託された思い

 本土イサヴェルからエルムトへの船旅は、快適な旅とはけっして言えない。


 特に冬の海は過酷だ。

 エルムトの雪の精と風の精が、ここでも暴れているのだろうか。そう思うほどに嵐がつづき、とにかく船は揺れる。


 船室にいれば、すぐに軍人たちに見つかってしまう。

 誰何すいかされたとして、どう見ても軍人らしくないレムは乗り切る自信がなかった。


 食料庫に身を潜めて、ただひたすらに上陸の日を待った。

 食うには困らなくとも、薄暗い倉庫でじっとしているのはただただ辛い。おまけに船は激しく揺れる。そのまま転覆するのではないかと、思うほどだ。


 船酔いする体質ではなかったことだけが、幸いと言えるだろうか。

 通常ならば七日も掛からない船旅は、嵐のせいで二週間も食料庫に閉じ込められる羽目になった。


 ようやっと港町へと着いたときは、夜も更けた時間だった。

 ひさしぶりに外の空気に触れたレムは、込みあげる感情をどうにか抑えた。


 エルムトの風、土、それから月。


 レムがエルムトで過ごしたのは、たった二年だ。それでも、エルムトの空気を懐かしく感じるし、空に浮かんだ月を見てほっとした。


(でも僕は、月の女神マーニに歓迎されないだろう)


 イサヴェルの侵略者たちではなくとも、レムは一度エルムトを捨てた身だ。

 いったい、どの面下げて戻って来たのか。そう、問いただされてもおかしくはない。


 それなのに、港町でレムを発見したときの少年たちは安堵の表情を浮かべたし、半ば無理やりにアウリスのところへ引っ張って行った。

 まずは君たちの手当てをと、そう言ったレムの声を無視してもだ。


 港町での戦闘はすでに終わっていた。


 一度目の襲撃で、この町を管理する町長はイサヴェルに屈した。

 それでも軍神テュールたちは、ここを通すまいと必死で戦ったのだろう。町外れの館では、生き残った軍神テュールたちが満身創痍の状態で集まっていた。


「アウリス……!」


 レムは思わず大きな声を出してしまったことを、すぐ後悔した。

 軍神テュールの少年たちに囲まれたアウリスは、レムの声に反応したものの、目を開けるのもやっとな状態だった。


「レム、か……。ずいぶん、遅かったな……」


 軍神テュールたちが目顔でレムに訴えている。しかし、レムは動くことができない。


 ここにはまともな軍医もいなかったのだろうか。

 

 レムはオリヴァーの助手を務めただけの、医者のはしくれに過ぎない。それでも、彼の傷はあまりにひどく、思わず目を逸らしたくなるほどだった。


(顔に生気がないのは、貧血を起こしているせいだ。当然だ。こんなに血を流していれば……。でも、それだけじゃない。この肩の傷……。もともとあったこの傷が、炎症を起こしているんだ)


 アウリスの呼吸は浅かった。こんな状態では、痛み止めすら施されていないのかもしれない。


「アウリス、いま助ける」

「いや、いい。私に、構うな……」



 アウリスはレムの手を払いのけた。

 軍神テュールの訓練を、まともに出たことがほとんどなかったレムだ。他の軍神テュールたちには、臆病な白兎と揶揄やゆされたし、侮蔑ぶべつの視線は常に受けていた。


 特に、アウリスとミカルの兄弟には嫌われていた自覚がレムにはある。

 

 けれども、いまは意地を張っているような状況ではないはずだ。拒絶されてもかまわない。レムは携帯ポーチから医療道具を取り出そうとしたものの、それより早くアウリスの声がつづいた。


「いいんだ。自分の状態くらい、自分が一番よく、わかっている」

「アウリス……」


 こんなところで無駄に使うなと、そうアウリスは言っている。


 少年たちが啜り泣いている。彼らだって戦って傷ついているのに、それでも自分の傷よりも先に、アウリスを助けてほしいと願って、レムをここに連れてきた。


(ごめん……。僕には、助けられない)


 もしもオリヴァーがここにいたなら、アウリスを助けられただろうか。

 レムの師匠はまずレムを怒鳴りつける。これしきのことで怯むなと、そう言う。


「私に、構うな。はやく、輝ける月の宮殿グリトニルに、行け。イヴァンが、待ってる」

「イヴァンが……」


 アウリスは副隊長であるイヴァンの代わりに、ここを任されたのだろうか。

 しかし、それにしてもだ。ざっと見たところ、軍神テュールの数は百にも満たない。こんな人数で敵の上陸を食い止めるのはあまりに無謀すぎる。


(援軍を送らなかったのは、番人ヘーニルが許さなかったのかもしれない。でも、イヴァンが動けないのは、他に理由があるのか……?)


「行け、レム。お前も軍神テュールなら、戦って……みせろ」


 託されているのだと、レムはそう思った。


「わかった。君の思い……、無駄にはしない」


 その言葉をきいて、アウリスは目を閉じた。

 ぎこちない笑みだったが、彼はたしかに笑っていて、レムはアウリスの笑みをはじめて見たのだった。

 

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