優先するものなど、決まっているでしょう?
祈りの塔から
思わずイヴァンはまじろいだ。
ユハはたしか、実家に行くと言っていた。それなのに、いつものように
「おや? もうお帰りですか?」
「ああ、用件は済んだ。それに……エリサが眠そうだから」
ユハがくすっと笑う。
眠たいときのエリサの機嫌の悪さを知っているのは、イヴァンとユハくらいだ。
「ユハの方こそ、もう戻って来たのか? 話はちゃんとできたのか?」
「ええ、ご心配なく。父にはしっかり礼を伝えましたよ」
時間さえ許せば、イヴァンがアーネルトン伯に会いに行くつもりだったがそうもいかず、ユハが自ら申し出てくれたのだった。
「本土のイサヴェルにも、エルムトの
イヴァンはうなずく。
エルムトの同盟国として動いてくれたケルムト、そして辺境伯アーネルトン。ふたつの力が合ってこそ、イサヴェルの侵攻を止められたのは事実だ。
「此度の戦いで、犠牲のほとんどが
「お心遣い痛み入る。俺としては、何から何まで世話になって申し訳ないくらいだ」
「いえいえ、それがあの人の仕事でしょうし」
ユハが父親をどこか他人のように話すのは、自身が勘当された身であるからだ。
エリサもユハも、
破談となったのは、エリサが
「それで? 彼は引き受けてくれたのですか?
「ああ……。あいつもエリサに頭をさげられては、断れないだろう」
「まあ、そうですね」
隊長のマルティンを筆頭に、多くの命が失われた。
残った
ミカルは片足を失っただけではなく、兄のアウリスまで失った。
他の
「どちらにしても、彼にはやってもらわなければ困ります」
「表向きは軍医として、しかし有事のときはしっかり働いてもらうさ」
「当然です。彼は最後の
イヴァンは苦笑する。
(ずいぶんと手厳しいな。でも、ユハは怒っているのかもしれない。あいつがエルムトもエリサも捨てて、イサヴェルに戻ったのは事実だ。理由はどうあろうとも……)
エルムトの裏切り者。
おなじ
(それだけじゃない。あいつは、最後までエルムトのために、エリサを守るために戦ってくれた)
エリサのローレライはエルムトを氷と雪に閉ざした。
その時間稼ぎをしたのはイヴァンと彼だ。
サミュエルとの戦いで、満身創痍もいいところだったイヴァンも倒れるわけにはいかなかった。どうにか最後まで立っていられたのは、彼がイヴァンの隣で戦ってくれたからだ。
(それに、ユハ。あのとき俺は、ユハにも助けられた)
「なあ、ユハ。俺は君に礼を言いそびれている」
「礼ですか? はて……? 思い当たる節などありませんが」
わざと
「あのとき君が止めてくれなかったら、俺はいまここにはいない」
「ああ、そのことですか。そんなに恩義を感じることもないですよ」
「どうしてだ?」
ユハは唇に笑みを乗せたものの、その目は笑ってはいなかった。
「あの男……サミュエルでしたか? あれとあなたを天秤に掛けて、優先するものなど、決まっているでしょう? 私はエリサの泣く姿など見たくありませんからね」
無数の銃口がイヴァンとサミュエルに向けられていた。
銃声が響く前にサミュエルは飛び出していたし、イヴァンはユハに首根っこを押さえられてそのまま雪に沈んだ。どんなに訴えてもユハはイヴァンから離れずに、銃声がきこえなくなった頃には、サミュエルが銃隊を全滅させていた。
(レムが、サミュエルを恐ろしい男だと何度も訴えていた意味がわかった。でもあれは、約束のためだと、そう言っていた。俺は、なにひとつとして、あの男に勝てなかったな……)
「だいたい、イヴァンはマルティン隊長のご息女を託されていたのでしょう? あそこで無茶をするような気が知れませんよ」
「そこは……ちゃんと反省してる」
「それなら、早く戻った方がいいのでは?
イヴァンはユハに半ば追い返される形で
この日、イヴァンははじめて
イヴァンも兼ね兼ね、彼らとは同意見だった。
戦争の爪痕は大きい。イサヴェルを食い止めたとはいえ、あまりに犠牲は大きすぎた。
なにしろエルムトでは男子の数が少なすぎる。これからエルムトを守っていくのは、少女たちの集団となる。イヴァンとしては受け入れがたい事態でも、これはもう認めるしかない現実だった。
そして、エルムトを統べる
構成される十三人の
イサヴェル侵攻の際に、巻き込まれた
イヴァンの父親は、病死するまで
イヴァンの性格ならば、たとえ
しかし、そういうわけにもいかなくなった。
イヴァンは週に三度、必ず医務室を訪れる。扉をたたいても返事はなく、それでも居留守を使われているのだろうと、すぐ察した。
思ったとおり、彼は在室だったし、おまけにとても不機嫌だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます