あたしを脅すつもり?

 すんでのところで悲鳴は飲み込んだ。

 しかし、レムはサミュエルを止められなかったし、サミュエルの剣がイヴァンの身体を貫くのを見ていることしかできなかった。


 急所をやられたのだろうか。

 イヴァンはわずかなうめき声をあげたものの、すぐに動かなくなった。


(いや、ちがう。あれは毒だ)


 サミュエルの剣には毒が塗ってある。

 

 いつだったか、サミュエルの剣に勝手に触れて、彼の逆鱗げきりんに触れた。あれは子どもの興味が勝った行為で、でもサミュエルは本気で怒っていた。


「ネズミは全部片付けた。……行くぞ」


(ネズミ……ね)


 レムは失笑しそうになった。サミュエルにとって、軍神テュールのイヴァンなど取るに足らない存在なのだ。


 そこへケルムトの近衛兵たちが追いついてきた。

 先頭を率いるのは、栗毛色の髪をした少年だ。一斉攻撃を待つ近衛兵たちに、少年は待てと命じた。


「やっぱり先に行って。後始末は……僕がやる」


 興醒めしたらしく、サミュエルは声を残さず去った。

 

 おめおめと逃すまい。ケルムトの兵士たちが気色けしきばむのを抑えているのが、栗毛の少年だ。そこでレムは確信した。サミュエルの気配が完全に消えるのを待って、それからレムは少年に向けて声を発した。


「戦う意思はない。捕らえたいなら好きにすればいい。でも、その前に彼を」


 皆まで言う前に、少年はレムの言葉を理解したらしい。兵士たちがイヴァンを連れて行った。


「一応、忠告しておくけれど、傷には触れない方がいいよ」

「ああ、そういう心配は要りません。専門家がいますので」


 如才じょさいない笑みで少年が応える。


(なるほど、蛇姫か)


 ケルムトの巫女は太守の娘でありながらも、毒味役。

 その身体には、血と一緒に百を超える毒が流れている。それを教えてくれたのはノアだった。


「とりあえず、ぼくたちも行きませんか? こんなところで立ち話もなんですし、あなたには言いたいことが山ほどあるそうですよ」


 笑みで返したレムを、少年はとある一室へと連れて行った。

 寝室にしては広すぎるその部屋で、ゆったりとベッドでくつろいでいる少女が見えた。


(あれが、太陽の巫女ベナ・ソアレ


 褐色の肌と豊かに波打つ黒髪。歳はイヴァンとおなじ頃だろうか。童顔のためかすこし幼く見えるものの、少女にしては妖艶ようえんな色気を漂わせている。


「連れてきましたよ、太陽の巫女ベナ・ソアレ

「ちょっと、遅いじゃない。待ちくたびれちゃったわよ」


 欠伸をしながら文句を言う太陽の巫女ベナ・ソアレに、栗毛の少年はにへらと笑う。


 ずいぶん気安い関係に見えるのも当然かもしれない。この少年こそ、巫女の眷属けんぞく太陽の巫女ベナ・ソアレ嵐の獣ベルセルクルだ。


「で、あんたがイヴァンの情人ってわけね」

「は……?」


 レムは思わず変な声を出してしまった。値踏みするような目で、太陽の巫女ベナ・ソアレがレムを見ている。


「ふうん。たしかに綺麗な顔してるわね。でも、あたしの好みじゃないわ」

「なんの話です?」

「あたしは美しいものが好き。花も宝石も人もね。イヴァンって、とびきりのイケメンじゃない? あれこれ誘ってみたけど、まるでダメ。あたしみたいな美女を前にして、失礼しちゃうわよね」

「はあ……」


 それと自分がどう関係があるのかと、レムは困惑しつつも、これはチャンスだとすぐ切り替えた。

 

「ちょっと、やだ。なんのつもり……?」


 その場で膝を折り、額を床へと擦り付ける。レムが乞うのは、ただひとつだけ。


「お願いです。イヴァンを助けてください」

「ここには軍医がたくさんいるの。慌てなくとも、イヴァンはすぐ治るわよ」

「あの剣には毒が塗られています。このままではイヴァンは助からない」


 ふた呼吸ほど空いた。そのあいだも、レムはじっと床を見つめたままだ。


「男が安易に頭をさげるんじゃないわよ。だいたい、あたしになんのメリットがあるわけ?」

「僕はどうなってもかまいません。どうか、イヴァンを助けてください」

「あんたのことなんて、どうでもいいわよ」

「でも、イヴァンはそうもいかないでしょう?」


 顔が見えなくとも、太陽の巫女ベナ・ソアレ逡巡しゅんじゅんしているのがわかる。これは賭けだ。伸るか反るかの問題ではない。だから、レムは声をつづける。


「彼はエルムトの軍神テュール。おまけに副隊長という立場にある男です。ケルムトとの同盟に遣わされたイヴァンが戻って来なかった。となれば、どういうことになるか……おわかりですよね?」

「あんた、このあたしを脅すつもり?」

「つもりではなく、脅しているんですよ。太陽の巫女ベナ・ソアレ。ケルムトだって、エルムトと戦争なんかしたくはないでしょう?」


 顔をあげたレムは、まっすぐに太陽の巫女ベナ・ソアレを見た。

 巫女の黄金の目が嫌悪を滲ませている。レムはにっこりと笑った。

 

さかしら子どもね。でも、あんたちょっと面白いわ」

「お褒めいただき、光栄です」

「褒めてなんかないわよ。……セサル!」


 太陽の巫女ベナ・ソアレ嵐の獣ベルセルクルの少年を呼ぶ。

 ほどなくして、巫女の寝室にイヴァンが運ばれてきた。


「そこに寝かせて」


 巫女に命じられるままに、軍医たちはイヴァンの身体をベッドに寝かせた。レムは思わず駆け寄っていた。イヴァンは軍神テュールの隊服を脱がされて、適切な治療も終えたあとのようだ。


「急所は上手く外れていたようですよ。さすがは軍神テュールですね」


 セサルの声もレムの耳を素通りする。

 あのとき、イヴァンはサミュエルに肩をやられた。サミュエルの太刀筋が追えなくとも、イヴァンはとっさに攻撃をずらしていたのだろう。


(でも、だめだ。一度体内に入った毒は、どうにもならない)


「この借りは高く付くわよ」

「お望みでしたら、あなたに一晩付き合います」

「いやあよ。だってあんた、ぜんっぜんあたし好みじゃないもの」


 子どもみたいに舌を出して、思い切りレムを拒絶したかと思えば、太陽の巫女ベナ・ソアレはイヴァンにまたがった。

 それから自身の口でイヴァンの口を塞ぐこと数呼吸、たっぷりと熱烈な口づけを見せつけられた。


「ぷっはあ、ご馳走さま。やっぱりイケメンに限るわね!」


 満足した太陽の巫女ベナ・ソアレは、唖然あぜんとするレムの横をすり抜けて行った。


「よかったですねえ! ああ見えて、クロエはけっこうやさしいんですよ」


 にこにこ顔のセサルに対して、レムは曖昧な表情をする。たしかによかったのかもしれない。それでも、なんだか胸がもやもやするのは気のせいだと、レムはそう思い込んだ。

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