第二章 裏切り者と信じない者

あのとき食べたオムレツ

 レムは寝付きが悪い。


 その上、ちょっと微睡まどろんだかと思えば、夜中に何度も目が覚める。

 浅い眠りを何度も繰り返しているうちに朝が来る。目が冴えて眠れなかったときは最悪だ。


 そういう日には起きるのを諦めて、惰眠だみんむさぼる。気付けば夕方だったということもよくある。こうした堕落だらくした生活を送っていると、自分がいかに駄目な人間かと思い知らされる。


 とはいえ、エルムトではそうもいかなかった。


 軍神テュールたちの朝は早い。

 少年から往年おうねんの男たちで構成される戦う集団は、皆おなじ時間に起きる。

 輝ける月の宮殿グリトニル警邏けいらにはじまり、近隣の集落の見廻り、それが終われば朝の訓練だ。朝食を済ませると各部隊の隊長に呼ばれて、それぞれの仕事を申し付けられる。


 朝の弱いレムにとって、もうそれだけで苦痛だったのだが、そうも言ってはいられない。朝から元気すぎる男が迎えに来るからだ。


(こんな生活を見られたら、きっと激怒するだろうな)


 午後になってもなお、レムはシーツに包まっている。

 二度寝ならぬ五度寝だったが、どうにもこうにも身体がだるくて動けない。喉は渇いていたものの、そのために起きるのも億劫で寝直した。台所は寝室と隣接しているにもかかわらずだ。


 さすがにそろそろ起きようかどうしようかと、思案しているところでいいにおいがした。バターをたっぷり使った卵を焼くにおいだ。レムのお腹がぐうと鳴った。


「ずいぶんと朝寝坊だな。とっくに昼を過ぎているぞ」


 言葉とは裏腹に、レムに掛ける男の声はやさしかった。


 こぢんまりとしたテーブルの上にはできたてのオムレツと、トウモロコシのスープ、グリーンサラダにデザートの林檎が並べられていた。白パンは温めているところなのだろう。そのあいだにコーヒーを淹れるのが、彼のルーティンだった。


「お前は本当に朝が弱いな」


 意地悪っぽく笑う男を無視して、レムはまず顔を洗った。洗い立てのタオルを受け取って、顔を拭いながら、ふうとため息を吐く。


(ったく、誰のせいだと思って……)


 口のなかで罵りながらも、レムは席に着く。

 二人前以上のボリュームでも、レムの向かいに座った男はコーヒーを飲むだけだ。なにしろのレムは、一人で綺麗に平らげる。料理する方も作りがいがあるだろう。


「そっちこそ、こんな時間にいるなんて、めずらしいね」


 低血圧のレムとはちがって、彼の朝は早い。

 レムが目覚めたときにはとっくにベッドにいなければ、コーヒーだけの朝食を済ませて家から出ている。


「バルブロからの呼び出しだ」


 応えにレムは眉根を寄せた。


(あいつか……)


 短躯たんくで出っ歯の男がレムは嫌いだった。

 

 本土イサヴェルの要人と偽って、エルムトに侵入した。あわよくば月の巫女シグ・ルーナに近付くつもりだったのだろう。バルブロは暗殺組織のリーダーであり、エルムトの巫女の命を狙っている。


 安易に近づけるはずもないと、レムは思っている。

 軍神テュールたちの守りは堅く、祈りの塔へとたどり着くのさえ、まず不可能である。


 おまけに月の巫女シグ・ルーナは、滅多に祈りの塔から出てこない。


 冬至の祭りユール夏至の祭りユハンヌスといった、外部の人間が多く出入りする時期なら尚更だ。番人ヘーニルたちの口利きがあったとしても、実際に会えるかどうかは、エリサの気分次第といったところ。よほどの信頼関係がなければ、巫女の顔さえ拝めないのが実情だ。


「サミュエルは、なんであんなやつの言うことを聞くわけ?」


 コーヒーを飲みながら、新聞を読んでいたサミュエルが顔をあげた。金髪の下に隠れているアメジスト色の目が、レムを射貫く。


「気に入らないか?」

「不服だよ。バルブロなんかに顎で使われるサミュエルなんて、見たくない」


 本土イサヴェルの要人の護衛。あのとき、レムの前でそう言った。それはたしかに間違ってはいない。サミュエルがバルブロに雇われているのは、事実だからだ。


 レムはそれとなくサミュエルから視線を外した。

 サミュエルは長身だが痩躯そうくだ。いつもコーヒーばかりを飲んで、あまり食べないから痩せるのだと、レムはそう思っている。

 

 美しい金髪がお日様の色みたいで好きだと言ったら、それからサミュエルは髪を切らなくなった。五年も前だから、いまでは腰の辺りまで伸びているものの、手入れはちゃんとしているようで、枝毛ひとつ見当たらない。


 眉目秀麗びもくしゅうれいなサミュエルは、どこかの貴族か、または人気の男優かとうそぶいても、簡単に信じてしまいそうなほど美しい男だ。


(でも、そうじゃない。サミュエルは……)


 レムの視線の先には、サミュエルが携持けいじする武器がある。

 

 はるか遠い東の島国で作られたかたなという剣だ。エルムトやイサヴェルなどで一般的に扱われている剣は両刃で直刀、しかしこの刀という剣は片刃で薄くて細身なのが特徴だ。


「バルブロはもともと貿易商だったんでしょ? それも、あいつからもらったの?」

「まあな……」


 冷笑を浮かべながら応えるサミュエルに、レムはむっとした。

 バルブロを嫌っておきながら、奴の扱う武器には興味あるのを見抜かれたからだ。


「そう邪険にするな。あれはなかなか面白い男だ」

「ふうん」


 関心のないふりをして、レムは白パンをちぎる。喋っているうちに、スープもオムレツも冷めてしまった。

 

「夜には戻る。……いい子にしてるんだな」


 色が抜けて、だんだんと白に近くなったレムの金髪を撫でながら、サミュエルが言う。昼間は子ども扱いするくせに、夜になると変貌するのはどういう了見なのだろうと、レムはいつも思う。


 一人になってレムは食事を再開した。

 見事なほどに綺麗に巻かれたオムレツはやっぱり美味しい。バターと牛乳、それにチーズも使っているらしく、濃厚だが飽きない味だ。


(オムレツなら、イヴァンも作ってくれたっけ)


 料理が苦手なくせに、レムを真似して卵料理を作ったイヴァン。

 

 その出来映えは、サミュエルのオムレツと天と地ほどの差があった。オムレツというよりはもはやスクランブルエッグと化した卵料理を、レムとイヴァンはふたり笑い合って食べた。


(でも、あのとき食べたオムレツ、美味しかったな……)


 つまらないことを思い出して、レムは残りの料理をただ作業的に口へと入れた。

 

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