いい加減、諦めてくれない?

「僕が、どれだけ……っ、心配したのか、わかってない!」

「いや、わかってる。俺は」

「ぜんぜん、わかってなんかない! ケルムトでもそうだったし、君はいつもいつも!」


 こうなるともう手に負えないのがレムだ。

 イヴァンは渾身の頭突きを食らいながら、この手を離せと暴れるレムが落ち着くまで、とにかく耐えた。


「わかった、悪かった。俺が、悪かったから」

 

 イヴァンが自分のことよりも、他人を優先させるのには理由がある。

 妹のエリサはこの国の巫女だ。巫女の眷属であるユハが傍にいるとはいえ、いつも暗殺の対象となっている身だ。

 

 それからレム。イサヴェルで別れたときのレムはひどい状態だった。

 サミュエルに監禁され、薬の依存もかなり進んでいたレムだ。いまはこうして暴れまくっていても、目を離すとどうかわからない。レムは嘘つきだから、自分の辛さも痛みもぜんぶ隠そうとする。


「一緒に暮らそう、レム」


 怒り疲れたのか、大人しくなったレムに、イヴァンは静かに言った。

 はじめは言葉の意味がわからなかったのかもしれない。レムはぱちぱちと、目を瞬かせた。


「君、女の子を引き取ったんじゃなかった?」

「ああ、うん……。マルティン隊長の娘、アストリッドを託されてる」

「託されてるって」

「じつはまだ、迎えに行けてはいない。今年三歳になるそうで、まだちいさいから、近所の人たちに世話になっているらしくて」

「ええと、じゃあ、君の実家に連れて行くって、こと?」

「いや、あそこには帰らない。マルティン隊長の家を、自由に使ってもいいって言われている」


 たしかにイヴァンの家で引き取れば、アストリッドに不自由させることもないだろう。執事も侍女も、いまもあの家に残ってくれているから、子育てだって文句ひとつ言わずに請け負ってくれる。


(でも、だめだ。それでは養父とは言えない)


 真面目すぎるイヴァンだからこそ、慎ましくとも父娘の生活をしたいと、そう思っている。


「ちょっと考えさせて」

「えっ、レム……?」


 てっきりふたつ返事で受けてくれるとばかりに思っていたイヴァンは、動揺する。


「いきなり子持ちはちょっと……。なんか勇気が要るというか」

「はあ……」

「君は若いパパだからいいけどね。僕はそういうわけにもいかないでしょ」

「いや、お前がママでいいんじゃないか?」


 イヴァンに乗っかったまま、レムは大きなため息を吐いた。


「あのねえ、三歳の女の子になんて言ったら、一瞬で嫌われるでしょ」

「そうか? お前なら、大丈夫じゃないか?」

「なにが大丈夫なんだよ」


 アストリッドは人見知りもしないし、素直でいい子だ。

 マルティンの家に呼ばれたとき、あのちいさな女の子はイヴァンにすぐ懐いてくれた。レムのことも気に入るだろうと、イヴァンはそう思う。


「だめだよ。僕はやらなきゃいけないこと、たくさんあるから。もうすこし落ち着いたら、イサヴェルにも行く」

「お前、出っ歯の栗鼠ラタトスクを……」

「うん、そう。僕が壊滅させた。でも、ボスは逃してる。どこに潜んでいるか掴めなかった。そいつを見つけないと、たぶん終わらない」

「終わらないって……」

「ネズミはしぶといからね。ちゃんと潰しておかないと、ね。きっと、サミュエルならそうする。後始末は自分の手でする」


 笑っているのに、また泣いているのかと、そういう風にイヴァンには見えた。


(そんな顔するなら、思い切り泣いてくれた方がいいのに……)


 レムは嘘つきだ。エリサもユハもイヴァンも、それをよく知っている。

 

「俺では、サミュエルの代わりにはなれないか?」

「なにそれ。イヴァンが、サミュエルの代わりになる必要なんてないだろ」

「だが、俺は」

「そもそも、あいつは欲張りなんだ。なんでも一人で演じようとする。父親も、母親も、兄貴も、師匠も、恋人も。そんなの、うまくいきっこないのに。僕に欲張りだって言ったけど、あいつも大概だよ」

 

 レムは笑っているものの、やはりどこか元気がないようにイヴァンには見える。


 三ヶ月が過ぎた。たったそれだけの時間で、レムの傷が癒えるとはイヴァンには思えなかった。

 レムが失ったのはサミュエルだけではない。恩師のオリヴァーが亡くなっていたことも、彼の心に大きな傷を残してしまった。


(それも当然だろう。ふたりとも、レムにとって大きな存在だったのだから)


 あれからレムは涙脆くなった。情緒不安定になったようにもイヴァンには見える。


(レムの身体のこともある。自分で薬を調節できるとは言っていたけれど……)


 依存症が良くなる保証などなければ、悪化することだって考えられる。そんなレムを一人にしては置けない。レムからサミュエルを奪ったのはイヴァンだ。


「すまない、レム。俺は、」

「イヴァンはそのままでいいんだよ。だから僕は、イヴァンが好きなんだ」

「は……?」


 間抜け面を見せるイヴァンに、レムはぷいっと顔を背けてしまった。

 このままでは逃げられると、イヴァンは慌てて上体を起こす。


「い、いつから……っ!?」

「はい?」

「いつから、いつからお前は俺のことを……!」


 最後まで言う前にイヴァンは口を塞がれた。

 唇と唇が触れあうだけならば、イヴァンも試したことがあった。それでレムは大人しくなった。


(いや、ちょっと待て。これは、なんだかちがう、ような……?)


 何をされているのか、理解する前にレムはイヴァンの上からどいた。やおら身を起こしながら、イヴァンはこれとおなじことをレム以外の誰かにされたような気がすると、ぼんやり思い出していた。


「じゃあ、僕は小腹が空いたから、なにか食べてこようかな」


 レムはイヴァンを残して出て行った。しばし、そのちいさい背中をぼうっと眺めていたイヴァンは、正気に戻るなり彼を追い掛けた。


「レム! 待てっ! ちゃんと、説明しろ!」


 回廊を全速力で駆けながら、イヴァンは叫ぶ。


「嫌だよ、めんどくさい!」


 追いかけっこのはじまりだ。

 西翼から東翼まで、すごい早さで逃げるレムを、イヴァンはひたすらに追いつづける。

 レムが体力オバケならば、イヴァンもまた体力オバケだ。毒という体力低下の負荷など、イヴァンはもろともせずに走りつづける。


「ちょっと、もう……ほんとうにしつこい! いい加減、諦めてくれない?」

「いいや、どこまでだって追いかける!」

 

 番人イヴァンと白鬼のレム。


 この鬼ごっこは輝ける月の宮殿グリトニル名物だと、密かに噂されていることを、ふたりは知らない。

 

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軍神イヴァンと白兎のレム〜初恋を拗らせた男の愛が重すぎて受け止めきれない〜 朝倉千冬 @asakura

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