それって、無自覚なわけ?

「本当に、大丈夫なんだな?」


 医務室の主はいなかったが、代わりにベッドを占領する者がいる。


「うん。だから、大丈夫だってば」


 イヴァンはべつに怒っているわけではなかった。

 

 レムが訓練から逃げるのはいつものことだし、こうやって医務室でサボっているのも一度や二度ならず。軍神テュール隊長であるマルティンも、軍医のオリヴァーも、いつだってレムを甘やかす。だからこそ、レムに説教するのは自分の役目だと、イヴァンはそう自負している。


 ただの怠惰たいだなら、きっちり叱るべきだろう。

 

 しかし、レムは三日前からずっと医務室に篭もっている。

 人の多くて騒がしいところは苦手だと、本人は言っていた。いきなり貧血を起こしたのも、そのせいかもしれない。あのときのレムは本当に死にそうな顔をしていたから、それで余計にイヴァンは心配だったのだ。


「大丈夫だよ。たぶん、ただの風邪だと思う」

「風邪ぇ?」


 生まれてこの方、風邪などひいたことのないイヴァンだ。

 丈夫な身体に生んでくれた両親にはとても感謝している。エルムトの男子は身体の弱い者ばかりで、十歳まで育たない子どもが多い。そのため、エルムトでは男よりも女の数が多くなっているのだ。


 月の女神マーニが男嫌いだから、男の子を黄泉の国ヘルヘイムへと連れて行くという伝承を、エルムトの人々は信じている。

 月の巫女シグ・ルーナは月と月の女神マーニへ祈りを捧げて、エルムトという国を守るのが役目だ。祈りが女神へと届けば、女神は寒さや嵐や雨雪から、エルムトを守ってくれる。


「ちょっと見せてみろ」


 毛布に包まって、顔だけ覗かせているレムにイヴァンは近付いた。


「な、なに……?」


 引っ剥がされてベッドから引き摺り出されると、レムは怯えているようだがそうではない。イヴァンは自分の額をレムの額にくっつけた。


「う~ん。熱はないようだが……」


 口をパクパクさせるレムをよそに、イヴァンは念のため体温計を探そうとする。


夏至の祭りユハンヌスがはじまったというのに、朝晩はまだ寒いからな。レムが体調を崩すのも無理はない)

 

 氷と雪と冬の国エルムトは、冬の期間が長くて夏なんてあっという間だ。


 太陽の恩恵などほとんど受けられずに、夏は夏で長雨と嵐の日がつづく。だからイヴァンの妹エリサは、祈りの塔に篭もりきりとなってしまう。それが巫女の使命だとわかってはいるものの、ときどき妹が不憫でならなくなる。


「うう~ん、ないな。っていうか、これだけ散らかっていたら、探しようがないんだが……」


 イヴァンはため息を吐いた。

 オリヴァーもレムも、師弟揃って整理整頓というものが苦手なのだ。おかげで医務室はいつも散らかっていて、見かねたイヴァンが片付けようとしたものの、オリヴァーからは勝手に触るなと怒られてしまった。


「ん? どうした? レム」


 そこでようやくイヴァンは、大人しくなったレムに気が付いた。顔が赤いのは気のせいだろうか。やっぱり熱があるのではないかと、ふたたび近付こうとして、レムは頭から毛布を被ってしまった。


「なんだよ、レム。どうしたんだ?」

「君のそれって、無自覚なわけ?」

「はあ?」

「僕に人たらしとか言うけどさ、君も大概だと思うよ」

「なんか怒ってないか? お前」

 

 急に不機嫌になったレムは「もういい」と言ったきり、声を返してくれなくなった。


 こうなったら頑固なレムだ。うんともすんとも言わなくなるので、イヴァンもそれきりレムに構わずに医務室を出て行く。レムは眠くなると機嫌が悪くなるという、子どもみたいなところがあった。

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