エリサの自害を促しかねないと、レムはそう思う。


(そしてそのとき、エリサの傍にイヴァンはいない。僕は最低だ。こんなことまで考えるなんて……。まるで他人事じゃないか)


 そうならないためにも、レムは山を越える。


 冬の山越えは危険だが、雪解けを前にした山はもっと恐ろしい。


 実際、レムは山を前にして怯みそうになった。

 先に山越えに挑んだはずのイサヴェルの軍隊の足取りが、どこにも見えなかったからだ。


 雪崩に巻き込まれたのだと、すぐにわかった。

 

 雪に阻まれて、レムは何度か進路を変えた。

 雪の精と風の精が、エルムトの侵入者たちを許さなかったのだろうか。救助はほぼ不可能であり、巻き込まれた仲間を見捨てて、イサヴェルの軍隊たちは進んで行く。最初の部隊が全滅しても、また次の部隊がつづく。奴らは輝ける月の宮殿グリトニルを制圧するまで、兵士たちを惜しみなくエルムトへと送ってくる。


 思った以上に体力を消耗させられたレムは、途中で山小屋を見つけて安堵した。

 しかし、安心したのも束の間、そこへと近付く前に少年たちに取り囲まれた。軍神テュールたちだった。


「こいつは、白兎のレムじゃないのか……?」


 軍神テュールの一人が気付いてくれたおかげで、どうにか拘束を免れた。

 急に姿を消した軍医の助手。彼らのあいだで、レムはどういう扱いになっているか、容易に予測が付く。


 少年らがざわめき出す。そのなかでも年長者が彼らを鎮めた。


「騒ぐな。軍医がいるならちょうどいい。ミカルを助けられる」

「ミカルがここに……?」


 先だって、レムはアウリスと別れたばかりだ。

 だが、レムはアウリスの死を見届ける前に港町を発った。アウリスの弟であるミカルに、どういう顔をして会えばいいのかわからない。


 少年たちはただ黙ってレムを山小屋へと入れた。そこは怪我人たちでいっぱいだった。ミカルもいる。彼は軍神テュールの少年たちのリーダーなのだろう。


「ミカル……」

「レム……!? なんで、お前がここに……。いや、ちょうどいい。お前がやってくれ」


 レムはミカルの足を見た。雪崩に巻き込まれたのだろう。壊死がはじまっている。


「俺の足を斬ってくれ。俺はまだ、戦える」

「まさか、君たちが雪崩を……?」

「ああ、そうとも。俺たちがやった。あいつら、みんな巻き込んでやった」


 山小屋に残っているのは、せいぜい十五人というところか。

 それほど追い詰められていたのかもしれない。しかし、レムは正直にあきれた。


「さあ、やってくれ。俺は、兄貴を助けに行くんだ」

「アウリスは……」


 レムは口をつぐんだ。いま言うべきではなかったからだ。


 少年たち数人がかりでミカルを押さえつけ、口には布を噛ませた。レムは彼らの剣を借りた。躊躇いはなかった。ミカルはまだ、戦おうとしている。


 痛みと熱に浮かされるミカルに、レムはしばらく付き添った。

 患部を切除する前までは威勢のよかったミカルも、苦痛のせいか弱気な声を発するようになった。


「ミカル、大丈夫だ。君はもう、大丈夫だから」

「でも、俺……。足が」


 本人がそう望んだように、膝から下を切り落とさなければ命に関わっていた。

 けれども、軍神テュールとしての彼はもう死んだも同然だ。片足ではとても戦えない。そんなことをわかっているから、皆何も言わない。


「大丈夫、歩けるようになるよ。そうだ、オリヴァー先生に義足を作ってもらおう。そうすれば、きっと……」


 レムの励ましをきいているのかそうでないのか、ミカルは急に黙り込んでしまった。ミカルの閉じた目からは涙が溢れ出ている。


「ごめん、レム。俺……、あんたに謝りたい」

「え……?」

「俺が……、あんたを、裏切り者にしちまったんだ」


 レムはそっとミカルの涙を拭ってやる。あまりに小声のためか、他の軍神テュールたちにはきっと届いていないはずだ。


「いいんだよ、ミカル。あの夜のことは、もう」

「俺、あんたに助けられた。ちゃんと、わかってる。あんたが、あいつから……俺を守ってくれたって、ことくらい」


 レムがサミュエルとともに、エルムトを発つ前の晩だ。


 月の巫女シグ・ルーナの顔を拝もうと、祈りの塔へと近付こうとしたバルブロをサミュエルは止めた。

 ミカルはそれを目撃していた。先に逃がしたバルブロの顔まで、ミカルは見ていなかったものの、そこでサミュエルもレムも彼に敵と判断された。


 あそこでレムがミカルを攻撃していなかったら、ミカルはサミュエルに殺されていた。


「ごめんよ、レム……。俺、弱虫だから、兄貴にもイヴァンにも、言えなかった」


 ミカルの慟哭どうこく告解こっかいも、レムはただ黙ってきいた。

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