反省はしているから

 獄に繋がれたレムは身体をぶるっと震わせた。


 昼間の暑さが嘘みたいに、砂漠の夜は冷える。それもこんな光の届かない地下牢ならば、なおさらだ。


 当然ながら、囚人には防寒具など与えられない。

 着ている衣服を剥ぎ取られなかっただけ良しと、そう考えるべきだろうか。しかしそれにしては寒くて堪らない。


 おまけにここはひどい臭いがした。


 地下特有の黴臭さだけなら、まだ我慢ができる。でも排泄物のにおいをずっと耐えなければならないのは、苦痛でしかなかった。


 鉄格子のなかは狭く、ベッドも置かれていなかった。

 左の隅から特に悪臭がするのは、そこに壺があるせいだ。わざわざ覗かなくてもわかる。囚人たちは、そこで用を足しているのだろう。


 それにしても、においがひどい。


 鼻呼吸をすると吐きそうになるが、口呼吸も嫌だったので、レムはなるべく息を我慢した。けれども、そんな努力は無駄だった。


(寒い。臭い。早くここから出たい)


 膝を抱えてレムはじっとしている。

 余計な体力を使わないように眠るべきなのに、眠れるはずもなかった。イヴァンに構わずに、さっさと逃げてしまえばよかったのだ。


(そもそも、なんでイヴァンがケルムトに……)


 レムは歯噛みする。

 とはいえ、大体の察しは付いていた。エルムトとケルムトは真逆のようでいて、実は似ている。月と太陽。氷と雪と冬の国、砂と岩と夏の国。それぞれに巫女がいて、巫女は神の声をきくことのできる神聖なる存在だ。


(だったら、やっぱり僕の手落ちってわけだな)


 レムはため息を吐きたくなった。ここで繋がれること数日、もしくは早くて翌朝。レムは獄吏ごくりに連れて行かれる。レムを待っているのは処刑場だろう。


(ネズミたちは、とっくに組織のことを吐いている。僕もやっぱり、仲間だと思われたのかな?)


 こうなると、火事騒ぎを起こしたのが余計だったかもしれない。


 たしかエルムトでは放火は重罪だった。ケルムトでもおなじ罪に問われるのであれば、極刑は免れないだろう。


(まあ、それも当然と言えば当然か)


 自分の明日のことなのに、レムはまるで他人事である。

 自棄やけを起こしているのではなく、来るならばそろそろだと、そう思っていたのだ。


 上の方が騒がしくなった。レムはやおら腰をあげる。踵を鳴らしながら誰かが歩いてくる。その音は、レムのいる鉄格子の前でぴたりと止まった。


「お前らしくない失態だな」

「一応、反省はしているから。早くここから出してよ」


 獄中におかれても減らず口をたたくレムに、サミュエルは艶麗えんれいに微笑んだ。

 レムはふいと視線を逸らす。不貞腐れているようなその仕草は、しかし落胆を悟られないためだった。


(一瞬でも期待しただなんて、どうかしている)


 身勝手で浅ましい思考に、レムは失笑しそうになる。思わずかぶりを振って、頭を切り替えた。


「ネズミは……?」

「始末した」


 レムにネズミ退治を命じて、わざわざケルムトまで来させたのがサミュエルだ。

 それなのに、平然とのたまうのがサミュエルという男だった。レムが怒ったところで、どうにもならない。


(大方、ノアがすぐ知らせたんだろう。やっぱり僕の監視役だった)


 レムはノアに対しても、べつに怒るつもりはなかった。

 ノアは言いつけを守っただけ、組織に飼われた犬はご褒美をもらえるから必死になる。


(……にしても底意地が悪すぎる。そんなに僕は信用ないのかな?)


 レムは組織のネズミたちに同情的だったものの、べつに逃がそうだなんてそんな考えは持っていなかった。

 だが、サミュエルはと思って、こうしてわざわざケルムトまで来たわけではない。レムが、おなじことを繰り返さないか、ただ目的はそれだけだ。  


(機嫌取りなら早い方がいいだろうけど、どうせ無意味だな。ノアだっているし)


 レムはサミュエルから剣を受け取ると、地下牢を出口に向かって進んだ。

 

 きっとサミュエルはそこそこ派手に暴れたはずで、すぐにまた近衛兵たちが集まってくるだろう。

 これがサミュエル一人ならば、逃げおおせる。無数の刃を突きつけられても、弓を向けられても、傷を負いながらも逃げる。


 サミュエルはレムを助けに来たが、こうなってはレムが彼の足手纏いになるのは必然だった。


(僕はサミュエルほど、思い切りが良くないからな。痛いのは嫌だし……)


 ともかく、これ以上の面倒事になる前に、黄金の宮殿グラズヘイムからおさらばするべきだ。

 市街地まで逃げてノアを回収する。そのあとは、どうにでもなるだろうと、レムはそう思っていた。


 だからこそ、ふたたびイヴァンが立ちはだかったことに、レムは激しく失望した。

  

「レム、もうよせ。これ以上、罪を重ねるな」

「きみも、けっこうしつこいね。説教なんてどうでもいいから。いい加減、諦めてくれない?」


 サミュエルを押しのけて、レムはイヴァンと対峙する。

 まだケルムトの近衛兵たちは追いついていない。なにを思ってイヴァンは単独で来たのか。答えは決まっている。レムに接触するためだ。


「……先に行って。こいつを始末して、すぐに追いつく」


 剣を抜きながら、レムはサミュエルに言った。しかしサミュエルは不適に微笑みながら、こう返した。


「いや、その必要はない」


 レムが止める間も、声をあげる間もなく、サミュエルはいきなりイヴァンを攻撃した。

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