良い人なんでしょうね

 眠っているあいだに、イヴァンは何度も夢を見た。


 どれもひどい夢だった。

 熱砂の砂漠に着の身着のままで放り出されたり、俘虜ふりょとなって繰り返し拷問されたりと、そのなかでも一番ひどかったのが、大蛇に丸呑みされる夢だ。


 うなされて、何度も自分の叫び声で起きた。

 けれども、そのまま意識を保つこともままならず、イヴァンは七日間も寝たきりだった。


 イヴァンを甲斐甲斐しく世話してくれたのは、少年たちだ。


 どの少年たちも見目麗しく、可愛らしい声をしている。

 あとから知ったのだが、あの少年たちは閹人えんじんと呼ばれる太守の側仕えらしい。去勢された少年たちの集団。ケルムトは女よりも男の数が多い国である。女の代わりを男が務めることも、よくあるのだろう。


「熱もさがりましたし、もう動いてもいいそうですよ」


 閹人の少年たちと医者と、他にイヴァンのところに来たのは、セサルだった。


 彼は何度かイヴァンの様子を見に来てくれたようで、しかし熱に浮かされるイヴァンは、ほとんど記憶になかった。


「ああ……。ありがとう」


 擦れて声が上手く出せないイヴァンに、セサルは水を注いでくれた。ゆっくり喉に流し込みながら、イヴァンは冷静に頭のなかを整理する。ききたいことも知りたいこともたくさんあった。


「レムさんなら、行ってしまいましたよ」


 ところが、セサルはイヴァンが声を落とす前に答えた。目を瞬かせるイヴァンに、彼はくすっと笑った。


「でも、あいつは……」

「重罪人もいいところですね。あの人の仲間は、地下牢の囚人たちを殺しただけではなく、ここの兵士たちも何人か殺しています」


 イヴァンは口内を噛んだ。

 ふたたびレムと対峙したところに、横から攻撃を受けた。あれはサミュエルという男だった。


 あのときのイヴァンは、レムを説得しようと必死だった。

 サミュエルの存在を失念していたわけではなかったが、しかし太刀筋が見えていたとしても避け切れていたかどうか、自信はない。


(なんて無様なんだ……、俺は)


 拳をたたきつけようとして力が入らなかった。肩に違和感はあるものの、痛みは消えている。とはいえ、ずっと床に伏せていた分、体力は落ちているようだ。


「動けるからって、あんまり無理しない方が良いですよ。傷の手当てと同時に解毒もしましたが、体内に回った毒はあなたの身体を蝕んでいますから」

「ああ、わかってる」

「それなら、姉さんに感謝してくださいね」

「姉さん……? 太陽の巫女ベナ・ソアレか?」


 それにはセサルは答えずに、ただにっこりした。

 

 栗毛の少年が、太陽の巫女ベナ・ソアレ眷属けんぞくである嵐の獣ベルセルクルということは、周知の事実だ。ただし、この二人が姉弟の関係までは、イヴァンは知らなかった。


(そうだったのか……)


 巫女の眷属は、巫女にとってもっとも近しい者が選ばれる。

 

 たしかに姉弟という間柄は、それに適していると言えるだろう。

 とはいえど、イヴァンがよく知る巫女と巫女の獣といえば、エリサとユハ。ユハはエリサの恋人でもあるから、巫女と嵐の獣ベルセルクルだとばかり、思い込んでいた。


「クロエは、あなたの身体に入った毒まで取り除いてくれたんですよ。まあ、多少は残っているでしょうから、無理は禁物というわけです」


 クロエこと太陽の巫女ベナ・ソアレは別名蛇姫。ふと、イヴァンは大蛇に襲われた夢を思い出した。あれはなにかの隠喩いんゆだったのだろうか。


「おまけにあの人……、レムさんまで見逃した。タイプじゃないって言ってましたけど、面白いからって気に入っているみたいですよ」

「はあ……」

「でもね、その代償も後始末も、それからエルムトとケルムトの同盟まで、ぜんぶ太陽の巫女ベナ・ソアレが片付けてくれたんです。おかげでクロエは大変です。この意味、わかりますよね?」


 イヴァンはごくりと、生唾を喉に押し込んだ。気圧けおされていたのだ。このセサルという少年に。


「この貸しは高く付きそうですよ。どうします?」

「それは、エルムトに持ち帰って……番人ヘーニルに」

「イヴァンさん。あなた、人からくそ真面目って言われません?」


 きょとんとするイヴァンに、セサルは表情を変えて、少年らしい笑みに戻った。


「あなたがクロエに一晩付き合えば、事はそれで済むと思いますけどね」

「いや……それは……、しかし」


 女性と同衾どうきんの経験がないイヴァンだが、その意味はちゃんとわかっている。わかっているからこそ、動揺してしまっていた。どうして話がそうなるのだろうか。


「わかってますよ。レムさん、でしょ? でも、ぼくはあの人は止めておいた方がいいと思いますけどね」


 以前、軍医のオリヴァーにも似たようなことを言われた。イヴァンは頭を掻きむしりたい気分になった。


「あの人はあなたを助けるために、太陽の巫女ベナ・ソアレに頭をさげました。きっと、良い人なんでしょうね。でも、彼は組織の人間です」

「だから、関わるなと?」

太陽の巫女ベナ・ソアレに頼まれて、あなたはケルムトに潜伏していたネズミたちを捕まえましたよね。だったら、もうわかっているはずです」


 反論しようとして、イヴァンは口を閉ざした。

 ネズミというのは、本土イサヴェルから脱出した組織の人間たちだ。大衆食堂で暴れていたところを、イヴァンが大人しくさせた。だが、奴らは正気ではなかった。


「イサヴェルでは違法な薬が出回っているんです。そのうち、民間人でも容易く手に入れられるようになるかもしれませんね。それはちょっと、ケルムトにとって迷惑です」

「あいつらは、俺を化け物かなにかだと思っていた」

「幻覚じゃないですか? ああいった薬を多用すると視えるんですよ。地下牢に入れたときはもっとひどかった。拷問も必要ないくらいにね」

「だがレムは、あいつは……」


 イヴァンはそのつづきを言えなかった。いま思えば、思い当たる節はあった。否定の声を紡げなかったイヴァンを、セサルが気の毒そうな目で見ていた。

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