早く所帯を持つといい

 その日以来、ミカルはあからさまにイヴァンを避けるようになった。


 三つ下の少年は馬鹿ではない。歳の離れた兄が、イヴァンに余計なことを吹き込んだのを察しているのだろう。


 イヴァンにしても、ミカルとの距離を測りかねていたので、ほっとしていた。

 そんなことを言えばアウリスは怒るだろうが、そもそも人の心の機微きびに疎いイヴァンにとって、重荷でしかなかったのだ。


 そしてそれがきっかけで、イヴァンは自分自身の気持ちにも気付いてしまった。


 ふとしたとき、いつのまにかレムのことを考えている。

 これまではただ単にレムが心配だからという理由で、何かと世話を焼いている自覚はあったものの、善意や同情とはべつの感情だということを、認めざるを得なかった。


(するとこれは、オリヴァー先生やミカルに感謝するべきだろうか。いいや、ちがう。あいつらに恩を感じるのはちょっと癪だ。それにレムは……)


 レムはいつもイヴァンから逃げてばかりだ。


 オリヴァー曰く、イヴァンが追い掛けてくるから逃げるそうで、しかしイヴァンからすれば、レムが逃げるから追い掛けるのだ。


(まあ、いい。いまはそんなこと、考えているときじゃない。レムを探しに行こう)


 レムは朝から姿が見えなかった。

 一番に医務室をのぞいたものの、オリヴァーもレムもどちらの姿もなかった。体調が戻って自分の部屋に帰ったのかと、レムの部屋に行ってみても不在で、イヴァンは思い当たる場所を端から探している。


(まさかエリサに会いに行ったわけでもないだろう。さすがのあいつも、それくらいの空気は読めるだろうし)


 レムはエリサとユハの茶会と称した女子会によく呼ばれる。とはいえ、いまは夏至の祭りユハンヌスの最中だ。エリサも巫女の仕事で忙しくしているし、レムにだってそれくらいの分別はあるだろう。


 小台所で小腹を満たしているのかと思ったが、ここでも見当たらなかった。


 となると残るは訓練場だ。汗臭いと、レムがもっとも嫌がる場所でも、念のためにイヴァンは足を運ぶ。わずかな期待はやはり裏切られた。訓練場にいたのは、隊長のマルティンだけだ。


「イヴァン、どうした? 夏至の祭りユハンヌスの期間は、訓練も休みだぞ」

「はい、わかってます。でも、ときどき身体を動かしたくて」

「おお、お前もそうか! 俺もじっとしてばかりだと、身体が鈍ってな」


 本土イサヴェルの要人に軽視されているイヴァンとはちがって、マルティンは要人たちに付きっきりだ。心身共に疲れているところなのに、思い切り身体を動かして暴れたいというのは、いかにもマルティンらしい。


「どうだ? ひさびさに手合わせでもするか?」

「あ、いえ……。それはまたの機会に」

「そうか? うん、疲れているのはわかるぞ。俺も早く家に帰って、アストリッドに会いたいからな」

「えっと、二歳になるんでしたっけ? 隊長のお子さんは」

「ああ、もうすぐ二歳だ。女の子は可愛いぞ。イヴァンも早く所帯を持つといい」


 豪快に笑うマルティにイヴァンは苦笑いで返す。

 マルティンは二歳の娘をとても可愛がっている。病気で妻女を亡くしてからは、近所に住まう女性たちに助けてもらいながら、男手一つで娘を育てる良き父親でもある。


(隊長は、俺くらいの歳にはもう結婚していたらしい。再婚しないのも、前の奥さんを大事に思っているからだろうな)


 イヴァンは父親としての一面を見せるマルティンも、軍神テュール隊長のマルティンも、どちらも人間として尊敬している。だが、隙あらば結婚しろといらぬ世話を焼いてくるところは、正直ちょっと迷惑だった。


「そうだ、隊長。レムがどこにいるのか、知りませんか?」

「ああ、レムなら祈りの塔だ。月の巫女シグ・ルーナに大事な用があるからな」


 イヴァンはまじろいだ。この大事な時期にまた女子会ならば説教どころではない。


「そのレムなんだがな、お前にも話が」

「失礼します、隊長」


 皆まできくまえに、イヴァンは訓練場を飛び出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る