あいつは裏切り者だ
(なんだ……? 妙な感じがする)
形容のできない不快感があった。イヴァンの肌が
イヴァンは視覚や聴覚といった身体感覚に長けていたものの、それ以外のいわゆる第六感というものには優れていなかった。こういうのは、レムの方がイヴァンよりもずっと働く。
半年くらい前に、
盗まれたのは備蓄されている食料と防寒具で、それほど多い数ではなくとも、ここで悪事を働いた不届き者を放置しておくほど、
イヴァンたち
となれば内部の人間を疑うところ、イヴァンたちは敷地内の人間を
そんな折りに、イヴァンに助言したのはレムだった。
冬の前に、エルムトに移住した者たちを調べてみろと言うのだ。
氷と雪と冬の国エルムトは、本土のイサヴェルよりもずっと冬が厳しく、寒い日がつづく。
本土から来た者は、エルムトの寒さをわかっていなかったらしい。
餓えも凍死も、どちらもエルムトでは日常だった。そうならないための蓄えを奪ったのは生きるため。とはいえ、エルムトにて窃盗は重罪である。
厳罰に処するところを、
(レムは、本土の生まれだからわかったのだろう。でも、それだけじゃない。あいつは、
レムは人の気配とか、そういうものにもすぐに気付く。
ミカルはそれを臆病な白兎の習性だと
はっとして、イヴァンはかぶりを振った。
(俺はまた、そうやってレムのことばかりを)
自分でもこれは重症だと、イヴァンは思った。だが、いまはそんな場合ではない。勘の鈍いイヴァンでさえも、この異変には気付いたのだ。
(なにかが起こっている……? となれば、まず隊長を探すべきか)
マルティンは一人娘のアストリッドに会いたがっていた。もう自宅に帰ってしまったのだろうか。
いやそれより、ここからなら
皆を起こす方が手っ取り早いと、考えながら先を急いでいたイヴァンは急に足を止めた。偶然通りかかったのは医務室だった。
(レムはもうここにはいない。だが……)
ノックをする間も惜しんで、いきなり扉を開けた。
「なんだ、イヴァンか。急患か?」
「いえ……、そうではなく」
オリヴァーからは煙草のにおいがした。あれだけレムに言われたくせに、まだ懲りもせずに医務室で煙草を吸っているらしい。
つい先日、イヴァンはオリヴァーに説教をされたばかりだ。
しかしそれでなくとも、イヴァンはこの軍医がどうにも苦手で、なにから説明しようかとして言葉に詰まった。
「レムはどうした?」
気まずさから外していた視線を、またオリヴァーへと戻す。
「あいつは、もう」
「なんだ止めなかったのか? ……使えないやつだな」
オリヴァーに舌打ちされたイヴァンは拳を握りしめる。止めなかったわけではない。止められなかったのだ。
(いや、どっちもおなじだ。俺は、レムになにも言えなかったのだから)
「すごい嵐だな」
先を急ぐあまりに、オリヴァーに言われるまで気付かなかった。凄まじい風が鎧戸をたたいているし、雷を伴った雨まではじまった。
「お前は
「いや、エリサが俺に戻るようにと……」
「ふん。健気な女だな」
いかにもこの会話が退屈そうに、オリヴァーは煙草に火を付けた。
「まあ、いい。起きててやるから、急患が出たら知らせろ」
はじめイヴァンはここに寄ったのは間違いだと、そう思っていた。だが、そうでもなさそうだ。オリヴァーも気付いている。
イヴァンは医務室を出ると、今度は自分の勘に頼ることにしてみた。
いまの
(やはり、隊長のところに行こう。マルティン隊長なら、もう異変に気が付いているかもしれない)
マルティンが私室として使っているのは、
しかし、イヴァンはマルティンの部屋へとたどり着く前に足を止めた。人の叫び声がきこえる。そして同時に血のにおいを感じた。
「アウリス……? それに、ミカルか!?」
どうやら叫んでいたのはアウリスのようだった。イヴァンは二人の近くに行って、ようやく気付いた。血のにおいの正体はミカルからだ。
「ミカルがやられた……! レムを追えっ!」
普段の
「落ち着け、アウリス。いったい、何があった?」
「ミカルを斬ったのはレムだ。あいつは、裏切り者だ!」
そんなに叫べばミカルの傷に障る。しかし、イヴァンの声でアウリスが落ち着くどころか、逆効果だろう。
「なにしてる……? 早く、行けっ! それとも、お前も裏切るつもりか、イヴァン」
ぞっとするほど低く冷たい声でアウリスは言った。それきりアウリスはイヴァンに構わず、髪を振り乱しながら弟の名を呼びつづけた。
(なにが、起こって……)
あまりの剣幕にイヴァンは後退りしたものの、すぐ自分を取り戻した。
いや、まだ頭は混乱している。ミカルは何者かに襲われた。アウリスはそれがレムだと訴える。
意味がわからないと、イヴァンは下唇に歯を立てた。
そのうち、騒ぎをききつけた他の
しかし、どれだけ
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