保護猫ならぬ保護兎

「それは災難でしたね」


 紅茶を注ぎながら、燕尾えんび服の女性がそう言った。


 一見、男と見紛うのは、長身とその中性的な顔立ちからだろうか。

 短く切りそろえられた銀髪、切れ長のセルリアンブルー色の目、薄い唇といい、妙齢みょうれいの娘たちが好みそうな容姿だ。

 

 彼女はユハ・アーネルトン。辺境伯アーネルトンの十番目の娘である。


 燕尾服を着ているのは趣味らしく、でもよく似合っているとレムは思う。


「もう、しつこいのなんの。……でも、訓練をサボった僕も悪いんですけど」


 ベリーとカシスの甘酸っぱいフルーツティーで、渇いた喉を潤しながらレムは愚痴る。つい小一時間前の追いかけっこの話だ。

 脚色した話ではなかったものの、ユハはまず同情してくれたし、カウチの向かいではくすくすと笑い声がする。


「だって、あのイヴァンですもの」

 

 二杯目のフルーツティーをたのしむのは、ユハとは正反対に可愛らしい顔立ちの少女だ。

 

 目が合って、レムはドキッとした。

 ふわふわのストロベリーブロンドの髪に象牙色の肌、アイスブルーの瞳はキラキラと輝いている。ちいさな唇も鼻も、何もかもが魅力的で、お人形のように愛らしい少女の名をエリサという。


「彼、むかしからああなんですね」

「ええ、そう。本人はまるで自覚がないから、それが厄介なの」


 にこにこ笑顔で話すエリサに対して、レムは曖昧に苦笑いで返した。おなじ歳の少女にレムはちょっと緊張する。エリサが美少女だからというのもあるけれど、彼女の立場がそうさせるのかもしれない。


「ああ、つまりイヴァンは拾ってきた動物を、とにかく可愛がるというやつですね」

「そうよ、ユハ。兄さんはね、加減というものを知らないの。むかし飼っていた猫ちゃんたちも、イヴァンにはぜんぜん懐かなかったのよ」


 そう、こんなにも詳しく話せるのは、エリサがイヴァンの妹だからだ。


 イヴァンとエリサの父親は、エルムトを統べる番人ヘーニルだった。

 母親はふたりが幼いうちに亡くなり、父親も二年前に病死したそうで、残されたふたりの兄妹は仲が良い。


「だからね、レムも諦めた方がいいかもしれないわね」

「えっと……僕、捨て猫とかと、いっしょの扱いなんです?」

「捨て猫よりは捨て犬……、かしら?」

「猫や犬よりも、レムは兎ですね。目も赤いですし。保護猫ならぬ保護兎、ですか?」

「そうねえ。デリケートで大人しいし、ぴったりだわ」

「えぇ……」


(いや、僕ってそんな弱そうなイメージなの? そりゃ、訓練はいっつもサボってるけど。女の子にそう言われると、ちょっと傷つくな。って、エリサはふつうの女の子じゃないけど)


「あら? 食が進んでないみたい。キャロットケーキは好みじゃなかった? なら、こっちのチョコレートケーキはいかが? ユハのケーキは、どれも美味しいのだけど……」

「あ、いえ。美味しいです、とても」

「それはよかった。あれこれレシピを試しているので、ついつい作りすぎてしまって。ふたりでは食べきれないので、助かっているのですよ」


 レムはお茶会と称した女子会によく呼ばれる。

 甘いお菓子が大好きなエリサのために、ユハは今日も試作品をたっぷり作る。円卓にはキャロットケーキとチョコレートケーキの他にも、ベリーのタルトやチーズケーキ、バタークッキーなどなど、たくさん並べられている。


 甘党のレムはありがたくお相伴しょうばんにあずかるのだが、どれだけ食べても太らない体質のせいか、お腹いっぱいでもまだまだ勧められるのは、ちょっと大変だ。


「でも、今日は本当に作りすぎましたね。これなら、イヴァンも誘うべきでした」

「あら、だめよユハ。イヴァンったら、何を食べても美味い以外の言葉を言わないんだから」

  

(ん? そういえば、イヴァンって甘いものは得意だったっけ?)


 と、レムが物思いにふけたそのときだった。


「こらー! レム! お前、またこんなところで……っ!」


 ノックもなしに、いきなり開け放たれた扉を三人は凝視した。


(うわっ、また来たよ。今日二度目なんですけど……)


 げっそりするレムに向かって、イヴァンは突撃してきた。

 実はあのあと、頭を打ったイヴァンを説得して医務室に押しやり、先生に看てもらっているそのどさくさに紛れてレムは逃げた。


「なんで、お前っ! 訓練に行かない!?」

「いや、だって約束があったから」

軍神テュールの訓練よりも、女子会が大事なのか、お前は!」

「イヴァン」


 捲し立てるイヴァンに冷たい声がおりた。彼はピタリと動きを止め、レムもまたその視線の先を見る。エリサがにっこり笑んでいた。


「聞き捨てならないですわね。この茶会はずっと前から約束していたのですよ? レムを責めるのは筋違いでしょう?」

「いや、だがエリサ」

「んんっ! ……イヴァン、月の巫女シグ・ルーナの前ですよ?」


 咳払いしながら、ユハがイヴァンに忠告する。

 

 レムも無意識に背筋を伸ばしていた。さっきまでカウチに座ってたのしそうに紅茶とケーキをたのしんでいた女の子、エリサはもういない。そこにいるのはエルムトの人々が敬愛する月の巫女シグ・ルーナだ。


「し、失礼いたしました。シグ・ルーナ」


 軍神テュールのイヴァンは軍人らしい挙措きょそで、月の巫女シグ・ルーナに向かい合う。

 

 兄妹の関係であるイヴァンとエリサ。しかし、いまここにいるのは、軍神イヴァンと巫女のエリサだ。

 レムがエルムトに来て二年が過ぎた。この国の生まれではないレムにとって、それはどうにも異質に感じられるのだが、月の巫女シグ・ルーナの存在はエルムトの人々にとって絶対の存在なのだ。


 月と月の女神マーニを愛するエルムトの民は、月の巫女シグ・ルーナを敬愛している。月の女神マーニの加護を受けた巫女、彼女がエルムトという国を守っているのだと信じているからだ。


 エリサは十四歳のときに巫女に選ばれた。

 夜間はここ祈りの塔の最上階にて、月と月の女神マーニに祈りを捧げる。二年間ずっとで、それはこれからもつづく。外部の人間であるレムからすれば、辛い役目にも思える。けれども、エリサは一人ではなかった。ユハという存在が傍にいるからだ。


「さ。兄さんも、そこに座って」

「いえ、しかし……」

「お説教はもうおしまい。イヴァンも食べてくれないと、ぜんぜん減らないじゃないの」

「はい……」


 レムはちらっとユハを見た。ユハもまた苦笑いだった。

 たぶん、月の巫女シグ・ルーナ軍神テュールという関係を抜きにしても、力関係では妹のエリサが上なのだろう。

 

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