軍神イヴァンと白兎のレム〜初恋を拗らせた男の愛が重すぎて受け止めきれない〜
朝倉千冬
第一章 臆病な白兎
追う男と追われる男
全速力で長い回廊を走っているうちに、曲がり角で誰かを突き飛ばしてしまった。
相手は両手一杯に書物やら羊皮紙を抱えていたので、たぶん
いつものレムならばすぐ回れ右をして、散らばった書物たちを拾うのを手伝いながら平謝りする。
ヘラヘラとした笑みでも、大抵の相手ならば、レムの顔を見て相手は怒るのをやめる。それが男でも女でも、大人でも子どもでも老人でもだ。
容姿が優れているというのは、こういうときに役に立つ。
目が合ってにこっと微笑むだけで、相手は赤面したり目を逸らしたりと反応はさまざま。おまけにときどき女の子に間違えられるけれど、レムの性別は男だし、
しかし、人が騙されるのは、見た目だけではなく中身もそうらしい。
人たらしだとか八方美人だとか、どう考えても悪口でしかないその言葉をレムに言ったのは、あいつだ。
「待て、レム!」
そう、いままさにレムを追い掛けてくるあいつだ。
東翼の袖廊下の辺りで撒いたと思いきや、西翼までしつこく追ってくる体力オバケに、レムは心底うんざりした。最初、レムを追っていたのは三人、そのうち二人はとうに脱落したというのに、諦めるという言葉を知らない男だ。
(ほんっともう、しつこい)
口のなかで罵りつつも、そういうレムもまた体力オバケであった。
さすがに息は切れているものの、
走りつづけているうちに、身体は温まってきた。
十六歳のレムは、同世代の少年たちに比べて小柄で明らかに線が細かったものの、持久走だけは得意だった。
「レム! 待てと言ってるのに……!」
「待て、と言われて待つやつなんて、いないでしょ」
うしろからきこえてくる叫び声に、応酬するだけの余裕はあるものの、これではエンドレスだ。こいつは、
こんなにも入り組んでいるのは巫女を隠すためだとか、レムはそうきいたことがある。氷と雪と冬の国エルムト。そこに住まう人々が敬愛する大切な巫女。
(巫女を守るために、戦う部隊が必要なのは、僕にだってわかるけど)
レムは観念した。といっても、捕まる覚悟ではなかった。
ちらと、投げた視線の先に見えるのは花苑だ。その奥へと進めば薔薇園が見えてくる。あそこはさらに迷路みたいだから、そこまでいけばさすがに撒けるはずだ。
ただし、ここは二階である。
これがもっと寒い時期ならば、敷き詰められた雪がクッション代わりになってくれるだろう。しかし、残念ながら、季節はまもなく夏がはじまる頃だ。ここから飛び降りれば、
(まあ、ちょっと痛いくらいなら、いいか)
色とりどりの花たちが衝撃を逃がしてくれることを願って、レムは飛び降りた。迷いはなかった。ところが――。
「待てっ、レム!」
ぎょっとして振り返ったものの、もう遅かった。
レムは二階から飛び降りていたし、相手もそれにつづくとは思わなかったのだ。その上、空中でレムの身体は捕まえられていた。そう、レムは完全に見誤っていたのだ。
「いったた……。もう、馬鹿なの? イヴァン」
レムは追い掛けてきた男――イヴァンもろとも花壇に落ちた。
「馬鹿は、お前だろう。レム」
衝撃に備えて身体を丸めようとしていたところを、イヴァンにとっ捕まった。
逃げる間もなく二人仲良く転落というわけで、レムは下敷きとなったイヴァンを押しのける。
「はあ、もう。君って、ほんと考えなしだよね」
「お前に言われたくないぞ、レム」
身体のあちこちが痛いけれども、怪我はしていなさそうだ。犠牲になった花たちと、イヴァンのおかげだろう。レムは心のなかでペロッと舌を出す。イヴァンの頭はぼさぼさで、黒髪には花が絡まっている。
「まったく、お前というやつは。だいたい、なんで逃げた?」
「それは君が追い掛けてくるからだろ」
「お前が逃げるから、追ったんだ!」
やいのやいの言っているうちに、なんだか可笑しくなってレムはプッと吹き出した。
小柄で子どもみたいな
黒髪とアイスブルーの瞳、すっと伸びた目鼻立ちといい、イヴァンの容姿もまた美しかった。
それなのに、いまのイヴァンときたら。
髪はボサボサで、
「ちゃんと、
「はいはい、わかったから。早くどいて」
イヴァンほどではなくとも、レムの格好もそこそこひどかった。
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