鬼ごっこはおしまい

 レムがそうであったように、イヴァンもまた茫然自失としていた。


 相手の顔が見えないうちはよかった。

 黄金の宮殿グラズヘイムの侵入者を仕留める。それだけで、よかったのだから。


「レム……? レム、なのか……?」


 イヴァンは信じられない気持ちでいっぱいだった。

 

 なにしろ、ここは異国である。本土のイサヴェルならばまだしも、砂と岩と夏の国ケルムトで、彼に会うとは思ってもみなかったからだ。


 月明かりのおかげで、暗闇に目が慣れてくる。


 小柄で、同世代の男子よりも背がちいさかったレムは、ちっとも変わっていなかった。すぐにイヴァンの声に応えなかったのは、彼もまた戸惑っていたせいだろうか。数呼吸ののちに、レムは微笑んだ。


「やあ、イヴァン。元気そうで、なにより」


 なにも変わっていないその笑みは、イヴァンをひどく動揺させた。

 だから、次の攻撃が来るのも読めなかった。イヴァンの腕から血が噴き出した。


「さすが、イヴァン。上手く避けるね」


 この声は、まるで相手をいたぶるのをたのしんでいるかのようだった。左腕を押さえながら、間合いを取ろうとしたイヴァンをレムの剣が襲う。


「ねえ、イヴァン。旧誼きゅうぎに免じて、見逃してくれない?」

「レム……っ、お前は!」

「でないと、ミカルみたいに、殺さないといけなくなるでしょ?」


 イヴァンはとっさに反撃を繰り出した。それは想定外の攻撃ではなかったはずだ。レムは明らかにイヴァンを挑発していたし、わざわざミカルの名前まで出した。


 打ち合いになって、レムの強さがよくわかった。


 力ならばイヴァンの方が上なのに、簡単には押し返せない。

 それどころか、レムはイヴァンの剣を避けられるのに、敢えて剣で受け止めている。受け流しているとでも言った方が、正しいのかもしれない。


 そしてイヴァンは、レムが軍神テュールの訓練から逃げていた理由をいま、知ったのだ。


怠惰たいだだとか、臆病だからとかじゃない。レムは、俺たちを怪我させてしまうことをわかっていたから……)


 細剣を得物とするレムに対して、イヴァンの武器は片刃で幅広の刀身を持つファルシオンだ。

 

 重さがある分、小回りが効きにくいものの、その重さを生かして攻撃できる強みはイヴァンの戦い方に合っている。イヴァンは接近戦に持ち込めば、けっして相手を逃がさない。ただし、の話だ。


「レムっ! お前は、本当にミカルを……!」

「知りたければ、捕まえてごらんよ」

「レム!」

「ほら、ちゃんと避けないと。うっかり殺しちゃう、でしょ?」


 はったりではなく、その気になればレムはイヴァンを殺すだろう。

 迷いのあるイヴァンの剣など、レムには届かない。ならばなぜ、大人しくレムはイヴァンの剣を受けているのか。


(仲間がどこかに潜んでいるのかもしれない)


 そうだ。そもそもレムは、一人でエルムトから消えたわけではなかった。これはおそらく時間稼ぎだ。

 ただし、レムの相手だけで精一杯のイヴァンには、他の気配を探るような余裕などなかった。


(駄目だ。このままでは、逃げられる。レムは……)


 ここで逃せば、次にいつ会えるかなんてわからない。

 イヴァンは迷うことをやめた。多少の怪我を負わせてでも、レムを逃がすわけにはいかなかった。


 子どもの児戯じぎさながらに、イヴァンはレムの動きに翻弄されていた。しかしそうしたなかでも、イヴァンはただひたすらに、隙が出来るのを待っていた。


 レムは戦いながらも回廊を移動し、東翼にある塔へと近付いていた。あそこには地下牢があることを、イヴァンは知っていた。

 彼の目的も、なぜ異国に現れたのかなども、イヴァンにはわからない。


(それでも逃がさない。逃がすわけには、いかない。ぜったいに)


 ところが、どちらかが倒れるその前に、第三者の介入があった。

 

 無数の弓がレムに向けられている。すこしでも動けば、その弓はイヴァンもろとも放たれるだろう。逃げ場はない。塔の上からも、後から追ってきた兵士たちも、侵入者に向けて攻撃の指示を待っている。


「鬼ごっこはおしまい。さ、捕まえて」


 凜とした少女の声が合図となった。レムはイヴァンに向けていた剣を捨てた。




          *




「ですから、あいつを解放してくださいと。そう、お願いしているのです」


 イヴァンは懸命に訴えるものの、相手は欠伸ひとつで返すだけだった。


 黒髪で褐色の肌をした少女が、ベッドの上でくつろいでいる。

 イヴァンはケルムトに来てから、何度も彼女と会っているので、その正体も知っている。


 彼女は太陽の巫女ベナ・ソアレ

 この国の巫女であり、蛇姫と呼ばれる太守の娘だ。


「あなたみたいなイケメンは、嫌いじゃないわよ。でも、そうしたところで、あたしになにかメリットがあるのかしら?」


 太陽の巫女ベナ・ソアレの黄金の目が、イヴァンを射貫く。イヴァンは答えに窮してしまった。なにひとつとしてない。それどころか、デメリットの方が大きいだろう。


「だいたいさっきの子、組織の人間でしょ? たしか……出っ歯の栗鼠ラタトスクだったかしら? せっかくあなたが捕まえて来てくれたのに、また逃がしちゃうわけ?」

「レムは、あいつは……ちがうんです」

「どうだっていいわ。でも、あなたがあたしに一晩付き合うって言うのなら、ちょっと考えてあげてもいいわよ」


 イヴァンの必死の懇願も、投げキッスひとつで強制的に終わらされた。

 妹のエリサからも軍神テュールの仲間たちからも、そしてレムからも、くそ真面目で冗談など通じないと言われつづけてきたイヴァンだ。

 

 一揖いちゆうして去って行ったイヴァンの背中を、いかにも残念そうに太陽の巫女ベナ・ソアレが見つめていた。

 

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