懲りない人

「申しわけございませんが、誰ともお会いにならないとのことです」


 慇懃無礼いんぎんぶれいに応対され、イヴァンは見舞いの品だけを手渡すと、大人しく引きさがった。

 神経質そうな面持ちの執事長はにこりともせず、そう何度も来られても困ると言った風に、すぐ玄関の扉を閉めた。

 

 イヴァンはほとんど無意識にため息を吐いた。

 見舞いに訪れたのは三度目だが、けっきょくミカルには会えなかった。せめて傷の具合だけでも知りたかったのに、それすら教えてもらえない。


 しつこく粘って出禁になるのも困るので、イヴァンはこの日も素直に帰るだけだった。とはいえ、ほとんど門前払いに近いので、出禁と変わらないのだが。


(それにしても、相変わらずここはすごいな)


 イヴァンの生まれ育った邸宅もなかなかの広さだが、この邸はもっと広い。

 輝ける月の宮殿グリトニル軍神テュールたちの寝所が、すっぽり入るほどの大きさだ。


 ここなら何不自由ない生活が送れるのに、アウリスもミカルも軍神テュールになったのは理由がある。

 ひとつは、軍神テュールはエルムトの男たちにとって、誉れ高き職業であるから、もうひとつは兄弟揃って母親が好きではないからだ。


 アウリスとミカルは異父兄弟である。


 しかし、男よりも女の方が多いエルムトでは、それも稀な話ではなかった。

 より良い結婚相手を見つけて、たくさんの子どもを産む。夫を二人持つことは許されなくとも、最初の相手と離縁すればまた結婚できる。


 アウリス曰く、母親は本土イサヴェルの富豪を捕まえて、既成事実を作ったらしい。

 最初から結婚するつもりはなかったようで、相手の男はこの豪邸を作り、多額の育児資金を渡してエルムトを去ったとかで、アウリスは父親の顔さえ知らなかった。


 ミカルの父親はエルムトの男だが、それほど身体が強くなかったのだろう。

 成人まで生きられたのは運が良かっただけで、ミカルがちいさいときに亡くなったそうだ。


 残された兄弟は母親に愛されて育ったかと言えば、そうでもないらしい。

 自由奔放に生きる母親は育児を放棄して、兄弟を育てたのは乳母と教育係と、執事や侍女たちだ。


 この話は有名で、酒に酔ったときにミカルがいつもする話だ。

 普段は礼節れいせつわきまえているアウリスも、いろいろと思うところがあるようで、一度絡まれたら延々と長話をきかされる。ミカルもアウリスも、酒には弱かった。


「おや……? また来たのですか? あなたも懲りない人ですね」


 すごすごと退散するイヴァンと入れちがいに、アウリスが帰ってきた。

 貼り付けられた笑みは嘲笑ちょうしょうだ。アウリスは、まだあのときのことを怒っているし、レムを逃したイヴァンを許していなかった。


「ミカルの具合はどうだ? すこしは、良くなったのか?」

「身体のことならご心配なく」


 言葉に棘があるのも気のせいではない。取り合うだけ無駄だと、わかっていながらもイヴァンは声をつづける。


「マルティン隊長も心配している。傷が治ったのなら、一度くらいは顔を出すべきだろう?」

「お心遣い、痛み入ります。しかし、先ほど言ったとおり、身体は回復しても、心はまだ回復していない。そんな状態で、私は弟に無理させるつもりはありませんよ」


 イヴァンは口内を噛む。

 

 ミカルを看た軍医のオリヴァーは、治療を終えてマルティンとイヴァンを呼んだ。

 イヴァンもミカルの傷を見た。回廊で倒れていたときのミカルは、血の量が多すぎて、もう駄目かと思ったくらいだった。


 しかし、実際に傷を目にしてみるとわかる。

 急所は上手く外されているし、骨も砕けていなければ筋も斬られていなかった。オリヴァーならば、傷跡も残さずに手術を成功させる。その確信があったのだろう。


(あいつは、先生の助手だった。先生の腕はよく知っているはずだ)


 それだけではない。もっと重要なのは、レムがそれを為し得たことだ。

 実際、殺すよりも殺さないようにする方が、何倍もむずかしい。ミカルは向こう見ずだから、剣の太刀筋もめちゃくちゃだ。


「あなたは、ミカルが先にレムを攻撃したと、そう思っているのでしょうね」


 ぎくりとして、イヴァンはとっさにアウリスから目を逸らしてしまった。


「あの日のことを知りたいのでしょう? あなたは。でも、無駄です。あの夜、ミカルに腹が減ったと起こされましてね。あまりにしつこいので、渋々起きたのですが……、ミカルは先に小台所に行ってしまいました」


 つまり、アウリスは見ていないということだ。


「お前が追いついたとき、ミカルはもう斬られていた、と?」

「ええ、そうです。何度も言ったでしょう? ミカルを斬ったのは、レムです」

「見てもいなかったのに、どうしてわかる?」

「去り際の彼の後ろ姿は見ました。あのちいさい背中はたしかにレムでしたし、一緒にいた男は、本土イサヴェルの要人の護衛を務めていた男でした」


 イヴァンは二の句を継げなくなった。

 レムは、あの護衛の男が自分を迎えに来たのだと言った。エルムトを去る前日に行動をともにしていても、不自然ではないはずだ。


「あなたは、ミカル本人の口からそれをたしかめたいようですが、はっきり言って迷惑です。弟は深く傷ついています。格下だと思っていた相手に負けたことも、重傷を負わされたことも、彼に裏切られたこともね」


 面会謝絶を指示しているのはアウリスだ。

 腑に落ちないまま、しかしこれ以上の口論は無駄だと悟って、イヴァンはアウリスの前から消えた。

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