ラタトスクには気をつけろ
このところのマルティンは忙しくしている。
それもこれも
幸い、大事には至らなかったものの、
理不尽な罵倒を受けても、イヴァンはぐうの音も出なかった。
そんなイヴァンをマルティンは常に庇ってくれた。マルティン自身も、この責任を追求されていたのにかかわらずだ。
(暗殺未遂などと、事を大きくし過ぎた。やつらは、エリサにたどり着いてさえいない)
とはいえ、イヴァンの心中も穏やかとはいかない。
エリサは大事な妹であるし、母も父も亡くしたイヴァンにとって、たった一人の家族だ。
先代の頃から、巫女は常に命を狙われてきた。
エルムトにて
だからこそ、巫女はなにを差し置いても守るべき存在なのだ。
(わかってはいる。だが、レムは本当に……)
イヴァンの思考は途中で遮られた。執務室には先客がいたのだが、ちょうど話し終えたところだろう。マルティンに呼ばれてイヴァンは顔をあげる。
「そうか……。だが、よかったじゃないか。ミカルはもうすっかり回復したのだろう?」
「はい。身体は問題ないと、アウリスもそう言っていました」
「なら、うじうじ考えていても仕方がない。ミカルが復帰するまで待つしかないな」
マルティンはここ数日あまり寝ていないと言っていたが、それでもいつものように大きな口を開けて笑った。イヴァンは苦笑いで返す。
(うじうじって……、俺はそんな風に見えていたのか)
歯に着せぬ物言いをするのがマルティンだ。報告も終わって退出しようとするイヴァンを、まだ話があるとマルティンは呼び止めた。
「気分転換というわけではないが、イヴァンにはエルムトを離れて頼みたいことがある」
「それはまた……イサヴェルですか?」
「いや、ちがう。ケルムトだ」
イヴァンは目をしばたいた。
あの事件が起きてから三ヶ月が経っていた。イヴァンは
一度
されども、小国のエルムトと異なりイサヴェルは広い。おまけに暗殺組織や闇の売人などといった、法で取り締まるべき組織が複数存在しているにもかかわらず、野放しの状態だ。
失意のうちにふたたびエルムトに戻ったイヴァンを叱責するのは、妹のエリサ。励ましてくれたのは、ユハとマルティンだ。
(しかし、今回はケルムトとは、どういうことなのだろうか……?)
さっぱりわからないといったイヴァンに、マルティンがつづける。
「じつは俺もケルムトには行ったことがない。砂と岩と夏の国ケルムト。あそこはエルムトとちがって、
「まさか……、戦争でも仕掛けると?」
「そうじゃない、その逆だ」
「その逆とは……?」
同盟だと、マルティンが言う。イヴァンからしてみれば寝耳に水だ。
「ここに、
「太守ではなく、ケルムトの巫女に?」
「ああ。いきなり行っても、まず太守は相手にしないだろう。だから、先に巫女に接触する」
合点がいった。イヴァンがエルムトを離れていたあいだ、エルムトは例年にない長雨に見舞われた。
執務室を後にしたイヴァンは、さっそく旅の支度に取り掛かることにした。
なにしろ行き先はケルムトだ。
「なんだ? また出掛けるのか?」
途中で会ったのはオリヴァーだった。ただでさえ、イヴァンはオリヴァーを苦手にしていて、レムのことがあってからはより気まずくなった。
「ええ、ケルムトに」
「ふうん。レムはもういいのか?」
(こういうところが、嫌なんだよ)
イヴァンは口のなかだけで零す。相も変わらず、オリヴァーは煙草臭いし、女物の香水のにおいがする。
「
「ふん……。まあ、どのみちケルムトに行くには、イサヴェルを通るしな」
イヴァンはぎくっとした。心のなかを見事に読まれている。
「以前、先生は俺に言いましたよね? レムには関わるな、と」
「ああ」
「それとは逆のことをおっしゃるんですね」
「まあな。お前は案外根性のあるやつだと、俺は思っているからな」
褒められているのか
「ひとつ忠告だ。ラタトスクには気をつけろ」
「
なにかの隠語だろうか。
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