怒っている理由

 診察が終わっても、まだイヴァンはもそもそと服を着ている。


 会話らしい会話はない。

 ただ事務的に問われるので、それに対してありのまま答えるだけだ。


(軍医らしいといえばそうだが、あまりにも冷たくないか?)


 ちゃんと医務室には通っているし、言われたとおりに薬も飲んでいる。正直、傷み止めはもう必要なかったのだが、余計な声を挟めばもっと不機嫌になるだろう。


 オリヴァーの死後、綺麗に片付けられていたこの部屋は、彼が戻ってから十日もしないうちに、物でいっぱいになった。


 それだけ負傷者の数が多すぎたのだ。

 医務室は血と薬のにおいで充満していたし、彼が助けられなかった命もたくさんある。


 最後の一人を見送っても、彼は医務室から出て行かなかった。オリヴァーの遺言を守りたいのだろうと、そうイヴァンは思っている。


「なあ、レム」

「なに?」


 返事もびっくりするくらいに素っ気ない。だからイヴァンは率直にきいた。


「お前、なにか怒っていないか?」


 探しものの途中だったのだろう。レムの手がぴたっと止まった。


「ああ、これこれ。やっと見つけた。はい」


 瓶を渡されて、イヴァンはげんなりした。またひとつ服用する薬が増えてしまった。

 

「……こんなに飲まなければいけないのか?」


 思わず心の声が出てしまった。しまったと思っても遅かった。じろっと、レムに睨まれたイヴァンは慌てて目を逸らす。


「君ね、自分の状態をわかってる?」

「怪我ならもう心配ない。ちゃんとお前に看てもらってるし、手当てだってしてもらった」

「そうじゃない!」


 バンと、机をたたかれて、イヴァンはすこしたじろいだ。


「あの毒は、そんなに甘いものじゃない。だいだい、君が毒を食らったのは二度目だ」


 サミュエルの武器には毒が塗ってある。

 最初の攻撃を受けたとき、イヴァンは死にかけた。ケルムトの太陽の巫女ベナ・ソアレがいなかったら、イヴァンはいまここにいないだろう。


 ケルムトの蛇姫こと、クロエ。


 彼女はイヴァンの身体に回った毒を取り除いたものの、すでに肉体に影響を及ぼしていた毒までは不可能だった。手足の痺れにはじまり、筋力の低下、ちょっとした不調でも完全には治らない。


 その上、イヴァンは二度も毒を受けた。

 太陽の巫女ベナ・ソアレのおかげで、多少毒に耐性が付いたとはいえ、体内に取り込んでしまった毒は、イヴァンの身体を蝕みつづける。


「言ったよね? 君はそのうち、戦えない身体になるって」


 イヴァンは微笑する。自分の身体のことは、自分が一番わかっているつもりだ。

 長時間の戦闘は不可能、それでもイヴァンはサミュエルと戦った。だが、それが最後。数年のうちにはまともに剣も振れなくなるかもしれない。


「レム、大丈夫だ。それに、もう俺は軍神テュールじゃない」


 イヴァンが腰にいているのは、愛用していた剣ではなく、細剣だ。

 ファルシオンは、最後の軍神テュールへと託した。だからイヴァンは安心して軍神テュールを辞められた。


番人ヘーニルになっても一緒だよ。君、まともに休んでいないだろ?」

「いや、それは」

「一昨日、来なかったよね? 薬はどうしたわけ?」

「薬は、お前が余分に渡してくれるから」

「でも、身体の具合を僕に見せろと言ったよね?」


 イヴァンは言葉に詰まってしまった。レムは笑顔でいるものの、その目はまったく笑っていなかった。


(ああ、なるほど。怒っている理由はこれか)


「なんだ、お前。寂しかったのか。それならそうと、早く言ってくれれば」

「この……っ、馬鹿!!」


 最初に枕を投げつけられた。予期せぬ攻撃だったので、イヴァンは椅子こと床へと転げ落ちた。そこでレムに拳でたたかれた。本気の力だった。


「レム、レム! ちょっと、落ち着け!」


 馬乗りになって、殴りつけてくるレムの両手をどうにか押さえる。そこでイヴァンはぎょっとした。大粒の涙がイヴァンへと降ってきた。

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