要人の護衛

 祈りの塔にて、ユハお手製ケーキをたらふく食べたあと、レムはイヴァンとともに輝ける月の宮殿グリトニルへと戻った。


 別に素直にイヴァンに従ったわけではなく、ちょっと身体を動かしたい気分になっただけだ。太りにくい体質であっても、あれだけたくさんのケーキを堪能したら、さすがに胃はもたれていた。


「おっ。やっと来たな」


 訓練場に着くなり、赤毛の男に出迎えられた。

 同世代のなかでも背の高いイヴァンだったが、彼よりももっと長身で体格も良い赤毛の大男は、レムとイヴァンを見るなりにやにやした。


「マルティン隊長! 大変お待たせしました」


 軍神テュールらしく、ぴしっと背筋を伸ばしてイヴァンが言う。一方、レムはというと、ここまで来たのにどうやって逃げようかと、まだ考えていた。


「うん。せっかく来てくれたのはいいが、皆はもう帰ってしまったぞ」

「も、申し訳ありません……」

「まあ、いいさ。そんなに気にするな」


 マルティンの言うように、他の軍神テュールたちの姿が見えないのは、もうじき夕暮れだからだ。

 夏が近いとはいえ、氷と雪と冬の国エルムトの夜は冷える。昼間も涼しく、太陽が拝めない日などは寒いくらいだ。


 イヴァンに小突かれて、レムはペコッと頭をさげる。

 しかし、あまり反省はしていない。エリサとユハの約束があったのは本当だし、訓練で無駄に汗を掻きたくないのだ。


「聞いたぞ。追いかけっこを一時間以上もつづけていたそうだな。ミカルとアウリスは、途中で脱落したらしいが」

「こいつ、逃げ足だけは速いんです」

「ははっ、そりゃあいい。足が速いのは、便利な特技だぞ」


 豪快に笑うマルティンにイヴァンは苦笑いで返す。レムも他人事のような気持ちできき流している。実は、この赤毛の大男がレムはちょっと苦手なのだ。


 マルティンは二十五歳という若さで軍神テュールの隊長の座に就いた。

 

 背も高い上に、筋肉質で熊みたいな見た目でも、愛嬌があって老若男女問わずに人気がある。

 まあ、性格の良さはレムも認めている。軍神テュールの訓練をサボってばかりのレムにも怒らないし、何ならやさしく諭してくるくらいのお人好しなのだ。


(でも、隊長の声のデカさはどうにかならないものか)


 こんな至近距離でも構わず大きな声で喋られたら、そのうち耳が壊れる。付き合いの長いイヴァンはさして気にしていないらしく、素直にマルティンを尊敬しているようだ。水を向けられないようそっぽを向いていたレムに、マルティンは笑う。


「訓練に出たくなければ、無理することはない。人には向き不向きがあるからな」

「隊長! そうやって甘やかさないでください! だいたいこいつは」

「いや、無理して怪我されると困る。俺がオリヴァーに叱られるからな。うん、やっぱりレムは軍医として、オリヴァーの助手と努めてもらうか!」

「ま、待ってください、隊長。レムを軍神テュールにしたのは月の巫女シグ・ルーナです。だから俺は」

「うんうん。わかるぞ、イヴァン。お前は副隊長としてよくやってくれてる」

「いえ、そうではなくて……」


 段々話が噛み合わずにずれていくのもよくあることだ。イヴァンはどうにか逸れた話題を修正する。


月の巫女シグ・ルーナ直々に軍神テュールに任命されるなど、誉れあることです。それなのにこいつはいつも……。これでは、皆に示しがつきません」

「そうだなあ。ミカルとアウリスも怒っていたしなあ」

「それに真面目に訓練に出なければ、いざというときに困るのはこいつ自身なんです。こんな細腕じゃ、剣だってまともに振るえるかどうか」

「そもそも月の巫女シグ・ルーナは、どうしてレムを軍神テュールにしたんだろうなあ?」

「はい……?」

 

 押し出しの良い人柄なのはわかるものの、一方であまり人の話をきいていないのが我らが隊長マルティンだ。


(こういうところも、ニガテなんだよね……)


 やはりこの隙に逃げてしまおうかと、レムは考える。

 もともとエルムトの人間ではなかったレムを軍神テュールにしたのは、たしかに月の巫女シグ・ルーナだ。

 

 そう、あれは二年前。エリサが月の巫女シグ・ルーナになる前の話。

 

 冬至の祭りユールがはじまる前に、雪原で遭難しかけた少年をエリサは助けた。

 エリサが巫女として選ばれたのも、ふつうの人間にはない特殊な力を宿しているからで、彼女は精霊が見えるという。風の精と雪の精がレムの存在を教えてくれたらしく、黄泉の国ヘルヘイムへと連れて行かれるところをレムは助かったのだった。


「……というわけで、お前たちふたりに要人の護衛を頼みたい」

「いや、隊長。どういう流れで話がそうなるんですか!」

「いやあ、ミカルとアウリスに頼むつもりだったんだが、あいつら本土の人間は嫌いらしくてな。断られてしまったよ、ははは」

「いえ、ははは……、ではなくて」


 しばらく思考を過去へと飛ばしていたレムはまじろいだ。


「えっと、どういうことです? 隊長」

「うん? 本土のイサヴェルから要人が来るんで、その護衛を頼みたいんだ」

「いや、それはわかりましたけど。要人? 護衛って?」

「もうすぐ夏至の祭りユハンヌスがはじまるだろう。本土からお偉いさんたちがたくさん来るんだよ。冬至の祭りユールほどではないが、そりゃもうたくさんだ」

「ええと、それで僕とイヴァンが要人の護衛を?」

「うん。一人で来るわけじゃないから護衛は要らないらしいが、さすがにそういうわけにもいかんだろう?」

「はあ……」


 レムはちらっとイヴァンを見た。

 いつものイヴァンならば、きゃんきゃん騒いで噛みつきそうなのに、やけに大人しくしている。


「それって、番人ヘーニルたちの決めたこと、なんですよね?」

「もちろん、そうだ」


(なるほど、そういうことか)


 番人ヘーニルというのは、エルムトを統べる十三人の為政者いせいしゃたちだ。


 隊長のマルティンを筆頭に、エルムトと月の巫女シグ・ルーナを守るために戦う集団が軍神テュール。その軍神テュールたちに直接命令を下すのが番人ヘーニルである。


 つまり番人ヘーニルの議会で決定した事項は覆らないということ。それをわかっているからこそ、イヴァンは静かになったのだろう。


「ところで、お前たちいいにおいがするなあ」

「えっと、これは、その……」


 さすがに隊長を前にして、エリサのお茶会に呼ばれたので訓練サボりました、なんて言えずにレムは微笑する。


「俺は腹が減ったから帰るぞ。可愛いアストリッドも待ってることだしな。じゃあ、護衛の件、頼んだぞ!」


 まるでとりつく島もないままにマルティンは帰ってしまった。


 しまった断るタイミングを見逃したと後悔しつつ、レムはイヴァンを見た。ふだんはあれこれうるさいイヴァンがやたら静かなのが、却って不気味だった。

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