白鬼のレム

「十五年くらい前だったか。俺の取引先の奴らに、敬虔な教徒がいてな。そいつが言うには、明眸皓歯めいぼうこうしの女が教会にいるらしい」


 許可なく、バルブロは勝手に話しはじめた。

 くだらない昔話だ。それなのに、レムは動けなかったし、拒否する声も出せなくなっていた。


「おまけにそいつは、サミュエルの女らしい。それほど絶賛するならと、一目見たい気持ちになったが、やめた。さすがの俺も、サミュエルに殺されるのはごめんだからな」

「じゃあ、あんたは……」

「ああ、べつに俺はお前の父親ってわけじゃあない」


 少なくとも最悪の結果は免れた。力が抜けて、倒れそうになったレムは、テーブルに手をついて身体を支える。


「だいたい俺は、聖職者とかいうやつが嫌いでな。奴らは自分たちを高潔だと思い込んでやがるし、俺みたいな売人を見下してやがる。自分たちも金にがめついくせによ」


 このときばかりは、レムはバルブロに賛同したくなった。

 教会の連中はろくな人間がいないことは、レムが身を以て知っている。


「……で、だ。とにかく俺は、サミュエルを手懐けるためにあれこれ画策した。あいつも教会育ちのせいか、唾を吐きかけたくなるくらいに潔癖だ。なら、あいつの心を折ってやればいい。つまり俺が、あいつの花を奪ってやったわけだ」

「カトリーヌを……」

「ああ、そうとも。あの女は誰の種かもわからん子どもを孕んだ。俺の部下を五人くらい教会に送りこんだからな。そのうちのどれかだろうよ」


 レムの身体がぶるぶると震える。

 それが怒りのせいか、それとも激しい嫌悪感からなのか。レムにはわからなかった。


「カトリーヌはガキを産み落として、すぐ死んだらしいな。どいつかわからん父親も。ああ……そうだ。サミュエルが見つけ出して殺したんだったか」


 サミュエルの絶望と嘆きが見える。彼は、レムの前で強さも弱さもぜんぶ見せた。

 

「いま思うと惜しいことをした。俺も味見くらいしておけばよかったと、な」


 もういないカトリーヌの幻影を求めて、いまもずっと苦しんでいるサミュエルをレムは知っている。


「だが、まあいい。お前でもいい。サミュエルにやったみたいに、俺の前でも尻を出してみろ」


 下卑げびた笑いを浮かべながら、バルブロはとうとうレムの腕を掴んだ。

 

「お前が……」

「あ?」

「お前が、サミュエルを……」


 レムは手探りで台所の抽斗ひきだしを開けた。掴んだのは、よく手入れされた包丁だ。


「お前が! サミュエルから、カトリーヌを奪った!!」


 すべての元凶はこの男バルブロだ。

 

 真実を知ったレムはなにも躊躇わなかった。

 手にした包丁でバルブロをめった刺しにした。最初は抵抗したバルブロも、そのうち動かなくなった。


 レムはまだバルブロを許さない。肉を裂き、骨を砕き、はらわたえぐり出す。


 それでも、まだ足りない。


 レムはいま、バルブロの流した血の海にいる。

 白皙はくせきはだも、色の抜けた白金の髪も、服も何もかも、やつの血で赤く染まっていた。


「こいつが! こいつが! こいつの、せいで……っ!!」


 刺しても刺しても、まだ足りない。

 声がれてとうとう出なくなったレムは、それでもまだバルブロに馬乗りになって、刺しつづける。


「……さん! ……ムさんっ!」


 レムを呼びかける誰かの声も、届かない。


「レムさんっ!!」


 羽交い締めにされて、ようやくレムは包丁を離した。


「落ち着いてください! 奴はもう、とっくに死んでる」

「あ……、ノア……?」


 ノアによって無理やりバルブロから引き離されたレムは、そこでようやく自分が殺した男を見た。


 込みあげる吐き気を抑えきれずに、レムは吐いた。

 胃のなかのものをぜんぶ戻しても、それでもまだ吐き気は治まらずに、最後は黄色い胃液が出てきた。


「大丈夫ですか? レムさん」


 背中を擦ってくれながら、ノアが言う。


「う……、ノ、ア? 僕は、僕、は……」

「しっかりしてください、レムさん」


 ノアはレムを抱き起こして、浴室へと連れて行った。

 なにもかもを洗い流しても、まだ虚ろな目をするレムにタオルを渡して、それから今度は寝室へと引っ張って行った。


「ほら、レムさん」


 言われるがまま、レムは服に袖を通した。小柄なレムが着るにはすこし大きいそれは、馴染みのある服だった。


「すみません、クローゼットを勝手に漁って。でも、これでしょう?」

「これ……、軍神テュールの」

「そうです、レムさん。あいつ……、イヴァンが着ていたのとは色違いですけど。これ、レムさんのでしょ?」


 エルムトからイサヴェルに戻ったとき、レムは軍神テュールの軍服を着ていた。てっきりサミュエルに捨てられたとばかり思っていたが、彼は洗濯もしてくれていたらしい。


「ほら、しっかりして」


 ノアは、まだ放心状態のレムの頬を両手で挟んで、軽く二回たたいた。


「いいですか? レムさん。あなたはこれから、エルムトに向かうんです」

「エルムト、に?」

「そうです。出っ歯の栗鼠ラタトスクは、あなたが壊滅させました。ここまでは、いいですね?」


 レムは子どものように素直にうなずいた。


「エルムトにはサミュエルもイヴァンもいる。どうするかは、行ってから決めればいいんです」

「でも、僕は」

「あなたが一番大事なものは、なんですか? レムさん」


 まじろいだレムに、ノアはにこっとした。


「大丈夫です。あとのことは何も心配要りません」

「でも、だめだ。ノア、君は」

「俺のことも心配要りません。俺、言ってやりますよ。白鬼のレムは恐ろしい奴だって」

「白鬼……? 白兎、じゃなくて?」


 こつんと、レムの額にノアの額が当たった。


「いいえ、白鬼です。エルムトの白鬼レムは、やばい奴なんだって。俺、言いふらしてやりますよ。出会ったら最後、逃げなきゃ勝ち目はないってね」


 とっておきの悪戯を思いついた子どもの顔をして、ノアはつづける。


「ほら、だから早く行ってください。これ、舟券です。あと、この外套を着て。港は封鎖されているから、イサヴェルの軍の関係者を偽るんですよ。いいですね?」


 ノアはレムに、イサヴェルの軍関係者が纏う外套を着せて、舟券を持たせて、それから剣を握らせた。


 言われるがまま、ノアに従ったレムは、港に着く前にノアとは別れた。それきり、レムはノアの姿を見ていない。

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