軍神イヴァンと戦乙女

 エルムトにも春が来た。


 ただし、本土イサヴェルや他の国のように、エルムトの春にあたたかな陽射しはほとんど望めない。

 これから先の季節、雪の精と風の精がすこしばかり大人しくなるだけで、それでも暦の上では春だ。


 イサヴェルの侵攻から、エルムトは三ヶ月耐えた。

 よく持ち堪えていると、イヴァンは思う。だが、ここからが本当の戦いだ。


 冬のあいだは、雪と風と嵐がエルムトを守ってくれた。

 厳しい冬は時としてエルムトの敵となり、人々を餓えさせたり凍死させたりもするが、外部の人間の侵入を許さない。


 雪解けにはまだまだでも、嵐が止めばイサヴェルの軍隊はふたたび動き出す。

 奴らは訓練された兵士たちで、冬のあいだ嵐に行く手を阻まれてもじっと耐えた。無理に山越えをしようとはせず、天然の要塞を陣取り、逆に罠を張っているのだ。


 そんなことが本当に可能なのか。


 イヴァンは隊長のマルティンに問うたことがある。マルティンは苦笑しながら答えた。


「それは現実的じゃない。なら、奴らはどうやって冬を耐えているのか。決まってる。協力者がいるからだ」


 イヴァンは目をみはった。それはすなわち裏切りに等しい行為だ。


「だが、無理もない話だ。軍神テュールの数は、イサヴェルの軍隊に遠く及ばない。守ってやれない者たちの方が多くなる。だから、蹂躙じゅうりんされる前に、民は食料とあたたかな寝所を差し出す」


 占有されたはずの港町をイヴァンは思い出す。

 あそこにはほとんど人の姿を見なかったし、イサヴェルの兵士にも出会さなかった。


「じゃあ、アウリスたちは」

「誤解しないでほしいのは、ばかりではないということだ。もちろん、アウリスたちを歓迎している者もいるし、期待していない者だっている。誰だって、進んで自分の娘を差し出したくはないからな」


 イヴァンはそこで声を失った。

 あたたかな食事と寝所だけで、侵略者たちが大人しくしているはずがない。奴らは餓えた狼とおなじだ。エルムトは小国だが、娼館が点在するのはそのためだ。


 兎にも角にも、エルムトは耐えた。しかし、それもここまでなのかもしれない。


 番人ヘーニルたちは、今日も一向に答えの出ない議論をつづけている。

 十三人も揃っているくせに、一人でも真面な声を出さないような連中である。辟易へきえきしつつも、イヴァンはだんまりを決め込むしかなかった。彼らはエルムトを統べる番人。もし、失えばエルムトは内部から崩壊しかねない。


 イヴァンはマルティンに呼ばれて、執務室を訪れた。

 人にきかれたくない話をするとき、マルティンはここにイヴァンを呼び出す。また番人ヘーニルたちに、無理難題を押しつけられたのだろうか。イヴァンは話をきく前から気が重かった。


「戦乙女……?」

「そう、ワルキューレだ」


 マルティンはイヴァンにカウチを勧めて、自分も向かいに腰掛けた。


「エルムトでは年々男の数が減る一方だ。加えて、ここ数年は男児も生まれにくくなった。つまり、我々軍神テュールの数も減っている」


 イヴァンはうなずく。イヴァンが軍神テュールに入ったのは十四のときだったが、いまではそれより若い少年たちが軍神テュールに存在する。


「そこでだ。番人ヘーニルたちは女たちにも戦わせようとしている」

「な……っ! それは、」

「致し方ないと言えば、そうなのかもしれない。男たちがいなければ、他に戦うのは女たちしかいなくなる」

「しかし、それでは」

「お前の言いたいことはわかる。しかも、編成されるのは主に少女たちだ」


 とうとうイヴァンは絶句した。


「既婚の女性や子のいる女性たちは、子を産む育むことを優先されている。となると、戦えるのは少女たちだけだ」


 マルティンらしくもない声に、イヴァンは正直動揺していた。

 しかし、これはすでに決定事項なのだろう。番人ヘーニルの議会で決まった事項は、けっして覆られない。


「ですが、彼女たちがいきなり戦えるとは思えません」

「ああ、わかっている。だから、イヴァン。お前が戦乙女ワルキューレの育成をするんだ」

「俺が、ですか……?」

「そうだ。しかも急務だ。言っておくが、拒否権はない」


 厳しい面持ちで言い切ったマルティンに、イヴァンは困惑を隠せずにいる。

 と、同時に理解した。軍神テュール副隊長でもあるイヴァンが、出撃を命じられずにいたのは、このためだということを。


(これは、ずっと前から決められていたことなのかもしれない。それに、番人ヘーニルたちは、この戦いを……)


 おそらく、負けると見込んでいるのだ。


 イヴァンは歯噛みする。

 アウリスもミカルも、いまこのときも戦っている。輝ける月の宮殿グリトニルにまではまだ敵の脅威が及んでいないものの、自分だけが安全地帯にいることを、イヴァンはもどかしく思っていた。


「なぜ……、俺なのでしょうか?」

「お前が一番適任だと、そう判断したのだろう。他意はない」

「しかし……」

「おいおい、まさか俺にやれと言っていないよな? さすがに勘弁してくれ。過労働もいいところだ。アストリッドに、もう二週間も会えていないというのに」


 マルティンには二歳の娘がいる。

 妻を亡くしたマルティンは、近所の女たちに助けてもらいながら子育てをしている。ときどき、娘の話をきかされるものの、そのときのマルティンは、普段のマルティンが見せない父親の顔をする。


「す、すみません……。隊長もお疲れのところを」

「まあ、いいさ。落ち着いたら、また俺の家に遊びに来てくれ。アストリッドも喜ぶ」

 

 イヴァンは苦笑で返した。


 女性が苦手とまではいかなくとも、エルムトの女たちは総じて気が強く、押しが強い。


 正直、会話に困るのだ。それがちいさな女の子が相手となれば、なおのこと。どう接すればいいのか、ちょっと考えただけで憂鬱な気分になった。

 

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